末広町の屋台
白木造り・白木彫刻(一部彩色)
江戸時代、隣の上田町(かみたまち)と共に宮街道宿場町を形成していた。文化5年にはすでに上田町とともに今宮神社付け祭に参加している記録が残っている。明治15年に末広町と改称。その後は末広町単独で付け祭に参加。
かつては屋台は祭りが終わると分解され、彫刻は別々に保管されていたが、明治の末の火事で、上田町の屋台蔵に収納してあった彫刻が上田町の屋台と共に焼失。
その後、何度も屋台は改修を加えられ、昭和23年頃、旧今市市内の天棚彫物を買い取って屋台に取り付けた。
鬼板(おにいた)と懸魚(げぎょ)は唐獅子牡丹。柱飾りに葡萄と栗鼠。車隠しには波をあしらっている。柱飾りをあしらった屋台は他に銀座二丁目の屋台(安政4年製作)などがあるが、数少ない。
県・市の助成を受け、平成15年度までに全面修理がほぼ完成。
◆解説は鹿沼市観光協会のWEBサイト、鹿沼ぶっつけ秋祭りの公式パンフレットなどを参照・引用しています