銀座二丁目の屋台
白木造り・白木彫刻(一部彩色)
以前は上横町という町名だったが、昭和29年、吾妻町が銀座一丁目に改称したのと同時に銀座二丁目に改称した。
最初の屋台は弘化4年(1847)の大火で焼失。嘉永6年(1853)から新屋台建造に入り、安政4年(1857)に再建された。屋台建造費は諸経費を除きおよそ200両かかったと伝えられている。
彫刻は後藤音二郎を棟梁として、門下の神山政五郎、後藤音吉、磯辺儀兵衛敬信3代目(平五郎)、後藤猶之助らが手がけた。
鬼板・懸魚に二匹の龍。琵琶板と外欄間に尾長鶏と梅。脇障子は竜虎。高欄下(こうらんした)と車隠しが一体となって「波に龍」。内琵琶板と内欄間いっぱいに5頭の親子獅子。暗がりに光る獅子たちの目が非常に印象的。随所に「透かし彫り」技法を誇示した素晴らしい屋台。
同町は古くからの商店街だが、昨今、シャッター通り化してしまい、人口も激減。現在では屋台を祭りに出すための若い衆の数も資金も不足しており、その素晴らしい屋台を屋外で見ることは難しくなったが、屋台のまち中央公園の展示場で、ガラス越しではあるが、通年見ることができる。
昭和58年鹿沼市有形文化財指定。県と市の助成で昭和63年度に屋根と車輪、平成10年に彫刻ほか全面修復が完成。
◆解説は鹿沼市観光協会のWEBサイト、鹿沼ぶっつけ秋祭りの公式パンフレットなどを参照・引用しています