寺町の屋台
白木造り・白木彫刻様式
寺町の彫刻屋台は亀の彫刻が特徴的で「亀の子屋台」と呼ばれて親しまれていたが、明治40年3月の大火で類焼・消失してしまった。
その後大正6年には市内大芦から、大正10年には文挟(現今市市)から屋台を借りて今宮神社の付け祭に参加してきたが、昭和3年、御大典を記念してかつての屋台復刻がなされた。
大工は町内の宮大工・半貫金太郎・文太郎父子。この父子は後に蓬莱町の屋台も造っている。
当初は花屋台として今宮神社の付け祭に参加していたが、戦後2回ほど助谷(現壬生町)の天棚彫物を借りて、彫刻屋台のかたちをとったこともあった。
その後、鹿沼在住の彫刻家・東山玉秀こと山口忠志に彫物を依頼。昭和53年に現在の白木造彫刻屋台が完成した。鬼板の大きな竜虎が目立つ。
平成14年、文化庁の助成で高欄を修復。
◆解説は鹿沼市観光協会のWEBサイト、鹿沼ぶっつけ秋祭りの公式パンフレットなどを参照・引用しています