今日は3.11。
テレビでは朝から特番ばかりかと思ったらそうでもない。泉ピン子の伊豆の大豪邸を訪ねるとか、路線バスの旅群馬編とかやっていた。
政府主催の追悼式で、安倍首相は「被災地に足を運ぶたび、震災から6年を経て、復興は着実に進展していることを実感します」と、「復興」を強調する一方で、原発事故には触れなかったという。
毎年続けていた記者会見も今年からはとりやめ。
では、「復興」名目でどれだけのカネがどんなことに使われてきたのか、それをしっかり提示してほしいものだ。東北の復興に名を借りて、東京の企業が儲けただけではないのか、という疑念がどうしてもぬぐえないから……。
……と書いている自分の中でも、3.11は風化してきているのかもしれない。
そこで、
あの日の日記を読み返してみた。
これを書いている今(午後10時)も、ひっきりなしに大きな余震が続いている。
最初のが来たときはジョンのお散歩の途中で、ちょうどうちのベランダ脇にいた。
外にいたので、母屋とスタジオがしなるように揺れるのがつぶさに観察できた。
……と始まる
2011年3月11日の「阿武隈日記」。
この当時はまだhtmlのファイル名が.htm で、文字コードはShift-JISで書かれていた。今はファイル名は .htmlで、文字コードはutf-8で書いている。
Shift-JISだと、フェイスブックなどでリンクしたときに文字化けしてしまうので、文字コードをutf-8に書き換えてアップし直した。
それを始めたら、次のページも、次のページも……と気になり始めて、結局、夜中までかけて、70ページくらい続けて文字コード修整をした。
リンク切ればかりの緊急情報リンク集も、最初のほうは当時の気持ちを記録するためにそのまま残したが、後は全部消した。
内容にはほとんど手を加えていない。当時の気持ちや状況をそのまま記録しておくためだ。