「なるほど、すき家はいいですよね。牛丼やファストフードのチェーンは、じつは日本型の福祉の1つだと思います。北欧は高い税金を払って学費無料や低料金の医療を実現しています。ただ、労働規制が強く最低賃金が高いから、中華のランチを2人で食べて1万円くらいかかっちゃう。一方、日本は北欧型の福祉社会ではないけれど、すごく安いランチや洋服があって、あまりお金をかけずに暮らしていけます。つまり日本では企業がサービスという形で福祉を実現しているともいえる」この鼎談は前後2つに分けられていて、後半部分だけ読むとさしたる内容もなかったせいもあるだろうが、古市氏(1985年生まれ)のこの発言だけが切り取られて「とんでもない!」という反発、反論があちこちから出てきた。ここ とか ここ とか。
【田原】ところで、会社員の多くはつまらないと思って仕事をしているのに、なんでみんな辞めないんだろう。……という問いかけに対して、
【津田】最近、ある企業の勤務体系に感心しました。その企業は業績が落ちて人件費を抑制しなくちゃいけなくなったのですが、リストラはしたくない。そこで週5勤務を週4にして給料を20%カットするかわりに、副業禁止規定をなくした。つまり週休3日あるから、好きなように副業やバイトをしてもいいというわけです。これはワークシェアリングの一種。企業社会でなかなかチャレンジができずストレスを溜めている人にとって、この制度はいい回答になるんじゃないかと。……といったやりとりがあり、その後で、
【田原】追い出し部屋より、ずっといい。
【津田】そうです。休みの3日間はバイトしてもいいし、NPOで社会貢献したり、次に進むために資格の勉強をしたっていい。さっき古市さんがいったような自称写真家も、これならやっていけるかもしれない。その中で手ごたえがつかめれば、独立や転職という選択肢も現実的になります。
【古市】それは、一生勉強して成長することを求められるわけですよね。それはそれで耐えられない人も出てきそう。……という流れを受けての発言だった。
【津田】いや、休みの日はボーッとしたいなら、それでもいいんです。稼ぎが落ちても、困ったらすき家があるし。
【津田】家賃も東京ではなく埼玉や千葉で、駅から徒歩15分だと、かなり安い家賃で住めます。そこにネットがあれば、健康で文化的な生活は十分に送れます。……と続いている。
【古市】今やネットも福祉の1つです。LINEやフェイスブックのおかげで、友達とすごく安くやりとりできるようになった。これも健康で文化的な生活に貢献していると思います。
日本の会社は、能力のない人でもそこにいれば仕事を与えられて定年まで勤められるという社会福祉的な要素を持っていました。でもみんな猪子さんの会社(※注:プロジェクトごとにチームが自在に編成されて、そこで個々の社員が能力を発揮し、プロジェクトが終わればチームも解散して一社員に戻るような柔軟なシステムの会社)のようになれば、あぶれる人が出てくる。……と、ここでも「福祉」という言葉を使っている。
低所得者が低所得者の福祉を担うというのは、すなわち昨今問題になっている「老老介護」と同じ構図である。本来であれば介護される側の人間が、より動けない人間の介護を担う。これがいびつな構図であることは明らかだ。さらには、
余裕を持った人間が余裕を持たない人間を助けることが本来の福祉の構図である。しかし、現状としてはお金を持った、すなわち余裕を持った人間は一方的に金で福祉を買うことができる。その一方で、お金の少ない人たちは、安い福祉、もしくは家庭内福祉に頼らざるをえない。そして安い福祉では同時に福祉に就く労働者の賃金も安くなるのだから、老人が得られる福祉と引き替えに、若い労働者の未来が切り捨てられることになる。
牛丼屋のような安価な商品を提供するシステムは、牛丼のような安価な食品を必要とする低賃金労働者のために必要とされ、同時にその労働は安価な賃金で働かされる低賃金労働者によって賄われる。……とした上で、「牛丼福祉論はブラック企業の肯定に他ならず、日本が今後超克するべき現状である」と明言している。
格差問題の是正を主張する人たちは、高齢者が家族を養えるだけの豊かな生活水準を要求する一方で、我々若者向けには、せいぜい行政による職業訓練ぐらいしか要求しない。弱者であるはずなのに、彼らが目標とする救済レベルには大きな格差が存在するように思える。
どうしてこのような不平等が許容されるのか。それはワーキングプアの論理が「平和な社会の実現」に根ざす考え方だからだと、私は考える。平和な安定した社会を達成するためには、その人の生活レベルを維持することが最大目的となる。だから同じ弱者であっても、これまでにより多く消費してきた高齢者には、豊かな生活を保障し、少ない消費しかしてこなかった若者は貧困でも構わないという考え方に至ってしまうのではないか。
確かに、右傾化する若者たちの行動と、彼らが得る利益は反しているように見える。たとえば一時期のホリエモンブームなどは、貧困層に属する若者たちが富裕層を支持するという、極めて矛盾に満ちたものだった。小泉政権は改革と称して格差拡大政策を推し進めたし、安倍政権もその路線を継ぐのは間違いない。それでも若者たちは、小泉・安倍政権に好意的だ。韓国、中国、北朝鮮といったアジア諸国を見下し、日本の軍国化を支持することによって、結果的にこのネオコン・ネオリベ政権を下支えしている。
そこで当然、「それは本当に、当の若者たちを幸せにするのだろうか? 安直な右傾化は、若者たち自身の首を絞めているだけなのではないのか?」という疑問が提示されることとなる。だが私は、若者たちの右傾化はけっして不可解なことではないと思う。極めて単純な話、日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する。多くの若者は、それを望んでいるように思う。
識者たちは若者の右傾化を、「大いなるものと結びつきたい欲求」であり、現実逃避の表れであると結論づける。しかし、私たちが欲しているのは、そのような非現実的なものではない。私のような経済弱者は、窮状から脱し、社会的な地位を得て、家族を養い、一人前の人間としての尊厳を得られる可能性のある社会を求めているのだ。それはとても現実的な、そして人間として当然の欲求だろう。
そのために、戦争という手段を用いなければならないのは、非常に残念なことではあるが、そうした手段を望まなければならないほどに、社会の格差は大きく、かつ揺るぎないものになっているのだ。
戦争は悲惨だ。これだけ挑戦的な書き方をしなければ振り向いてもらえないまでに追い込まれていたひとつの才能に触れ、読んでいて単に「興味深い」を超えて、身が引き締まる思いだった。若い世代が抱えている危機感や閉塞感がここまできていることを常に意識した上でものを言わなければいけないのだな、と。
しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。
持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む。持つ者と持たざる者がハッキリと分かれ、そこに流動性が存在しない格差社会においては、もはや戦争はタブーではない。それどころか、反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる「持つ者」の傲慢であると受け止められるのである。
そこで、嫁と久々にサイゼリヤに行ったのですが、「なるほど、ここにみんないましたか」という感じだったんです。
まず年齢層が幅広い。10代から60代、70代まで幅広い客層が来店しています。そして、来店しているグループも2人や4人という複数人のグループではなく、1人で来ている方もいます。ファミレスだから当然ちゃ当然ですよね。しかも、1人で来ているお客さん(若い女性)がさらっと白ワインのデカンタを飲んでいたりするんですね。これは、居酒屋じゃ当然の風景ではないですよね。もちろん、複数人で来店して、「飲み屋がわり」に利用しているグループもおりました。なるほど、みなさんここにいらっしゃいましたか、と。
考えてみれば、「お通し」もないし、ワインは1杯100円だし(しかも並々と注いである)、ワインをボトルでいれても飲み残しを持って帰っても大丈夫だし、サイゼリヤの「お酒を飲む」お店としてのサービスレベルは高いと思うんですね。今までは駅周辺の居酒屋を散策していたのですが、なんだか「サイゼリヤで全然いいじゃん」と言う気分になっちゃいました。(しかも、どんなに頑張って食べて飲んでも1人2,000円くらいにしかならない)
私たちだって右肩上がりの時代ならば「今はフリーターでも、いつか正社員になって妻や子どもを養う」という夢ぐらいは持てたのかもしれない。だが、給料が増えず、平和なままの流動性なき今の日本では、我々はいつまでたっても貧困から抜け出すことはできない。……という部分を読んで思った。
我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か――。その可能性のひとつが、戦争である。
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