助手さんが留守中の一人外食、3食目。これが最後だから、しっかりうまいものを食いたいな、ということで、厚労省が「現代の名工」に認定した食の達人がやっている名店「千とせ」へ。
駐車場が満杯ですでにはみ出して停めている車もある。よほど混んでいるのかなと思ったら、そうでもない。
午後1時を過ぎていたが、店の真ん中の4人席ではすでに食べ終わったおばさん4人組が談笑中。奥の席で3人客が注文を済ませて待っている。手前の席は空いていて、カウンターも誰もいない。
どうやら話し込んでいるおばさんたちはひとりひとり別々に車で来ているらしくて、それでお店が借りている駐車場4台分が満車状態になっているのだった。
おばさんたちは食べ終わってもなかなか帰ろうとしない。僕も、僕の後から来た3人の客も店主に「どこに停めればいいでしょう?」と訊いているのだから、食べ終わった自分たちが駐車場を占拠していることを少しは遠慮してもよさそうなものなのに。
一人客の僕は当然カウンターへ。
ここは500円ワンコインランチ(海老天重 or 鳥天重)が有名なのだが、お国から認定されている日光の誇る料理人に500円で天麩羅を揚げさせていいのだろうかと気後れして、前回も無理して刺身定食なんか頼んでしまった。
今日こそワンコインランチを……と思っていたのだが、やっぱり勇気がなくてミニ天丼うどんセット750円を注文。
注文した後で、談笑中の4人は何を食べたのだろうとチラッと見ると、500円ランチのお重が空になったまま置かれていた。
先に来ていた3人の客の席に運ばれてきたのはやはりワンコインランチだった。
その後、しばらくして僕が頼んだミニ天丼セットが来る。
大満足で食べ終わり、「ごちそうさま~」「ありがとうございました~」……と店を出たときも、まだおばさんたちは空になったお重を前にお喋りを続けていた。当然、駐車場も満杯になったまま。
国から「現代の名工」に認定されても、500円ワンコインランチで海老天重と鳥天重を毎日出し続けるご主人。店員を雇わず、ご夫婦ふたりだけで小さなお店をやっている。それが彼の美学なのだろう。
ランチタイムの採算がとれているとはとても思えない。
行くたびに、安くておいしくて、それなのに接客がていねいで、申し訳ない気持ちになる。
いつまでこのスタイルを続けてもらえるのかなあと不安にもなる。
この手の本格的な料理を出せるお店が経営を続けていけるのは、夜の営業でそこそこ利益を上げられるからだ。ランチタイムは地域社会への奉仕みたいなものだろう。それを十分にくみ取って、客の側も感謝の気持ちを持ち、最低限の心配りはしたいものだ。
おまえさんはなんで食い物の写真とかお店のリポートみたいなことをしつこく続けているのか? と思われているに違いない。今日はそのことをちょこっと書いてみる。
ひとつは、地域の商業というか、個人経営のお店がどうやって生き延びているのかも含めて、すごく興味があるからだ。
これは越後時代、阿武隈時代を経て、自分が住む地域にコミットする(大袈裟だけど)のにどういう形があるだろうと、いろいろ反省も含めて考えていることでもある。
いいお店があると幸せになる。暮らしが助かるし楽しめる。なにかちょっとでも恩返しができないかな、ということで、阿武隈時代は
http://abukuma.in/ というのを作って、応援したい個人商店や職人さんを紹介していた。
それが「フクシマ」で壊滅的な打撃を受け、僕も阿武隈を離れてしまった。
日光に来たら、いろんなことが「ほどほど」な感じで、そのふにゃっとした手応えが最初は物足りなかったのだが、「フクシマ」で疲れ果てていたこともあり、ほどほど感が少しずつ心地よくなってきた。
栃木の人たちはあまり出しゃばらない。どうだ、すごいだろ、という感じがあまりない。
でも、その控えめな暮らしの中で、ふにゃっと嬉しくなる時間がある。こんなところでこんな風に頑張っているんだなあ……という出逢い、経験が続いている。
「フクシマ」以降、abukuma.inのようなことをする気持ちにはなかなかなれなかったのだが、1年を過ぎたあたりから、少しずつ落ち着いてきた。
頑張らず、上から目線のミシュランもどきみたいにならず、「楽しませてもらっています」「いつもおいしいものをありがとうございます」「ていねいなお仕事、ありがとうございます」という感謝の気持ちを込めて、ゆる~く情報発信、情報蓄積していければいいかもね、という感じでいければいいのかなあ……と。
自分が自営業で、稼ぐのに苦労しているからということもある。
食べ物屋は特に、原価割れしていないのかなとか、この値段で出すためには仕入れで苦労しているだろうな、とか、どうしても考えてしまう。
もちろん、ここをこうすればもっと客が入るだろうに、とかもついつい考える。
いいお店を見つけて、二度三度と行くうちに笑顔で挨拶が交わせるようになる関係って、素敵だと思う。
僕はシャイだから、なかなかお愛想が言えない。いつもお店を出てから、後悔している。おいしいものをありがとうという気持ちを伝えたいのだけど、なかなか伝えられない。ま、基本が皮肉屋だしなあ……。
感じがいい店なのに肝心の味がダメとかもよくある。そういうときは困ってしまう。
逆に、おいしいお店なのに、店主は奥に引っ込んだまま、客が来て顔があっても「いらっしゃい」の一言も言わない。というようなお店もある。おいしいものを作るのにストイックになるあまりに、殻を作ってしまっているのだろうな、とか想像したりする。そんなときは、ああ、自分もそうなんだよな、とか思ったり……。
阿武隈から日光へ出てきて、これから先の自分の人生を考えてみたとき、いろんなものを自分から捨てること、捨てて変わっていくことが必要なんだろうと思っている。
楽しみや欲をひとつひとつ捨てて、その分の時間とエネルギーを本当に続けたいこと、極めたいことに傾ける。そうしていかないと、これからはもうレベルを保った活動ができないんじゃないか……と思う。
もちろん、捨ててはいけないものもある(最低限の倫理観とか)。捨てられないからいつまでも社会的には成功しない、ということもある(おかしいことをおかしいと言い続けることとか)。
いろんなこと、もう十分に分かってきた。何かをやる前に、こうすればこうなるだろうという予測も立つ。そういう歳になった。
難しいのはプライドの扱い……かな。
捨てたほうがいいプライドと、捨ててはいけないプライドがある。
千とせのご主人の生き方はかっこいい。名人と表彰されながらもワンコインランチをひとり黙々と作り続ける。
おいしいものを安くたべさせてもらった上に、人生まで教えられる……ほんとになんか、恐縮してしまうなあ。
それにしても日光は面白いところだ。自然はずいぶん削り取られて魅力が薄くなっているけれど、人の力が適度に動いていて、生活するのにちょうどいい空気感がある。
おっし、次回はなにを食おうかな。日光豚の生姜焼きっていうのもうまそうだなあ。
ミニ東丼(マグロのズケ丼)とうどんのセットというのもいいかなあ。うどんが一緒に楽しめるというのは、なんかすごく幸せな気分になれるのだよね。