のぼみ~日記 2015

2015/07/16

きれいに変態したサトアオ(シュレーゲルアオガエル)

颱風が近づいているので、小雨の中、かわず庵の様子を見に行った。
昨日は上陸直後で、まだ尻尾が残っているサトアオの子を見つけたが、バケツの縁にきれいに変態し終えたサトアオ(シュレーゲルアオガエル)を見つけた。
本当にきれいだ。

いい湯だな……みたいな格好


アマガエルかと思ったが、立派なシュレだ


染み一つないのがサトアオ(シュレーゲルアオガエル)の自慢(当人は感じていないだろうが)


ぴょんと跳んで下に降りた。ほんとにきれいだ


ちなみにこちらはそばにいたアマガエル。差別するわけじゃないけど、見慣れちゃっているからあんまり興味わかない


ついでにこんなのも。産卵中のトンボに飛びかかるも逃げられたトウキョウダルマガエル

今日のオマケ サブトラックのない陸上競技場

新国立競技場の建設案を白紙に戻すと政府が決めたというニュースが流れた。
安保関連法案の強行採決に合わせてこういうニュースが流れるところが実に巧妙だ。どちらも支持率を下げる要素なら、一つを捨てて注目をそっちに集めようということだろう。
白紙に戻すといっても、じゃあどうするのかという話はまったく出てこない。まさに白紙状態。すでに国立競技場は壊してしまっているのにね。

共同通信社配信の動画↑(2015年5月12日公開 YouTube)


新国立競技場の予算案2520億円を1万円札の長さで表すと日本列島を縦断してもまだ足りないという話はすでに書いた。金額の馬鹿らしさは言うまでもないが、中身のなさ、あまりの無責任さについて、為末大氏が短い文章で適確に指摘しているので紹介しておきたい。

私は三つの立場から新国立競技場建設の今の案に反対です。
一つ目は陸上選手として反対です。新しい国立競技場はサブトラック(ウォーミングアップのためのグランド)がありません。五輪本番は仮設のもので行うようですが、その後は撤去される予定で、そうなると陸上競技の世界大会をルール上(サブトラックが必要)ひらくことができません。陸上選手としては国立競技場は陸上競技場でもあってほしいので、サブトラックがない案に反対です。

これを読んで本当に驚愕した。とんでもない金を注ぎ込んで作ろうとしている「競技場」が、オリンピック後にはまともな陸上競技会さえできないものになるというのだ。
どういうものを建てるのか決まる前にさっさと取り壊してしまったため、2020年までは国立競技場は使えない。その間、陸上競技が開けない。それだけでも陸上界にとってはマイナスなのに、完成した後も、今までの国立競技場時代よりもダメな環境になるわけだ。
いうまでもなく、選手たちにとっては観客席の数ではなく存分に勝負ができる設備であることが最重要なわけで、巨額の費用をかけて今までより環境が悪くなる、使えなくなるというのはどういうことなのか?

二つ目はスポーツ選手として反対です。国立競技場の建設に関するところに関わったと言われるアスリートは少なくとも私の周りにはいませんが、それでももし本当に建設されてしまったら、スポーツ界もしくはアスリートが日本に負担をかけたと言われることが予想されます。スポーツは社会の役にはたっても、お荷物だと思われるのは(仮にそれにアスリートが関わっていなくても)いやなので、反対です。

これも多くのアスリートたちに共通する思いだろう。
我々、一流アスリートではないほとんどの人間は、彼らの驚異的な運動能力や、ひとつのことを成し遂げようと日々努力する姿を見て感動する。彼らがここまで頑張れるのだから、自分も何かできるはずだ。よし、頑張ろう……なんて思うわけだが、そういう気持ちが、新国立競技場を見るたびに歪んでしまう。
数々の名勝負のシーンを思い浮かべるのではなく、森喜朗のにやけた顔や安藤忠雄の言い訳会見での台詞を思い浮かべる……そんな場所で競技をしなければならない選手たちは本当にいい迷惑だし、気の毒だ。

三つ目は日本人として反対です。新国立競技場は2500億の建設費、年間40億とも言われる維持費、さらに屋根などを今後建設することを考えるともっと予算が積み上がる可能性があると言われています。一つ目と矛盾するようですがスポーツの国際イベントなんて一年に一回あったらいい方で、それ以外のスポーツイベントでも8万人の競技場を満たすことなんてできません。標準規模の建設費で作り、スポーツは頑張って小さめの赤字、音楽などのイベントで黒字化し、せめて日々の維持費はまかなうというのがよいように思います。どう考えても経済的に負担が大きすぎる競技場を作ることは今の日本の状況から見ても反対です。

為末氏は「音楽などのイベントで黒字化し」と言っているが、それも僕は反対だ。

そもそもとんでもない巨費になったのは「屋根」のせいだという。陸上競技をやるのに屋根はいらない。

田中龍作ジャーナルの記事によれば、 新国立競技場の建設計画を話し合う「国立競技場将来構想有識者会議」が2012年3月に発足、同年7月に計画を正式決定した。石原都知事、森元首相、竹田JOC会長などを含む14人の委員の中には都倉俊一氏もいた。
 諸悪の根源である「ドーム型開閉式(屋根付き)」はここで決まった。作曲家の都倉俊一氏が「開閉式ドームをぜひお願いします・・・コンサートその他のイベントでは音響が大切になる」と提案し、それが採用されたのである。

 山本太郎議員が14日、参院内閣委員会・文教科学委員会連合審査会で追及した。
 屋根付きとした理由について、文科省スポーツ・青少年局長の久保公人局長は「コンサートの遮音のため」とする旨の答弁をした。
 JSC(日本スポーツ振興センター)の鬼沢佳弘理事は「コンサートの年間開催日数は12日間」と答えている。
 わずか12日間のコンサートのためにドーム型開閉式(屋根付き)競技場になったのである。開閉式の屋根は建設費を高騰させた元凶である。
田中龍作ジャーナルより)

競技場は競技をするための施設であって、音楽を聴く場所じゃない。8万人収容のコンサートなんて、まともに音楽を聴けるものではない。あったとしたら、単に人がいっぱい集まってわ~わ~騒いでお祭り気分を味わうというようなものになるだろう。そういうものをあそこに作る必要はさらさらない。黒字化に貢献できるとも到底思えない。
都倉氏は2015年7月7日の「有識者会議」席上でも「世界のアーティストが憧れる有数のコンサート会場になることは明らか。(開閉式)屋根はマストだ。将来の採算のためにも中途半端でないものを造ってほしい」と、屋根に固執した(産経ニュース)そうだが、そんな恥ずかしいいわく付きの箱ものでコンサートをやりたいと思うアーティストがいたら知性と教養を疑われるだろう。

ところで、新国立競技場のもともとのザハ案としての完成予想図↓

や、その後の修正案としてのこの図↓

を我々はずいぶん見せられてきたが、そもそもこれは上からの俯瞰図であって、普段、この角度から見ることはない。
競技場のそばに行った人は下から見上げるわけだから、巨大な壁、あるいは鉄橋のようなものが見えるだけだ。
全体のデザインがどうのこうのとかいう問題より、周囲の環境にどれだけ無理なく溶け込むか、負荷をかけないかが重要なことは言うまでもない。屋根がどうのこうのと言い合っていること自体があまりにも馬鹿げている。馬鹿すぎてコントのネタにしかならない。(実際、ネット上ではすでに「こんなのどう?」というジョーク画像がいっぱい出現している)


計画案の白紙撤回を受けて、為末氏のブログが更新されていた。これまた素晴らしい文章なので一部を転載しておく。

私のアスリートとしての願いとしては国立競技場は聖域であることをやめ、毎日国民に使われるすべての人にひらかれた国立競技場を目指して欲しいと思います。これまで国立競技場を含めスポーツ施設は、勝手に入ってはいけない、迂闊に触れてはならない聖域のように扱われてきたと思います。その空気は権威のようなものをスポーツ界に与えはしましたが、すべての人がスポーツを気軽に楽しむということを遠ざけてきました。

私の原体験は、海外のスタジアムにカフェとレストランやホテルが併設され、ことあるごとにそこでパーティーが行われ、宿泊し、また毎日そこが地元の方のコミュニティになっていた風景です。朝子供達がサッカーをし、昼間おじいちゃんがペタンクを楽しみ、午後からトップ選手も含んだ陸上チームがトレーニングを始め、近所の方がそこでビールを飲みながらスタジアムを眺めている。スタジアムはどんな建物かではなく、そこにどれだけの人が集まるかで価値が決まります。スポーツをしない人に使われるにはどうしたらいいかを視点の一つに入れて欲しいと思います。

五輪後の未来の街はどうあるべきかというところから議論がはじまって欲しいと思います。1964年の競技場が2014年まで使っていたことを考えると、2020年に作られる新国立競技場は短くとも2070年まで使用することになります。

2070年にどんな社会を目指すべきか。私はその時にはスポーツが一部のチャンピオンを目指す人たちだけの触れ難い聖域ではなく、すべての人にとって身近で親しみのあるものになっていてほしいと考えます。

こういう視点で計画されるのがあたりまえなのに、トンチンカンな話しかでてこない。荒唐無稽な案を平気で「決定」として発表する、それっと群がるように寄ってたかって壊してしまった後で「できそうもない」と言い出す。それで誰も責任を取らない偉いさんやら「有識者」やら……。
原発爆発後、除染バブルやら汚染水対策やら最終処分場問題やらでそういう図をたくさん見せられてきた。
日本ってそんな国なんだなあと思うと、本当に情けなくなる。









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