日記が20日前に戻るのだが、栗山方面に狛犬を見に行ったときのお話。
あまりに時間が経過したので記憶が薄れてしまったよ。
ことの発端は、フェイスブックで、足尾の奈良部さんが「西沢金山」跡を訪ねたというリポートを出していたこと。その中に、狛犬の台座だけの写真があった。
↑西沢金山の集落にあった神社には狛犬の台座だけ残っている(写真:奈良部さん)
そもそも
西沢金山というのはなんぞや?
日光の栗山地区にあった金山で、発見は江戸時代後期(弘化年間 1844~1848)というから、寅吉が生まれた頃だ。
鴻野傳右衛門という高野山の僧侶が日本各地の鉱山を探索していて、この金山を発見。
当時、この地は日光の「社領」で、個人が金言を採掘することは禁じられていたため、傳右衛門は「鉛を採っている」と偽って銀を採掘。それがバレて捕らえられ、獄中死。その後、鉱山はお上に没収されて廃山に。
明治時代になって、川俣村の村民が江戸時代の鉱山跡を発見。日光の高橋源三郎なる人物がそれを知って、川俣村にかけ合って採掘権を取得。
そこからはいろいろな人物や企業に採掘権が渡り、大正4(1915)年には住民は1300人近くにまでなり、学校、病院もできた。
しかし、第一次大戦終結で金銀が暴落して閉山。
昭和7(1932)年に日本鉱業により再開。規模はぐっと縮小して100名くらいで操業するが昭和14(1939)年にまた閉山。昭和45(1970)年に鉱業権消滅。
……という歴史だった。
で、この立派な石組みの上にあった狛犬はどんなものだったのかと、狛犬マニアなら気になるところ。どうも、その後、野門集落で引き取ったという情報が入った。野門集落の神社といえば栗山東照宮。まだ行ったことがなかったので、確認しに行ってみることにした。
で、出発。
まずは腹ごしらえ。
キリフリ谷芸術祭の参加会場でもあるワンプレイトの隣に、最近レストラン&カフェがオープンしたそうな。混んでいたが入ってみた。