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のぼみ~日記 2015

2015/10/05

椅子が原因?




最近、左足太股外側にザワザワと静電気が走るような違和感があると書いたら、「感覚異常性大腿神経痛」というものではないかと、てっちゃんが教えてくれた。
「太股の外側にかなり広い範囲でシビレが起こるが、筋肉の麻痺は一切伴わない」というのは、まさにその通りなので、そうかもしれない。
で、原因は、この神経が骨盤に入るところで、靱帯で押されたり外から圧迫を受けるため、らしい。
きついズボンを穿いているということはないので、神経を圧迫するような要因が他にないだろうか……と考えていたところ、たまたま仕事中にカタ~ンと音がして何かが床に落ちた。
見るとビス。どこから? と確かめると椅子の裏から。さらによく調べたら、他にもすでに1本抜け落ちていて、残りの2本もガタガタになっている。
で、そのビスを入れ直そうとしたら、でかい鉄片が落ちた。
これをよく見ると、二つ折りの鉄片が真ん中で見事に割れている。
仕事用の椅子は腰痛対策のために座面が2つに割れていて動くという特殊な椅子なのだが、この座面の片方を支えている板バネが折れているのだった。
そのために座面が歪んで、ビスも緩んできて落ちたのだろう。
どうも板バネが折れたのはだいぶ前のことで、折れたままぶら下がっていたのが落ちて気がついたということみたいだ。
苦労してビスだけは元に戻して、何事もなかったかのように使っていたのだが、もしや……と思って手で押すと、右と左の反発力がまったく違う。左側は板バネが抜けた状態だからパカパカ動くが、右はバネが利いていて簡単には動かない。
座っていて特に違和感は感じなかったのだが、腰は常にお尻の左側だけが支える力がなくなっているわけで、知らないうちに左側の尻だけ不自然に力がかかっていて神経を圧迫していたのかもしれない。
であれば、この椅子は諦めて新しい椅子を買うしかない。
一日のうちの相当な時間を仕事用椅子の上で過ごしているのだから、ケチって変なモノを買ってはいけない。しかし、座って確かめて買うのも難しい。
宇都宮のニトリまで行ってみようかと思ったが、結局アマゾンで探すことにした。
新しい椅子が来るまではまもちゃんが作った椅子でパソコンに向かう。これでもいいかな~と思うほど自然なのだが、机は2つあるので、どっちみち椅子も2つ必要なのだ。

フィラメントLED電球


フェイスブックで、これを紹介している人がいた。LEDの冷たさ、ドライさがなくて、昔の灯りの暖かさを演出するという趣向。いいなあ、これ。
こういう「日本の力」が好きだ。(↑画像をクリックすると商品ラインアップを表示)

上の写真は「サイフォン」というブランドの高級品だが、1つ1000円くらいの廉価な製品もあるみたいだ↓。

安いやつは中国製だろうから、耐久性に不安が残るけれど、お試しにはいいかもしれない

『宗教の社会貢献を問い直す』

これもフェイスブック経由で知ったのだが、宗教社会学者・白波瀬達也氏(関西学院大学社会学部准教授)の『宗教の社会貢献を問い直す』(ナカニシヤ出版)解説記事(Christian Today, Japan)が非常に興味深かった。

白波氏は大阪・釜ヶ崎でのキリスト教会による野宿者支援活動の実態をおよそ13年間、数百回の現場訪問調査をした上で、ホームレス支援を行うキリスト教会には「運動型」と「布教型」の2つのタイプがある、と分析している。
「運動型」は、路上生活からの脱却を目指すべく、福祉制度や行政にも働き掛けていく活動をしています。
「布教型」は、路上生活からの脱却よりもむしろ内面の救済を目標にして、政治や福祉制度にはほとんど関心がないのです。両者の教会には壁があって、交流も接点もほとんどない。
「運動型」は40年以上の支援の歴史があって、労働運動による支援が盛んな時代は、宗教による支援はむしろ労働者の意識を社会のひずみから目をそらすものだという批判も強く、その中で試行錯誤しながらずっと活動してきましたので、支援の中で「布教をしない」というのは自分たちの信仰的な信念としてあります。
そこからすると、1990年代以降増えた「布教型」の教会の活動は、弱みに付け込んだやり方ではないかという批判があります。また「布教型」の教会は、行政や福祉、他の教会と関わろうとしないという側面があります。
同ページにある著者インタビューより)

以下も、Christian Today, Japanの紹介記事からの抜粋だ。

野宿者にとって伝道集会での食事は命綱となる。教会の名前を知らなくても、「カレーの教会」「どんぶりの教会」と識別している人もおり、それは野宿者が生き抜くための戦略であると、白波瀬氏は述べている。しかし同時に、説教や礼拝が説得力を持つこともあるという。野宿者は家族や会社から切り離され、普段は互いの経歴に触れることはタブーの「匿名」の世界で生きている。「承認の不在」の中、生きる意味を求めて教会を訪れる人もまた確かにいるのだ。 ある野宿者の言葉は象徴的だ。

「だからまぁ言うたら炊き出し目当てですわな。でも、それだけと違って、せやねえ、牧師とね、握手するためですわな。伝道集会に行ったら、牧師が「元気にしとったか?」って握手してくれるんやね。それが嬉しいてね。昔はずいぶん世話になったしね、顔見せにいってるんですわ」

教会は食事を提供してくれるとともに、自己を全人格的に受容してくれる場所でもある。その中で自分の生をより肯定的に受け止めることができるという側面も確かに存在すると、白波瀬氏は述べている。

「布教型」教会では、生活保護や自立支援制度などよりも、「霊的次元の救済活動」に力点を置いているという。引用されている地の果て宣教教会の牧師の言葉が象徴的だ。

「主はせっかく福音を聞かせるために、人々を路上に連れ出しているのに、社会復帰を名目に支援することは神の意志に反しています。(中略)野宿者になったことによって教会に来るようになり、生きる意味と価値を見つけた人はいっぱいいるわけです。それを元に戻して福音から遠ざけるのは霊的ではないし、 良くない」

そこから白波瀬氏は、韓国系プロテスタント教会のホームレス支援は、「信仰に基づいた野宿者の自立支援活動」というよりも、「自教会の信者形成」に重点があると指摘している。


「公共領域の中で宗教活動をどう位置付けるか、ということです。社会活動の中で「布教はしない」「他者に信仰を強要しない」ということは、社会の中の当然のルールなわけです。でも、宗教による社会活動の中で、信仰を受容することで生きづらさを克服していく人もいます。それを「布教」だから駄目だといえるのか? どう評価できるのか?」


この2ページのWEB記事を僕はとても興味深く読んだ。

僕は幼稚園(福島市)、中学高校(横浜市の聖光学院)、大学(上智大学)と、小学校6年間以外の12年間、キリスト教系の学校に通っていた。
お袋は日本聖公会で、お袋の兄弟は長兄がプロテスタント(晩年は養老院がカトリック系だったのでカトリックに改宗)、長姉はエホバの証人、二番目の姉が創価学会、三番目の姉と妹がカトリック(妹は修道女になった後、中年になってから父親の歳ほどの子持ち男性と結婚するために還俗)というものすごい環境で育った。
多くの修道士や神父さんたちとも交流があったし、同じカトリックの神父さんでも、実にさまざま、人間くさいキャラクターの人たちがいて、それぞれ内に秘めた哲学も違うことをよく知っている。
それだけに、単純に「信仰がすべて」「神は絶対的存在」みたいなタイプの人に会うと、どうしてもドライに接してしまう。
他人に布教しようとする前に、どれだけ勉強し、苦しんだの? パスカルやキルケゴールだって、いっぱい悩んだ末に、「転ん」だり「悟っ」たりしたんだけどなあ。ニーチェやサルトルもちゃんと読んだんでしょうね? あなたが言っている言葉は全然心に響いてこないんだけれど、親やグループのリーダーが言っている言葉の繰り返し再生にすぎないんではないの? ……と。

だから、こういう外からの観察や調査をもとにして宗教の意義や役割、布教活動のあり方、宗教界でどう生きていくかという問題を考えていこうとするアプローチはとても新鮮に映ったのだ。

もちろん答えなんか簡単には出ない。簡単に答えが出せるような問題なら、最初から興味がない。
神と人間の関係を説くよりも、まずは人間と人間の関係、自然との関係をとことん考え、悩み、絶望し、そこから先に何があるのか、あるいはないのかを日々考えることのほうが「宗教的な行為」だろうと思う。
それをしないと、ただの「とにかく明るい宗教者」か、宗教戦争を引き起こす「狂信者」になるんじゃないのかな。

宗教も音楽(芸術)も、簡単な道は「二流」だよ。
修業しなくてもいいから、少なくとも「悩み抜く」ことは必要でしょ。悩んだ末に偏狭になる人もいるけれど、その過程、悩んでいるんだなあと分かれば、接し方も優しく、寛容になれる。
僕のことを否定してくる相手にも、「ああ、この人も孤独に悩んでいるんだな」と分かるから。



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「福島問題」の本質とは何か?


『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』(岩波ジュニア新書 240ページ)
『裸のフクシマ』以後、さらに混迷を深めていった福島から、若い世代へ向けての渾身の伝言。
複数の中学校・高校が入試問題(国語長文読解)に採用。大人にこそ読んでほしい!

第1章 あの日何が起きたのか
第2章 日本は放射能汚染国家になった
第3章 壊されたコミュニティ
第4章 原子力の正体
第5章 放射能より怖いもの
第6章 エネルギー問題の嘘と真実
第7章 3・11後の日本を生きる

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裸のフクシマ  『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(講談社 単行本352ページ)
ニュースでは語られないフクシマの真実を、原発25kmの自宅からの目で収集・発信。驚愕の事実、メディアが語ろうとしない現実的提言が満載。

第1章 「いちエフ」では実際に何が起きていたのか?
第2章 国も住民も認めたくない放射能汚染の現実
第3章 「フクシマ丸裸作戦」が始まった
第4章 「奇跡の村」川内村の人間模様
第5章 裸のフクシマ
かなり長いあとがき 『マリアの父親』と鐸木三郎兵衛

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