09/09/06

寅吉・和平ツアー2009の2回目(1)根宿八幡神社


まずは、あぶくま高原道路を通って一気に玉川村へ。いつもとは逆回りで行こうということで、最初は、和平最後の作品。玉川村正八幡神社の阿像だけ狛犬。11時17分に到着。
円丈師匠がずいぶん顔の前の草をむしっていたのだが、この夏の長雨でまた鬱蒼と茂っていた。

なにしているんだろうねえ……とメイ


譲ったα330で、さっそく上から目線撮影


今日はいつもとは違う角度からも撮っておこう


こんな角度からも……


いい顔だねえ

正八幡神社を後にして、次は和平の孫の登が彫った狛犬がある、根宿の八幡神社へ。ここはいつも蚊がものすごくて、来るたびに虫除けスプレーを持ってこなかったことを後悔するのだが、今回も忘れた。
人間の周りに蚊柱が立つほどの猛威。

入り口には和平が大正年間に彫った灯籠がある。
和平の大正年間の作品はこれくらいしか見つからない


大正12(1923)年の銘がある。この頃、和平は仕事にあまり恵まれていなかったようだ


蚊に襲われながら参道を上る


石段の上に真っ黒なシルエットが現れる


これが和平が彫ったのではないかとも思われる先代狛犬の吽


見事に飛翔している阿像。こちらは壊れていない


裏から見たところ


逆光と蚊で、いつも撮影は苦労する


手前にあるのが孫の登が彫った狛犬

ここの先代狛犬のうち、吽像が台座から落ちて壊れたため、和平が吽像だけを依頼され、高齢のため、孫の登を指導しながら彫らせたという話が伝わっている。
先代は明治41(1908)年旧8月の建立。このとき和平は26歳。ナカと結婚を許された年である。
この前後に寅吉・和平がどんな仕事をし、生活はどうだったか、今回は想像力をたくましくして振り返ってみよう。以下の年譜で、//で示したコメント//は僕の想像によるものだ。

■明治35(1902)年12月、和平21歳。沢田村村社八幡神社裏の末社 石の社。和平の銘では今のところ最古?
○明治35(1902)年9月、雲照寺准提観音 「彫刻人小松布孝)
○明治36(1903)年6月、小松布孝・布行 大田原市西郷神社石の社殿。「小松布孝 布行 敬作」。和平21歳。

//雲照寺の准提観音をはじめとする観音像プロジェクトには2年かかったと言われている。その間、親方・寅吉は優秀な弟子を引き連れて雲照寺に寝泊まりし、観音像制作に追われていた。
この年、和平は親方の留守を預かっていたのではないだろうか。で、そのときに請け負った小さな石の社の仕事に、ついつい自分の名前を刻んでしまった。このとき和平はまだ24歳で年季奉公中。名前を彫れる時期ではなかったはずだ。
それが後で親方に知られて怒られたのでは……と想像する。和平の銘は、この明治35年の小さな石の社にあるだけで、その後は大正12年9月(42歳)に、ここ八幡神社に納めた灯籠まで、実に21年間もの長い間、「小林和平」という名前を作品には刻んでいないのだ。//


○明治36(1903)年9月、寅吉 鹿嶋神社の狛犬。「福貴作 石工 小松布孝」
明治38(1905)年?、長男重利誕生。和平24歳?
○明治39(1906)年8月、須釜神社の燈籠 福貴作 石工 寅吉
明治40(1907)年7月19日、長男重利死去(行年3歳)。和平26歳。
明治41(1908)年、東白川郡社川村大字一色小林多三郎の二女・ナカを妻として迎える。和平26歳?

//根宿八幡神社の狛犬制作は、この年に行われている。明らかに寅吉工房の作だが、傑作でありながら石工の名が刻まれていない。
寅吉の狛犬で最高傑作である鹿島神社の「ねぶた狛犬」は、明治36年9月建立。しかし、准提観音に刻んだ「彫刻人」という肩書きではなく、「石工」としている。同じ年の3か月前、大田原市の西郷神社社殿には「小松布孝 布行 敬作」と、親子の名前を刻んでいる。
この明治36年、和平は21歳の若者だった。自分よりも力がないのに、実子であるがゆえに親方と一緒に名前を刻まれる小松亀ノ助布行をどんなふうに見ていただろうか。
おそらく、鹿島神社の狛犬制作にも、和平は加わっていただろう。明治39年の須釜神社の灯籠には、寅吉は「小松布孝」ではなく、単に「石工 寅吉」としか刻んでいない。出来に満足していなかったのか、あるいは弟子たちの手が多く加わっていて、小松布孝を刻むのが自尊心として許せなかったのではないか。
その直後、和平は年季明けもしていないうちに年上の女性・ナカを妊娠させ、生まれてきた長男を失うという出来事を経験している。
結婚を許されない前に長男を失った悔しさは大変なものだったろう。
そして、ナカをようやく妻として迎えることを許された年に、この根宿八幡神社の狛犬が建立されている。
銘がない……。明らかに親方寅吉の彫りとは違う。しかし、間違いなく寅吉工房の作である。
となれば、和平が主に鑿をふるっていた可能性は高いのではないだろうか。
この端整な顔立ちの狛犬は、後にも先にも出現しない。寅吉銘でも和平銘でも、この作風の狛犬は他には存在していないのだ。
和平以外の優秀な弟子がいたことも考えられるが、そうであれば、寅吉や和平と違って、ひどくおとなしい性格の石工だったのだろうか。//


明治42(1909)年、独立。和平27歳? 寅吉65歳前後
明治42(1909)年?、次男正誕生。和平27歳?
明治42(1909)年2月27日、次男正死去(行年1歳)。和平27歳。

// 根宿八幡神社の狛犬制作の後も、和平には次男までも失うという不幸が襲う。行年1歳ということは、もしかすると死産に近いものだったのかもしれない。
ようやく独立し、晴れて跡取りを……と思った矢先に赤ん坊を失った喪失感、絶望感はいかばかりのものだっただろうか。
年季明けは明治42年、27歳のときだが、その後も和平の単独の仕事は長い間見つからず、寅吉親方を手伝っていたらしい。//

明治45(1912)年?、長女登美子誕生。和平30歳?
○明治45(1912)年7月、寅吉、須賀川市旭宮神社の恵比寿像。「石川郡浅川村大字福貴作 小松布孝」。寅吉68歳?
○大正2(1913)年3月、寅吉、長福院の毘沙門天像。「福貴作 小松孝布」。独立後だが、親方を手伝って和平も彫っていた。寅吉69歳。和平31歳。
●大正4(1915)年2月22日、33歳。小松寅吉布孝没(行年72歳)。

//長福院の毘沙門天像と仁王像(1対)の銘は非常に興味深い。メインの毘沙門天には「福貴作 小松孝布」と刻まれている。「小松布孝」をひっくり返した「孝布」である。寅吉が彫ったのであれば、素直に「布孝」と刻むだろうから、これはおそらく、ほとんど和平が彫ったのだろう。寅吉は、和平とのわだかまりを解消してからあの世に行きたかったに違いない。そこで、息子につけた「布行」とは別に、自分の「布孝」を逆にした「孝布」を和平に贈ったつもりだったのではないだろうか。
しかし、和平はそれを受け取らなかった。自分はあくまでも小松家の人間ではない。これからも小松の名を名乗ることはない、という決意表明として、仁王像には「和東斎剣石」という鑿ネーム?を刻んだ。
この2年後、親方・寅吉はこの世を去る。息子・布行、そして一番弟子・和平に自分の跡を継いでほしいと願って死んでいっただろうが、和平は「孝布」には受け取ってもらえず、息子・布行も、その後、単独での銘を残した作品は見つかっていない。
この後、大正12年の灯籠に「石川郡澤井 石工 小林和平」と素直に刻むまで、和平の銘もない。
和平が親方父子との石工名をめぐる確執?から完全に抜け出せるまでに、それだけの時間がかかったということだろうか。 //


■大正15(1926)年、44歳。中島村滑津 常瀬山善通寺墓地地蔵菩薩像。
昭和02(1927)年4月22日、長女登美子、石川高等女学校在学中に死去(行年16歳)。和平45歳。
昭和04(1929)年?、養子實とその妻リン(ナカの姪)の間に長男登誕生。登は後に和平に師事し、石工を継ぐ。和平47歳?
■昭和02(1927)年、45歳。沢井八幡神社裏の尾珠狐
■昭和05(1930)年1月、48歳。石都都古別神社の狛犬

//大正年間の数少ない和平作品のひとつに、善通寺墓地地蔵菩薩像がある。すでにあの世に逝っている親方や、自分の子供たちへの鎮魂を込めて彫り上げたに違いない。
しかし、その翌年、あろうことか、たったひとり残った娘まで、運命は取り上げてしまう。
その悲しみのどん底から這い上がるべく、2年後、妻・ナカの妹・リンの夫・實を養子に迎え、リンと實の間に生まれた息子たちを弟子にすることを夢見ながら、ついに昭和5年、あの親子獅子の傑作・石都都古和気神社の狛犬を建立し、石のアーティストへの道を切り開いた。//


……この赤字部分はすべて想像だが、そう違っていないのではないだろうか。
いずれにせよ、この根宿八幡神社の狛犬と灯籠には、大きな謎が秘められている。この謎を解いたとき、寅吉・和平が歩んできた平坦ではない石工道が、少しずつ見えてきそうな気がする。

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