10/08/09 

平成演歌考

このところ、演歌を書いていた。
そもそも演歌とはなんぞや?
演歌のルーツなどを調べていると、こんなページを見つけた。

関ジャニ∞の曲は演歌なんでしょうか。音頭だと思いますが。いろいろ考えてると演歌歌手のヒット曲で本当に演歌の曲って少ないように感じます。以下の曲は演歌でしょうか?

冬のリビエラ(森進一)
雨の慕情(八代亜紀)
与作(北島三郎)
横浜たそがれ(五木ひろし)
さそり座の女(美川憲一)

また谷村新司や中島みゆきとかって、若い人からみると
演歌になってしまうんでしょうか?



これへの回答が興味深かった。


冬のリビエラ(森進一)・・・ポップス歌謡
雨の慕情(八代亜紀)・・・演歌、ムード歌謡系
与作(北島三郎)・・・演歌@民謡系
横浜たそがれ(五木ひろし)・・・歌謡曲、ムード歌謡系
さそり座の女(美川憲一)・・・歌謡曲

と、個人的に分類してみましたが、難しいですねぇ・・・。

谷村新司は、演歌ではないと思うけど、
聞いたことのない高校生くらいの子たちには、演歌歌手に見えるのかもね。
中島みゆきは、さすがに、演歌とは思われないでしょう。、


ポップス歌謡? ムード歌謡系? 歌謡曲? ……区分けすることがなんだか馬鹿馬鹿しい。
他のページの回答では「音楽のジャンルは言ったもの勝ち」というのもあった。なるほど。

僕の感覚では、谷村新司はアリスの頃から歌い方が演歌だったし、堀内孝雄は、本人が演歌歌手に転向したと認めているんではなかったかしら。
中島みゆきも、僕の感覚では「演歌歌手」に限りなく近い。

……というようなことはさておき、僕がこの質問に引っかかったのは、

雨の慕情、与作、横浜たそがれ……
……これらはまさに、僕が「演歌」の中でも名曲というか、メロディのしっかりしたいい曲だと思っている曲の代表だったからだ。
歌詞は別として、メロディがしっかりしている。その点では、『冬のリヴィエラ』は中途半端な感じ。
いわゆる演歌テイストと「よいメロディ」が両立している例としては、『雨の慕情』がいちばんかもしれない。

ところが、どうも、マニアックな?演歌好きからすると、これらはどれも「演歌じゃない。あれは歌謡曲だ」ということになるようなのだ。
演歌好きの人たちがカラオケなどで歌う曲の多くは、耳にしたこともないような、あるいは聴いてもその場で忘れてしまうようなマイナー3コード(Am、Dm、E7)で作られた陳腐の極致みたいな曲だったりする。
よくこんな特徴のないメロディを覚えられるなあ……と感心してしまうほどだ。ショパンの超絶技巧練習曲を弾きこなすピアニストに通じるものを感じる。
それと、歌詞。
これはもう、僕の感覚ではどうしようもない。演歌の作詞家は日本中の飲み屋に愛人がいるのかと思うような、特殊?な世界観というか、異常に狭い世界観。
演歌とはこういうものだったのだろうか?

ウィキペディアで「演歌」を調べると、

「演歌」は、「演説歌」の略語であり、明治時代の自由民権運動の産物だった。藩閥政治への批判を歌に託した政治主張・宣伝の手段である。つまり、政治を風刺する歌で、演説に関する取締りが厳しくなった19世紀末に、演説の代わりに歌を歌うようになったのが「演歌」という名称の始まりといわれる。この頃流行ったのが「オッペケペー節」を筆頭に「ヤッツケロー節」「ゲンコツ節」等である。

……とある。
川上音二郎の『オッペケペー節』は有名なので、それだけで一つの項目にもなっている。
知らないかたが多いと思うので、YouTubeの中で、削除されそうもないのをひとつリンクしておきたい↓


う~ん、これはラップですね。アジ演説ラップ。
現代でも、まったく同じことは再現可能だけれど、テレビやラジオで政治や風俗批評のラップを耳にすることはほとんどない。
演歌のルーツが「演説」なのだとすれば、現代において演歌と呼ばれているものに、その片鱗は残っていない。
ともあれ、オッペケペー節は「音楽」にはなっていない。
前から気になっていた添田唖蝉坊のこともネット上で調べてみた。
添田は、僕が生まれたときの姓でもあるので、一時期は「もしかして遠い親戚?」なんて考えたこともあった。(多分、違うと思うが)

↑最初の1曲は唖蝉坊の曲というわけではないので除外して、2曲目以降はオリジナルにほぼ近いのだと思う。
ついでに、代表曲『ノンキ節』を、岡大介が歌うのも↓

歌詞はなかなかよくできている。

 學校の先生は えらいもんぢやさうな
 えらいから なんでも教へるさうな
 教へりや 生徒は無邪氣なもので
 それもさうかと 思ふげな
 ア ノンキだね

 成金といふ火事ドロの 幻燈など見せて
 貧民學校の 先生が
 正直に働きや みなこの通り
 成功するんだと 教へてる
 ア ノンキだね

 貧乏でこそあれ 日本人はえらい
 それに第一 辛抱強い
 天井知らずに 物価はあがつても
 湯なり粥なり すゝつて生きてゐる
 ア ノンキだね

 洋服着よが靴をはこうが 學問があろが
 金がなきや やっぱり貧乏だ
 貧乏だ貧乏だ その貧乏が
 貧乏でもないよな 顏をする
 ア ノンキだね

 貴婦人あつかましくも お花を召せと
 路傍でお花の おし賈りなさる
 おメデタ連はニコニコ者で お求めなさる
 金持や 自動車で知らん顔
 ア ノンキだね

 お花賈る貴婦人は おナサケ深うて
 貧乏人を救ふのが お好きなら
 河原乞食も お好きぢやさうな
 ほんに結構な お道樂
 ア ノンキだね

 萬物の靈長が マッチ箱見たよな
 ケチな巣に住んでゐる 威張つてる
 暴風雨(あらし)にブッとばされても
   海嘯(つなみ)をくらつても
 「天災ぢや仕方がないさ」で すましてる
 ア ノンキだね

 南京米をくらつて 南京虫にくはれ
 豚小屋みたいな 家に住み
 選挙權さへ 持たないくせに
 日本の國民だと 威張つてる
 ア ノンキだね

 機械でドヤして 血肉をしぼり
 五厘の「こうやく」 はる温情主義
 そのまた「こうやく」を 漢字で書いて
 「澁澤論語」と 讀ますげな
 ア ノンキだね

 うんとしぼり取つて 泣かせておいて
 目藥ほど出すのを 慈善と申すげな
 なるほど慈善家は 慈善をするが
 あとは見ぬふり 知らぬふり
 ア ノンキだね

 我々は貧乏でも とにかく結構だよ
 日本にお金の 殖えたのは
 さうだ!まつたくだ!と 文なし共の
 話がロハ臺で モテてゐる
 ア ノンキだね

 二本ある腕は 一本しかないが
 キンシクンショが 胸にある
 名譽だ名譽だ 日本一だ
 桃から生れた 桃太郎だ
 ア ノンキだね

 ギインへんなもの 二千圓もらふて
 晝は日比谷で たゞガヤガヤと
 わけのわからぬ 寢言をならべ
 夜はコソコソ 烏森
 ア ノンキだね

 膨脹する膨脹する 國力が膨脹する
 資本家の横暴が 膨脹する
 おれの嬶(かゝ)ァのお腹が 膨脹する
 いよいよ貧乏が 膨脹する
 ア ノンキだね

 生存競争の 八街(やちまた)走る
 電車の隅ッコに 生酔い一人
 ゆらりゆらりと 酒のむ夢が
 さめりや終點で 逆戻り
 ア ノンキだね


でも、音楽としてはどうなのか。メロディはどこかで聞いたような雑謡とか都々逸とかのフレーズ。
唖蝉坊は、文士であって、元祖フォークゲリラであったけれど、演歌という音楽ジャンルを確立した人というわけではなさそうだ。

唖蝉坊の息子の添田さつき(添田知道)は、『東京節』(別名『パイノパイノパイ』)をヒットさせる。
これはなかなかいい曲で、特にサビは傑作。酔っぱらったときなどは、ついつい歌いたくなる。



らーめちゃんたらぎっちょんちょんでぱいのぱいのぱ~い
ぱりことぱななでふらいふらいふらい~

これはすごい。パリコとパナナって? 

これが添田さつきのオリジナルなら、父親ができなかった「演歌を音楽にした」という偉業を達成したことになるのだが、残念ながらこの曲は日本製ではない。
原曲は『Marching Through Georgia』といって、アメリカのHenry Clay Workという人が南北戦争が終わった1865年に作った軍歌?というか行進曲?なのだ。(解説は⇒ここ
この解説によれば、名曲ゆえに国外にも広まり、日本軍が旅順に侵攻したとき(1904年)にこの曲を歌ったというのだが、本当なのだろうか。


『東京節』がヒットしたのは1919年らしいので、もし、日本軍が旅順攻略のときに歌っていたという話が本当だとしても、日露戦争で「らーめちゃんたらぎっちょんちょんでぱいのぱいのぱ~い」と歌いながら大砲をぶっぱなしていたわけではないようだ。(少しほっとする)

『Marching Through Georgia』の英語の解説を含んだ動画もある⇒ こっちのほうが演奏が美しい。



で、要するになんだ、あの傑作「パイノパイノパ~イ」は、アメリカから輸出されたのか……世界的にヒットした曲に歌詞をつけただけだったのかと、がっかりしたわけである。
添田さつきは、音楽の才能がなくて、えらい音痴だったという話もある。
それでは「演歌誕生」にはならない。

……で、さらにいろいろ調べてみた。
現代で、「演歌」の代名詞的存在、大御所、この人が歌えばなんでも演歌になってしまうというような歌手は誰だろうと考えたとき、御大・北島三郎がすっと浮かんだ。
北島三郎の代表作というと、僕は実は『与作』しか知らないのである。『与作』は名曲だが、歌う人が歌えば民謡とも童謡とも小学校唱歌ともなりえる。
サブちゃんのルーツはなんだったのだろうか……。
で、調べてみたら『ブンガチャ節』という楽曲が出てきた。
ウィキペディアに、

1962年6月、「ブンガチャ節」(作詞・星野哲郎、作曲・船村徹)で日本コロムビアからメジャー・デビュー

とある。
どんな歌だろうといろいろ探した結果、ここ⇒で聴けた


あの娘いい娘だ こっち向いておくれ
キュ キュ キュ キュ キュ キュ
すねて横向きゃ なおかわい
ブンガチャ チャ ブンガチャ チャ

恋の病いに お医者をよんで
キュ キュ キュ キュ キュ キュ
氷枕で 風邪ひいた
ブンガチャ チャ ブンガチャ チャ


これが北島三郎のデビュー作。
なかなかよい曲なのだが、なんと、発売1週間で放送禁止になってしまい、売れなかったらしい。
元歌が、渋谷界隈で流行っていた春歌で、「きゅっきゅきゅ~」はベッドが軋む音なのだとかなんとか……。
だとしても、発売した『ブンガチャ節』は猥褻な歌詞ではないし、そもそもお上が文化に口を出すのはお門違い。まったくいつの世も、権力者はろくなことをしない。

北島三郎は、その直後、仕切り直しで出した『なみだ船』がヒットして、以後、大演歌歌手への道を進んでいくことになるそうなのだが、僕は『なみだ船』を聴いたことがなかったので、やはりネットで聴いてみた。
『ブンガチャ節』とはがらりと変わった、今でいえば「正統派演歌」といえそうな曲なのだが、僕の感性としては『ブンガチャ節』のほうが「いい曲」。
とか言うと、それこそ正統派?演歌ファンたちから袋だたきにあいそうだが、どうしても『ブンガチャ節』のほうが「いい曲」だと思うのである。

何度も口ずさんでいると(助手さんは気味悪がっていたが)、『ブンガチャ節』のメロディは、「お~さななじみの想い出は……」に通じるものがあることに気づいた。

こちらは永六輔・作詞、中村八大・作曲……かあ。
中村八大は日本の作曲家の中でもトップクラスのメロディメイカー。なるほどね。だから『ブンガチャ節』が「いい曲」に聞こえるのは当然なのだね。

結論:
演歌というジャンルを論じるのはあまり意味がない。
結局は、いいメロディかどうか、というのが、僕の中では音楽の価値基準だということなんだろう。
でも、その「いいメロディ」とは何か……となると、これがまた、実は人それぞれ持っている「音感」が違うので、いいメロディもいい音楽も、人により違ってくる……というのが、音楽をずっとやってきて得た結論。
そのことはずいぶん前に本一冊分の文章にまとめたことがある。⇒ここで読めます
ここまで考察してきて、少しも進歩はなかったのか……。
でもまあ、『東京節』のサビと『ブンガチャ節』の1番が歌えるようになったから、よしとしておこう。
ぶんがちゃっちゃぶんがちゃっちゃ……♪


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