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世界中のいろんな人物の生誕○周年、というのも多くて(↑)、今日は金子みすゞの生誕114年ということで、可愛い絵になっていた。
クリックすると「金子みすゞ」を検索することになる。
1903年(明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10日。なんと26歳で自殺しているのだな。薄幸な人生。家族によって奪われた人生というのは悲しい。ここまで悲惨でなくても、そういう人生を送る人は、男女を問わずたくさんいる。
作品は
⇒ここや、
⇒ここなど、あちこちで読める。
大漁
朝焼け小焼だ、 大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ。
浜は祭りの ようだけど、
海のなかでは 何万の、
鰮のとむらい するだろう。
これは金子みすゞの代表作のひとつとされている。この短い詩の中に、彼女の哲学というか、死生観や視点の置き方など、多くのことが見事に詰まっている。
蓮と鶏
泥のなかから 蓮が咲く。
それをするのは 蓮じゃない。
卵のなかから 鶏がでる。
それをするのは 鶏じゃない。
それに私は 気がついた。
それも私の せいじゃない。
これは彼女の中に「神」を感じる何かが芽生えたことの告白といえる詩だろう。
土と草
かあさん知らぬ
草の子を、
なん千万の
草の子を、
土はひとりで
育てます。
草があおあお
しげったら、
土はかくれて
しまうのに。
ここにも自然の「神性」を見つめる心が歌い込まれている。
土
こッつん こッつん
ぶたれる土は
よい畑になって
よい麦生むよ。
朝から晩まで
ふまれる土は
よい道になって
車を通すよ。
ぶたれぬ土は
ふまれぬ土は
いらない土か。
いえいえそれは
名のない草の
お宿をするよ。
つもった雪
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪
さみしかろな。
空も地面(じべた)もみえないで。
彼女の詩には、土や雪や雨といった自然物がよく出てくる。評論家や文学者はそれを簡単に「擬人法」だのなんだのと説明するかもしれないが、みすゞの詩に「擬人法」などという言葉はもっとも似つかわしくない。
蜂と神さま
蜂はお花のなかに、 お花はお庭のなかに、 お庭は土塀のなかに、 土塀は町のなかに、 町は日本のなかに、 日本は世界のなかに、 世界は神さまのなかに。
そうして、そうして、神さまは、 小ちゃな蜂のなかに。
これがみすゞにとっての「神」であり、世界観なのだ。
仏陀の悟りに近い。
さらに驚くべきことに、彼女は地球上の「循環」がいかに大切かということを本能的に悟っていた。エントロピー環境論を文学に昇華してみせる。
なしのしん
なしのしんはすてるもの、だから
しんまで食べる子は、けちんぼよ。
なしのしんはすてるもの、だから
そこらへほうる子、ずるい子よ。
なしのしんはすてるもの、だから
ごみばこへ入れる子、おりこうよ。
そこらへすてたなしのしん。
ありがやんやら、ひいてゆく。
「ずるい子ちゃん、ありがとよ。」
ごみばこへいれたなしのしん、
ごみ取りじいさん、取りに来て、
だまってごろごろひいてゆく。
そして、26で自らの命を絶った彼女は、この世界のすべてを愛しながら、自分の命、自分の一生が明るく照らされないことを受け入れ、達観していたように見える。
ぬかるみ
このうらまちの
ぬかるみに、
青いお空が
ありました。
とおく、とおく、
うつくしく、
すんだお空が
ありました。
このうらまちの
ぬかるみは、
深いお空で
ありました。
日の光
おてんと様のお使いが
そろって空をたちました。
みちで出会ったみなみ風、
(何しに、どこへ。)とききました。
ひとりは答えていいました。
(この「明るさ」を地にまくの、
みんながお仕事できるよう。)
ひとりはさもさもうれしそう。
(わたしはお花をさかせるの、
世界をたのしくするために。)
ひとりはやさしく、おとなしく、
(わたしはきよいたましいの、
のぼるそり橋かけるのよ。)
のこったひとりはさみしそう。
(わたしは「かげ」をつくるため、
やっぱり一しょにまいります。)
なんだかとても力をもらえた気がする。
自分と同じ感性で生きた人を知ったことで、少しだけ孤独が和らいだ。
人生、死んだ後が勝負……を、改めて噛みしめた日。
そのうち
「森水学園第三分校」の国語科授業で取り上げてみようかな↓
森水学園第三分校を開設