NHK朝の連続テレビ小説『べっぴんさん』のデタラメぶり、いい加減さがあまりにもひどい。
時代考証が滅茶苦茶だとか、ストーリー展開が雑でつまらんとか、そういうのは今までのドラマにもいっぱいあったけれど、主要登場人物がこれだけ不愉快な輩ばかりというのは初めてだろう。
森友学園騒動の報道と同じで、もはやみんな「怖い物見たさ」ならぬ「ひどい物見たさ」で見続けている感じだ。一体どこまでひどくなるのか、想像を超えたひどさを見てみたい……というような
新しい好奇心で視聴率が支えられているとでもいうか……。
特に主役のすみれ、その娘のさくら二人の人間性があまりにもゲスで不愉快極まりない。なぜあそこまでひどい人格に描くのか不思議だ。
根本的に、何をめざしているのだ。
今期の朝ドラは。
ファミリアの現社長の母が、友人の男を略奪しようとした卑劣極まりないドラマを描いて、本気で炎上商法をやるつもりなのか。
朝ドラは社会常識のある人に作ってほしい
全てが酷すぎる。モデルを冒涜する作品だ。再放送など絶対してほしくない。
ドラマって日常と非日常の差をドラマチックに描いて視聴者を楽しませるものだと思います。でもこのドラマで描かれる日常がすでに異常で、感情移入ができない。この脚本家の日常って、ここまで異常だったのだろうか? もう限界です。
あまりにもくやしくて 神戸に生まれ育ち、ファミリアの手提げををスクールバッグの横にさげ、お友達の赤ちゃんには、あの箱入りの肌着セットをおくりました。このドラマをどれだけ楽しみにしていたか脚本家の方はわかっているのでしょうか? 意味のわからない娘の話でぐちゃぐちゃにして、私の青春時代まで汚されてしまった気がします。皆さんが書いているこの書き込みをNHKに見てもらいたいです。
こんなに怒りが収まらないのは誰の目から見ても卑劣で諸悪の根源のすみれ&さくら母娘なのに、ドラマの中ではまるで正義として扱われて持ち上げられ続けていることの矛盾が、こちらの心をえぐられ蝕まれていくような不快感になっているから。(略)自己愛ばかりの似たもの親子のおぞましい物語、いったい何が楽しくて作ったのだろう…
これでは実在モデルのファミリアに余りに失礼じゃないのか?
このドラマ作ってる方たちはちゃんと出来たもの、見てます? 視聴者の様に通して見てます? チェックとかしてないの??? 話の辻褄、繋がりとか、設定とか色々、全部おかしいですよ!
ドラマは朝ドラしか観てない私にとっては大阪制作には期待をしていたが今作は酷すぎる。
フルタイムで仕事・子育て済みですが、さくら、健太郎、龍一の成人した姿を見るにつけ、耐えがたい思いです。経済的にもゆたかで母親達の心をこめた子供服を着せてもらったはずの子供達のいい加減さ、傲慢な態度、甘えた生活態度など、仕事と子育てを必死にこなしている女性に対して、ひどいドラマと思います。(略)まじめに仕事をしているひとにみせる価値はありません。笑いひとつとれないドラマ、脚本演出は仕事をどう思っているのでしょう。
道徳なし。常識なし。涙なし。笑いなし。先人への敬意なし。思いやりなし。学ぶ姿勢なし。
出来事の羅列ばかりで心の通い合いもなし。どうしたらこんなにひどいドラマが作れるのか不思議です。制作陣に常識人はいないのでしょうか。この酷い脚本を誰も止める人がいないのでしょうか。大人になっての無知は罪です。
面白くないドラマ、つまらないドラマはたくさんあります。しかしそれは好みがあるから仕方ない。作りてが精一杯作っているのであれば。
この「べっぴんさん」は違います。脚本家は明らかに勉強不足で、モデルにした企業や創業者への敬意や登場人物への愛情がない。脚本そのものもおそらくあらすじのようなものではないか。さらに時代考証も演出もセットもいい加減。多くの人が楽しみにしている朝の連続テレビ小説を作る、という責任を放棄しているように見えます。ドラマを見てこんな感想を持ったのは初めてです。
朝ドラ如きにイラつく自分が嫌になるし、いちいち文句を言いたくなって、性格も悪くなってきた気がする。眉間に皺寄せて見てるし、見た後、気分が沈む。こんなんじゃ家庭平和に寄与しないばかりか、不和を招くんじゃない?このドラマ。
……以上、
Yahoo!の「みんなの感想」よりごく一部を抜粋。
「炎上」というのは普通、品のない罵詈雑言や無責任な放言であふれているものだが、↑こういうコメントのほとんどがしごく真面目に書かれている。書いている人たちも「62歳の爺です」とか「1948年生まれですが」など、若くない人たちが多いようだ。
そういう、普段は声を上げないような人たちが、このドラマのひどさだけはちょっと許せない、信じられない、黙っていられないという思いで書き込んでいるのが分かる。
キャラクターデザインと芸術性
……で、脚本・演出etcのひどさはみなさん訴えているので、ここではこのドラマを見ていて気になったまったく別のことについて考えてみた。
それは「キャラクター」「デザイン」「色使い」「描画」などに対する反応の違いだ。
少し前、永野という芸人が「ピカソより普通にラッセンが好き~」というギャグでもてはやされたが、あのフレーズの中の「普通に」がどうしても僕には理解できなかった。
普通に考えればラッセンはゲスの最右翼であり、ピカソは芸術性を追求したアーティストの代表だろう。それを「普通にラッセンが好き」というのは、自虐ネタのつもりなんだろうか? もしかして、彼(永野)は本気で(ごく自然に)ラッセンのほうが「絵」としてピカソより優れていると思っているのではないか? そう考えたときに、ちょっとゾッとした。
音楽におけるメロディの価値という話は今まで何度もしてきた。同様に、美術的なセンスというものに対しても、孤独を感じなければいけないのが人間社会なのかもしれないなあ……と思った。
で、『べっぴんさん』だが、最初に「なんじゃこれは?」と思ったのは、『べっぴんさん』の舞台であるベビー用品メーカー「キアリス」に不正入社?する主人公の娘・さくらが、入社試験で描いたというイラスト↓。
『べっぴんさん』で両親が経営する会社の入社試験で娘・さくらが描いたイラスト
一目見て、なんじゃこりゃ、俗悪の極みだなと思った。それを、ドラマの中では、デザイン部の先輩社員たちが「すごいと思います」なんてベタ誉めしているという不自然さ。
しかも、他の入社希望者が描いたイラストもチラッと出てくるのだが、そのどれもがさくらが描いた絵に比べたらよほどマシなのだ↓。
他の入社志願者が描いたイラスト。さくらが描いたやつに比べればはるかにいい
最終的に残った3人の作品。ペンギンや鹿やネコは落とされている。これに比べればどれも「何か」を感じさせる絵だったのに
で、この3人(上下一組)から選べといわれたら、僕なら左のやつをまっ先に「才能なし!」として落とす
他の理由で採用するにしても、デザインに関する仕事だけはやらせない
この絵だけが画材が絵の具で背景まで塗られているのも不自然(ドラマの中での安直インチキ手法)だが、それよりなにより、センスが低俗すぎる。子供用「バーベキュー」食器というのも意味が分からないし……
このときも、もしかしてドラマの制作陣はみんなこの絵の俗悪さ、才能のなさを指摘せず、この絵を他の絵よりも「よい」と本気で思っているのだろうかと、ゾッとしたのだ。
これぞまさに「ピカソより
普通にラッセンが好き」の世界なのか?
その後、ドラマの後半ではすっかり「悪役主人公」として大活躍している感の「さくら」が、自分が考えたキャラクターだとして「リスのサミーちゃん」という、それまでずっとキアリスのイメージキャラとして使われてきたリス(創業者メンバーの一人・君枝が考案)をもう少し俗っぽくしたイラストを持ち出してきて、それをやはり不正入社した夫(入社3年目で部長)が上司の許可もなく有名文具メーカーに使わせるライセンス契約を締結するというトンデモなお話になり、ますます視聴者から「ふざけるな!」の声が殺到して大炎上した。
すでに多くの方がご意見を述べられてますが、さくらが考えたというリスのサミーちゃんは、20年以上前に君枝が考えたキャラクターです。スタッフの方、お忘れですか?
いい加減な筋書きに、いい加減な台詞、視聴者も食傷気味です。(略)
サミーちゃんのパテント使用の件、ロイヤリティ収入云々以前に、正式にパテント登録したかしら? 部内会議もせず、稟議申請もせず、取締役会での承認もなく、部長の独断で行える商談ではありません。
一般社会の常識もなく、よくもまあ次から次へと、いい加減な事ばかり流してくれますね。
君枝のリスとサミーちゃんの違い
つなぎのズボンを着ている方がサミーちゃん。胸にSのマークが付いている。
君枝のリスの方がかわいい。
(これもYahoo!の「みんなの感想」より)
最初これは、さくらに相当する実在のモデル・板野(岡崎)光子(てるこ)さんがアメリカ留学中にスヌーピーのキャラクターが好きになり、日本に戻ってからも、あまり気乗りしない両親を説得してスヌーピーの使用・販売に関するライセンス契約を結ばせ、大成功した
というエピソードにちなむものなのかと思ったのだが、どうもそうでもないらしい。
キアリスのモデルになっているファミリアには、自社のオリジナルキャラクターとして
ファミちゃんリアちゃんというクマ?がいて、そのおともだちにシマリスのカリカリというのもいるらしいのだ。
サミーちゃんはこのシマリスのカリカリをコピーしたものだろう。
ファミちゃんリアちゃんは、ぬいぐるみはまだしも、イラストはほんとに……ああ……。
子供向けの動物キャラクターをとりあげて、なにをそんなにカリカリしているのかと言われそうだが、子供が見るものだからこそセンスは重要だろう。
子供のときから親がダメダメなものを「可愛い」と言い続けて見せていたら、子供も「こういうのがいいんだ」と学習してしまい、生涯、そういうセンスが身についてしまうかもしれない。
だから、子供が目に触れるもの、聴くもの、読むものこそ、最初からレベルの高いもの、本物でなければならない。俗悪動物キャラの絵本なんか与えるより、最初から若冲やクレーの絵を見せればよろしい。
スヌーピーは好きだけれどミッキーは嫌いだ
動物キャラということでいえば、僕は基本的にその動物本来の造形的魅力(実際の可愛さ)を表現できていなければ「可愛くない」と思っている。
安直に睫や眉毛をつけたり、目をパッチリさせてみたり、リボンをつけたり半ズボンやスカートをはかせて「可愛いでしょ」というのはいちばんどうしようもないやり方。それこそデザイナーとして「才能なし!」だろう。
ちなみにスヌーピーは僕も大好きだった。ピーナツブックスはお金を出して買ったものだ。で、あるとき、初期のスヌーピーを見て、最初はこんなにつまらなかったのかと驚いた。シュルツはどんどんキャラクターデザインを磨き上げてあのスヌーピーを作り上げたのだなあ。
ところが、ファミリアが販売しているスヌーピーグッズを見ると、結構その初期の緩いスヌーピーをトレースしたものが入っている。
ついでにいえば、ウォルト・ディズニーはすごい人だと思うが、ミッキーマウスやドナルドダックは好きじゃない。
ディズニーのアート性は、初期のアニメ映画で使われた色彩感覚、あるいは本物の動物を扱った映画が秀逸で、ディズニーの死後、どんどん巨大化していってからのディズニー映画は、キャラクターデザインや映画のアイデアそのものに疑問を感じるものが多くなっていった。
……まあ、どれだけの人が共感してくれるか分からないけれど(おそらく反発する人のほうがはるかに多いのだろうが)、じじいのぼやきとして吐き出しておこう。