鳥居跡町の屋台
白木造り・白木彫刻様式
鳥居の跡と書いて「とりいど」と読む。日光山の遠鳥居の跡という意味で、鹿沼宿の入り口にあたる。
大正10年から市内久我の屋台を借りて今宮神社の付け祭に参加。その後、下徳次郎(現宇都宮市)の屋台を借りていたが、隣の蓬莱町の屋台建造に刺激され、昭和30年に自前の花屋台(彫刻のついていない屋台)を建造。大工は寺町の半貫文太郎。
昭和53年の市制30周年記念には間に合わず、その花屋台のまま参加していたが、昭和63年の市制40周年の記念事業として彫刻屋台へ改造。富山県井波町の井波彫刻協同組合に彫刻制作を依頼。鬼板(おにいた)と懸魚(げぎょ)に鳳凰と牡丹を取り付けた。
その後も、屋台全体を花鳥図仕立ての彫刻で埋めていった。
内欄間には「日光山の遠鳥居の跡」という町名由来を表すため、日光山と鳥居が刻まれている。
◆解説は鹿沼市観光協会のWEBサイト、鹿沼ぶっつけ秋祭りの公式パンフレットなどを参照・引用しています