石橋町の屋台
黒漆塗り・彩色彫刻様式
文化9年(1812)頃の製作と推定。
当初、彫刻は鬼板(おにいた)・懸魚(げぎょ)・琵琶板などだけだったが、その後安政年間(〜1860)にかけて、脇障子・内欄間・高欄下(こうらんした)・車隠しなどの彫物が追加された。
安政期の彫刻師は菊彫の名手・神山政五郎(通称・菊政)との伝承がある。
大正3年、鬼板の下に「錦鶏鳥」を加え、外欄間を彫物に換えた。
さらに大正15年にかけ、政五郎の弟子で大出常吉親子により、琵琶板・後ろ障子・障子回りなどを造り、全体の補修・塗替えがされた。
石橋町は元は花街だったので、花鳥の題材で埋め尽くされたきらびやかな屋台になっている。
外欄間・障子回りは菊。鬼板は錦鶏鳥。また、全面に小鳥が遊ぶ、なんとも華やかな構図。
県・市の助成で平成4年に全面改修。平成8年に車輪を新調。
昭和61年鹿沼市有形文化財指定。
この屋台は「木のふるさと伝統工芸館」に通年展示されている。ガラス越しではなく、間近に見られるのが嬉しい。
◆解説は鹿沼市観光協会のWEBサイト、鹿沼ぶっつけ秋祭りの公式パンフレットなどを参照・引用しています