このところ、内田樹という人の書いているものをよく読む。フェイスブックなどでいろんな情報をたどっていくと、この人の文章に行き当たることが多い。
これは大学の先輩が送ってくれる新聞切り抜きにも入っていた。
同じ文が内田氏のブログで読める。これは読んでおく価値があると思う。僕はこの内容に同感。
⇒こちら
長くて読む気がしないというかたのために、勝手にダイジェスト版を作ってみた。
国民を暴力や収奪から保護し、誰も飢えることがないように気配りすることを第一に考える政体を「国民国家」と呼ぶなら、日本は今、急速に「国民国家」であることをやめようとしている。
つまり、政府や官僚が、国民以外のもの、具体的にはグローバル企業(無国籍企業)の利益を最優先に考えて動くようになっている。
ことあるごとに、海外企業との競争に負けるようなら日本を出て行くぞ、そうさせないためには便宜を図れと政府に脅しをかける企業にとって、国民は「食い尽くすまで」は使いでのある資源である。そういう企業は自分たちのことを「日本の企業」であり、日本の利益を代表するものだと主張するが、実体は本来自分たちが負わなければならないリスクやコストを国民に負担させている(経済用語で言えば「外部化」させている)無国籍企業である。
こうした「企業利益の増大こそ国益の増大」という嘘を見破られないために、拝外主義的ナショナリズムを煽り立てる戦略もとられる。
この国で今行われていることは、「日本の富を各国、特にアメリカの超富裕層の個人資産へ移し替える」という作業である。
それを推し進める人たちが政治の要職につき、国政の舵をとっている。なぜか政治家も官僚もメディアも、それをうれしげにみつめている。
しかしまあ、この「国民国家の解体」という作業は日本だけでなく、全世界で起きていることだから、日本人だけが犠牲者というわけではない。そう考えれば少しは気が楽になるだろうか?
(以上、
⇒これを要約したつもり)
ちなみに、この内田樹氏について、今何かと世間を騒がせている大阪市長は、こんな風にコメントしていたことがある↓
「成長を目指すのか、成長を放棄するのか」……こんなことを言っている時点で、この人の資質の限界が見えてしまう。
敢えてこのくだらない土俵に乗って言わせてもらえば、あなたの言うような「成長」は、放棄するとかではなくて、もう
やめなければいけないと僕は思っているのよね。危険物であると思っている。だから、「成長を放棄してもいいのか?」なんて文言は脅しにもなってない。
あなたがたの言う「成長」の正体について、内田氏はきれいに論破している。実に気持ちがいい。
大新聞の社員、記者、編集者たちは、自分の意見を書けなくなった代わりに、内田氏のような論客に意見を「外部化」させているように思える。これは我が社の意見ではありませんよ、あくまでもこの人の意見です、という体裁で。
こうした「外部化」さえできなくなったとき、日本の言論統制は危険水域を越えて、もはや取り返しがつかないところまできてしまったと知るべきだろう。
で、同じブログ内に、彼が灘高校の文化祭に呼ばれてインタビューされたときの内容
「東北論」というのがある。これもまた実に興味深い。
こちらもちょっとだけ抜き出してみる。
//長期的に考えてみた場合、原子力発電を使うと日本の国土が汚染されて、取り返しのつかない損害をこうむるおそれがある。これは間違いない。だから、長期的にみたら「割に合わない」と考える方が合理的なんです。でも、グローバル資本主義者はそうは考えない。原発をいま再稼働すれば、今期の電力コストがこれだけ安くなる。それだけ今期の収益が出る。配当が増える。だったら、原発再稼働を要求するのが当然、というのが彼らの思考回路なんです。日本列島がどれほど汚染されようとも、個人資産が増えるなら、ぜんぜん問題ない。クオーターベースで損得を考える投資家にしてみたら、向こう三ヶ月間に巨大な地震が起きないなら、原発動かした方が利益が出るんです。だから再稼働を要求する。それは彼らにしてみたら合理的な判断なんです。反対する人間の気が知れない。投資家たちは個人資産の増減だけを気にしていて、どこかの国の国土が汚染されようと、どこかの国の人たちが故郷を失おうと、そんなことはどうでもいいんです。
僕たち日本国民は日本列島から出られない。ここで生きていくしかないと思っている。だから、国土が汚染されたら困るし、国民の健康が損なわれたら困る。でも、グローバル企業には気づかうべき国土もないし、扶養しなければいけない国民もない。誰のことも気づかわなくていい。株価のことだけ考えていればいい。
それはそれでしかたがないんです。そういう商売なんだから。でも、問題なのは、そういう人たちが国民国家の政策決定に深く関与しているということです。「国民国家なんてどうなっても構わない」と思っている人たちが、国民国家の政策を決定している。これはちょっとひどい話でしょう?
//
いいね!
今年から「東北学」という本に連載を始めたところなので、内田氏の「東北論」はなかなか興味深かった。
//一人ひとりは普通に、合理的に生きているつもりでいても、長いスパンで見ると、そういうふうにふるまわざるをえないような集団心理的な方向づけって、あるんだと思う。人形つかいに操られる人形のように動かされてしまう。
福島に原発ができ、六カ所村に再処理施設ができるのは、個別的に見ると、そのつどの政治判断とか自治体の都合とかがあって選ばれたように見えるけれど、そういう個別の選択とは違うレベルでは、もっと大きな歴史的な流れが見えてくるんじゃないかな。//
↑興味深い解釈だ。
東北には魔物がいる。それも、悪の大王のような分かりやすいものではなく、怨念や面従腹背や屈折が入り交じったやっかいな、理解しがたい魔物が。
面従腹背ならまだいいのだが、どうも最近では腹背の部分がスポッと抜け落ちてしまっている人たちが多い。それが問題。
今年80歳になる元テレビ局のアナウンサーは「太平洋戦争では、陸軍と海軍はまったく別々の戦争をしていた。相手にしているものが違っていた」と言っていた。これも興味深い発言だったので、今もずっと心に引っかかっている。
内田氏の会津藩の怨念論などとも結びつけて考察していくと、どんどん深く暗い歴史の闇が広がりそうな気がする。