2011/03/26

全村避難の川内村へ戻る

明日は疲れるから寝ておかなければと思うと、寝られない。性格だから仕方がない。
11日、地震があった日の夜なんか、何度も大きな余震があっても鼾をかいて寝ていたのに。
朝、8時前に出発。
首都高が混んでいて、守谷SAに着いたのは9時10分くらい。
このガイガーカウンターは、デフォルトで0.3マイクロシーベルト/時を超えると鳴動するのだが、バイブレーションはうるさいし電池も消耗するので切ってしまった。
警告音も鳴りっぱなしなので、0.3から0.9に上げた。
守谷SAではまだこんなもの。

海側に近づくにつれ、数値はあがり、鳴りっぱなしなので、何度も警告音の閾値を上側に変更する


福島第一原発へ向かう救援車輌だろう


名古屋市消防局の特殊車両


たのんまっせ

守谷SA:最高値が0.46
友部SA:0.33
日立北、1.08。トンネルに入ると一気に下がって0.12~0.52くらいになる。
関本PA:1.62
いわき湯ノ岳PA:2.04
ここは外に出たわけではなく、通過している車の中(換気は当然OFFにしている)での計測値。
いわき市は海沿いだから高いのだろう。いわきJCTで磐越道に入るまではずっと高かった。
磐越道に入って内陸側に走るにつれ、数値が下がっていく。
差塩PA:0.45
小野町:0.29

小野町でスタンドを見たが、ほとんどが閉鎖。開いているスタンドには車の列。補給できないまま、鬼ヶ城経由で川内村に向かう。
雪がちらつき始めて不安が高まる。予報では一日中晴れるはずだったのに。
小野富岡線が工事で通行止めになったまま原発事故が起きて、このままだと当分通れない。鬼ヶ城を回ると10km以上遠回りになる。
鬼ヶ城付近は雪が積もっていて、スタッドレスでも滑った。ここでガイガーカウンターの数値は一気に上がり、5を超える。最高値は5.6マイクロシーベルト。
山を越えて標高が下がると数値も下がる。
荻:3.02~1.04
川内村に入ると一気に下がり、0.89。

最初に元広域消防のS田さんの家に行った。
昨日、ビッグパレットにいるけんちゃん(ジョンの飼い主でもあるお隣さん。役場の総務係長)とケータイで話し、うちの近所ではS田さんが残っていると知ったからだ。うちの入り口にある田圃の主で、ジョンのお散歩のとき、よく立ち話をしている。
困ったことに、空がかき曇り、雪が激しくなってきた。雪に濡れながら、ガソリンと救援食料をS田さんちに運び入れた。
S田さんは、一度は避難したものの、老齢の親を抱えているため戻ってきたという。年寄りには避難所の集団生活は辛い。トイレや風呂も自由にならないし、床の上に寝泊まりでは、たちまち体力や神経が消耗する。実際、すでにあちこちの避難所でお年寄りが何人も亡くなっていると報道されている。
それなら、放射性物質被曝がどうのよりも、いつも通りの家の生活に戻ったほうがずっといいという判断は仕方がない。僕も、S田さんの立場だったらそうする。
村には電気が来ているし、水はもともと水道がなく、全戸が井戸か沢水利用だから、電気さえ来ていれば水も普通に出る。問題は通信の遮断で誰とも連絡が取れないこと、情報が入らないことと、ガソリンがないために移動ができないこと。村の中にわずかにあった店もすべて閉じている。
小野富岡線が工事で通行止めのまま放置されたので、小野に出るのも往復60km。富岡側は当然シャットアウトだから、一番近い店に行くにも、往復でガソリン5~6リットルは消費する。
都会の人たちの車が動かないというのとはわけが違う。
役場のけんちゃんの話では、ガソリンさえあれば移動ができるので避難するという家には20リットルずつ配給が完了したので大丈夫ですよ、とのことだったが、S田さんに訊くと、やはりガソリンはないという。
東北人は大人しく忍耐強い人が多いので、こんなときでも他の人たちのことを考え、「ガソリンよこせ」と強く言わないのだろう。
困っている人たちの間で分配してくださいとお願いして、ガソリンを含め、持っていった救援物資を全部S田さんに託した。

我が家に戻り、最初にしたのはシロやしんちゃんのご飯の補給。シロもしんちゃんも顔を見せなかった。村長の避難指示に従ったのだろうか。
それから改めて家の内外を点検しつつ、持ち出せなかったものを積んだり、いろいろ。


新しいキャットフードの袋(2.5kgと2.7kg)を一気に開けて置いた


雪がどんどん積もってきて、ベランダはこの状態


なんて意地悪なんだ、この天候


ジョンの小屋の中に、ドッグフード一袋を入れてきた

今回いちばん悩んだのは、車のタイヤをどうするかだった。スタッドレスを履いたままなのだが、このまま長期間ここに戻れないとなると、スタッドレスのまま春になり夏になる。できることならノーマルタイヤに交換してからここを離れたいと思ったのだが、雪が降り、積もり始めている。ノーマルタイヤに履き替えたら、雪の積もった鬼ヶ城の峠でスリップして帰れなくなる恐れもある。
それに、タイヤ交換は重労働なので、放射性物質を不必要に吸い込むのも怖い。這いつくばったり息を切らしたりしながら、泥のついたタイヤを扱うのだから。タイヤには放射性物質が付着しており、地面には放射能を帯びた雪が積もり、ぐちゃぐちゃになっている。こんな環境で汚れ仕事はしたくない。
一度、二度、三度考えて、やはりやめようと思ったのだが、最後、何度目かに考え直して、えいやっとやることにした。
この程度のこともできないようなら、これから先が思いやられる。大丈夫なのだと言いきかせるためにも。
我ながらバカかなあと思う。
やりながら、放射性物質だらけの事故現場で、今、作業をしている人たちの恐怖を、改めて思い知った。
こんなに放射線量が低い場所でさえ、雪が降る中、外にいるだけで怖いのだ。テレビで、雪がちらつく屋外で濡れながらインタビューを受けている避難者の映像などを見ているときは、「テレビカメラになんかつき合わず、早く屋内に引っ込んでじっとしていなさいよ」と思うのに、人間、いざ、目の前に作業目標があると、やってしまうものなのだな。
マスクをしても、眼鏡が曇って何も見えなくなるので結局はマスクを外すしかない。
原発労働者もみんなそうだという。ゴーグルをしていると曇って何もできないから外してしまうのだと。
衣服に雪や泥をつけるといけないと分かっていても、実際には這いつくばったり、濡れるのもかまわずに外で動いたりしなければならない場面があれば、そうしてしまう。
僕のタイヤ交換はバカだと思うが、原発の現場では国の命運がかかった作業なのだから、必死になるあまりに長靴を履かず、溜まった水がくるぶしに入ってくるくらいのことはいくらでも起きるだろう。それを不注意だとか準備が甘いなどと責めることはできないなと、ホイールボルトを外したり締めたりしながら思った。

そうこうするうちに雪が通り過ぎ、晴れ間が出てきた。
積もり始めていた雪も見る見る溶けていく。ほっとする。

家を後にする前、改めて池などを確認。
沢水パイプからは勢いよく水が出ていた。このままだとマツモ池にしか入らないので、分岐ホースをつないで従来通り、雨池側にも行くようにしたが、これって、数日で詰まってしまうんだよなあ。

春になったら根本的な改良をしようと思っていた矢先だけに、放射性物質汚染が憎い。
嫌なのは、池に近づくとガイガーカウンターがピピピっと鳴ることだ。水の中に放射性物質が溶け込んでいるという意味だろう。雪の表面に近づけても鳴る。
家の外は概ね高くて2マイクロシーベルト。家の中は1マイクロシーベルト前後。恐れる線量ではない。
福島市は、15日の2号機、4号機の爆発直後の夕方、市内の放射線量の数字がそれまでの1.75マイクロシーベルトから一気に20.26マイクロシーベルトにまで急上昇した。原発事故前までは0.04マイクロシーベルト前後だったそうだから、大変な数値だ。その後もずっと高い値で、最新版では、3月28日0時で3.79マイクロシーベルト(県北保健福祉事務所東側駐車場での測定値)。つまり、この駐車場でタイヤ交換作業をするよりは、我が家の倉庫の中でやるほうがずっとマシな環境だったわけだ。
ちなみに、郡山合同庁舎入り口での計測も3.06マイクロシーベルトあり、これは川内村の我が家周辺で記録した最高値よりずっと高い数値。皮肉なことだが、川内村村民が避難している郡山市より、村の中のほうがずっと放射線量は低い可能性がある。
要するに、ここ川内村での放射線量は全然大したことはない。塵を吸い込むのは嫌だが、多少吸い込んでも、まあ、問題が出るような量ではないだろう。ここ2週間でいっぱい勉強させられたので、今は冷静にそう判断できる。
しかし、こういう情報や理解は、ネットが使えるから得られる。自分に「大丈夫だ」と言いきかせられる。冷静になるためにも、村の通信が完全に遮断されている状態は一刻も早くなんとかしてもらわないといけないのだが、NTTは怖がって修理作業をしないのだという。
なんという意識の低さ。通信インフラは命をつないでいる。それを守るのが自分たちの仕事だという使命感が欠如しているとしか思えない。
過疎の村では、近所の人の家に行くにも車やバイクが必要。村に残っている人たちは、誰が残っているのかも分からない。5軒となりの○○さんは残っているかもしれないのに、ガソリンがないのでそこに行けない。
ビッグパレットに機能を移転させた村役場では、必死にリストを作成してネット上に公開しているが、それをいちばん必要としている村の人たちは、ネットが不通なので見られない。電話も使えないから、かたっぱしから近所に電話しまくって、誰が残っていて誰が避難したのかも確認できない。結果、村に残った人たち同士で連絡も取り合えず、ますます孤立する。どうしようもない。
確実に言えることは、川内村に限らず、原発周辺の地域では、放射性物質汚染で死ぬ住民はいなくても、物資が届かなかったり、インフラが回復しなかったり、ストレスの増大で疲弊したりということが積み重なって死ぬ人がいっぱいいるということだ。いちばん弱い人たちから順番に被害を被る。現実に、入院患者や老人たちは、原発事故の後に死んでいるのだ。

マツモ池。まだアカガエルの産卵は始まっていなかった


土手池と弁天池。雪が残っていて、これじゃあ気の早いアカガエルといえども産む気になれないだろう



池に近づくと線量計の数値が上がる。でもまあ、こんなもの


『奇跡の星』のプレートが倒れていたので起こしてきた。縁起悪いものね


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