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のぼみ~日記2018


2018/05/11

隣人の突然死



4月24日、雨なのにあしかがフラワーパークに大藤を見にいったときの日記。冒頭にこんなことを書いていた。
朝メールを開けたら、あしかがフラワーパークから「大藤が今が見頃です!」という案内メールが入っていた。
そういえば昨日、はす向かいのOさんから「フラワーパークの藤、見にいってくださいよ」としつこく言われたのだった。関係者でもないのに、そこまで推す?


このOさんが、突然亡くなった。

朝食(というか昼食……1日の最初の食事)を食べ終えて、録画してある『半分、青い』も見て、お茶飲んで、さて……と、仕事部屋に戻ってパソコンに向かったら、外で救急車のサイレンがして止まった。
通り過ぎたのだろうと思っていたら、階下から助手さんが「Oさんの家の前よ!」という。
窓から外を見ると、本当だ。驚いて外に出て、Oさん宅の前まで行くと、室内で飼われている犬のチェリーが開け放たれた玄関から飛び出して、救急車のそばをうろつき始めた。このままでは急発進した救急車にチェリーが轢かれたりするかもしれないと思い、抱えてしばらく様子を見ていた。
家から救急隊員が出てきて、救急車後方に下ろしていたストレッチャーをゆっくり車内に戻した。
これはまずい! 救急搬送するまでもなく、手遅れだったということだ。

いつまでもチェリーを抱えているわけにもいかないので、隊員に声をかけて家の中に入れた。その際、恐る恐る「どちらがですか?」と訊いた。
隊員は小声で「ご主人です。すでに冷たくなっていて……」と答えた。

家に戻り、助手さんに報告する。
あまりに突然のことで、僕も助手さんもなかなか現実を受け入れられない。
考えてみると、すぐそばで人が突然死するという経験がない。数年前、やはり同じ分譲地内(家は十数軒しかない)で、ついこの間まで元気にしていたKさんが亡くなったと聞いて驚いたことがあったが、Kさんの場合は病院で手術をして数日で亡くなったということだった。「身近で突然死」ではない。

すぐに今度はパトカーがやってきて、入れ替わりに救急車は引き上げていった。


奥様の話では、朝、ベッドから起きて窓のカーテンを開けようとしたときに発作を起こして倒れたらしい。警察の検死結果は「虚血性心不全」ということだったそうだ。
まさに突然死。
人間は肉体が故障すると簡単に死んでしまうのだなあと、改めて実感させられる。

僕は一度だけ心臓が止まった経験がある。
川内村にいたとき、風力発電建設問題でストレスが溜まり、心房細動を起こして夜中に死ぬかと思うような発作を経験した。
そのときは苦しかったけれど、心臓が止まったわけではない。異常な動きをして動けなくなったのだ。
同窓生の心臓外科医にメールで相談したところ、茨城の総合病院に名医がいるというので、はるばる出かけていった。
しかし、その「名医」は紹介状なしの外来患者は診てくれないという。受付で「別のセンセイなら今日診察できますがどうしますか」と言われた。どうするもなにも、川内村から何時間もかけてはるばる来たのだから、何もせずに帰るわけにはいかない。
担当した医師は若くて、妙に軽いノリだった。
僕が、以前に心電図検査をした際に、複数の医師から「WPW症候群ですね」といわれたことがあるというと、心電図を見ながら「そうかなあ? 微妙だなあ」と首をかしげる。
で、「WPWかどうか、心臓を一時的に止めて検査してみましょう」といいだした。
「そんな怖ろしい検査、大丈夫なんですか? 止まったままってことにならないですか?」と問い質したが、「大丈夫、大丈夫。やりましょうよ。ねえ」と、またまた軽いノリで押し切られた。
アデホス(アドホス)と言っていたと思う。静脈注射して心臓を一時的に止める薬品を使うらしい。
この検査が、ほんとに怖かった。
心臓が止まった瞬間、全身がさ~っと冷えていき、痙攣し始めた。苦しい。こんなに苦しいなんて聞いてないよ、おい。
そばで若い医師が「はい、頑張って頑張って」などと言っているが、どう頑張ればいいのか。
再び心臓が動き出して、全身にぬくもりが戻ったときはホッとした。
心臓が止まるというのはこういうことかと実感できた。
あれ以来、心臓が急に止まって突然死というのも、意識をなくすまでの間は恐怖と苦しみに包まれるのだと認識している。

その検査の結果は「WPWではないですね」というもの。
じゃあ、過去、何度か言われたのはなんだったのか。
WPWだと診断した医師は全員、近所の有名な大学病院から内科の個人病院に派遣されてきた若い医師だった。その大学病院の学生専用駐車場にはポルシェやBMWなどの高級外車がいっぱい停まっていることで有名だったが……。
結局、夜中に起きた心臓発作の原因は分からないまま、その後、再発はしないまま、なんとかなっている。
ストレスが影響していたことは間違いない。風車建設が決まったら、工事が始まる前に移転しようと夫婦で腹を決めたことで、心が強くなったのかもしれない。

……と、そんなことも思い出した。

ご遺体が警察から戻ってくるのに立ち会い、奥様が「家族だけでひっそり弔う」というので、近所のSさんとも相談して、小規模な葬儀なら地元のあそこの葬儀屋がいいのではないか、などとやっているうちに時間が過ぎていった。
夕方、ご遺体にお別れをしに、改めて弔問した。
ご遺体の土気色の顔を見て、改めて思った。自分もこういう姿になって、誰かに見られる日が確実に来る。そのとき、自分はどこにもいないのか……。

この世界はまるごと嘘なんじゃないか……。

深夜に親族がやってきてからは、説得されたようで、翌日、結局、通夜も告別式もきっちりやり、新聞にも告知を出すことになった、と、夜まで奥様に付き添っていた近所のSさんから聞いた。

2日後、助手さんと一緒にお通夜に列席し、そこでもいろいろ考えさせられたが、それはまあ、ここでは控えておこう。


Oさん夫妻は宇都宮でラーメン屋さんをやっていた、というか、やっている。
結局、一度も彼が作ったラーメンを食べることはなかった。近所の人が来るとやりにくい、って言っていたし、それはこちらも同じだし、場所もよく分からないようなところだったからだけど、今になると、一度くらい食べてみたかったと思う。
葬儀社を待つ間、奥さんが、「仕込んだスープがもったいない。バイトに食べていいって言ったけど、食べきれるもんじゃないし。バカみたいですよね。こんなに一生懸命、店を開けるために毎日毎日準備して、ごはん作って……私が支払いの心配ばかり口にするから無理をさせてしまったんだ」と、何度も泣いて、どう言葉をかけていいのか困った。
Oさんとの最後の会話は、不景気でめっきり客が減り、来ても、ラーメンは頼まず、1皿300円の餃子とごはんと漬物セットを頼んで水飲んで帰るみたいなお客が増えた。儲からない……という愚痴だった。
うちだけじゃない。宇都宮市内では飲み屋もどんどんつぶれていく。夜は車が走ってなくてがらんとしているとも言っていた。
今月は消費税を納めなければならないけれど、金がなくてどうしよう。赤字なのになんで……と苦笑しながら言っていた。
最近は「疲れた」が枕詞のようになっていて、心配していたのだが、僕と話すときはいつも笑顔なので、心配ではあったけれど、まさかこんなことになるとは想像できなかった。
別れ際にはいつも僕が「休まないと死んじゃいますよ。どこかでスパッとケリをつけないと」などと言っていたのだが……。

家に帰ってテレビをつけると、「生活」というものを知らない、地に足をつけた生活をしたことがないようなボンボン首相や大臣、その無能ぶり、デタラメぶりをなりふり構わず嘘で固めて守ろうとする官僚らの「異次元」な言動が映し出される。
いくら正気を保とうとしても、これでは国民全体がストレス漬けになって、Oさんのように倒れてしまうよ。

最後に会話を交わしたのはいつものように「ヘ池」のところの塀越しでだった。
ベイシアで売っているキムチがおいしいから食べてみて、と、わざわざ家の中からキムチの瓶を持ってきて見せてくれた。なんとか食品が韓国から輸入しているやつだったと思う。今度ベイシアに行ったら探してみる。彼が亡くなる前、おいしいと言って毎日食べていたキムチなんだなあ、と思いながら食べてみよう。

「ヘ池」には今年はまだオタマの姿がない。このままオタマが泳がないまま夏を越すのだろうか。立ち話する相手もいなくなってしまったし、寂しい夏になりそうだ。

Oさんが亡くなった夜の空



亡骸にお別れを告げ、家に戻ってきたら、窓のすぐ外をキジが悠然と歩いていた


Oさんといつも話をしていた庭の塀横に生えている木は、こんな実をつけていた。カジノキだそうだ






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