2012/02/20 

さまざまな「帰れない」理由

ここ、「表日記」には、なるべく不愉快なことは書かないようにしているつもりなのだが、今回は例外的に書く。
細野原発大臣(なんという役名だろうか)が川内村に来た。その際、村長などが「村に帰れない理由のひとつは、補償金が減らされるからだ。こういう仕組みをなんとかしてほしい」と要望したらしい。
河北新報でもこのことを報じていた

//川内村では電気、ガス、水道、ごみ処理などのインフラは復旧済み。村中心部の空間放射線量は毎時0.1マイクロシーベルトで、福島市や郡山市の数分の1程度と低く、他市町村より帰還への環境は整っている。  しかし、村民の帰還は進まない。村人口約3000人のうち現在、村内に住むのは約200人。昨年9月の時点では約220人で、緊急時避難準備区域の指定が解除され、帰還が促されたにもかかわらず、減少した。  帰還に踏み切れない大きな原因として村民が指摘するのは、皮肉にも、避難者の生活を守るための原子力損害賠償の存在。  原発事故による避難者には、精神的損害に対する賠償として東京電力から1人当たり月10万円が支払われているが、避難先から村に戻れば受け取れなくなるからだ。  「村民の約7割が郡山市に避難している。お金をもらって都会で暮らせるうちは、田舎の村には戻ってこない」と村民の一人は賠償制度の在り方を疑問視する。(2012年02月01日記事より)//

「裏日記」に書いたことをそのままここにも残しておこうと思う。

「30km圏利権」という罠

■家に帰れば補償打ち切り、仕事を再開すれば補償減額

先日、某新聞社記者から電話があって、「川内村がいち早く帰村宣言をしたが、今の気持ちと村の現状を聞かせてほしい」という。
逆にその記者に、「本当のことを書けるのですか?」と訊いた。

テレビでは「除染が完全に済んでいないのに帰れない」といったことを言う「避難者」が映し出される。それを見て視聴者は「汚染された村に帰れだなんて、村長は人殺しか」などというトンチンカンなコメントをネットに書き散らす。

全然違う。

放射能汚染はもはや関係ない。最初から、村の中心部の汚染は避難先の郡山市などより低いということをここでも何度も書いている。
帰れないのは、帰ると補償金がもらえなくなるから
非常にシンプル、かつ切実な理由からだ。

東電の「賠償金ご請求の解説」というパンフレットが僕の手元にも届いている。
そこにはこう書いてある。

避難生活等による精神的損害
1人あたり10万円/月 または 12万円/月
開始日:平成23年3月11日
終了日:賠償終期の前に帰宅された場合は、初めて帰宅された日

つまり、家に帰ればその日をもって1人あたり月10万円の賠償金が打ち切られるというのだ。
この「精神的損害賠償金」はすでに今年2月末分までは確定しているので、今も「避難している」と主張する人たちには全員120万円/年以上が支払われる。(仮払い金も含めてすでに過去の分は支払われている)
ちなみに12万円/月は、体育館などの集団避難所にいた期間について支払われる金額。仮設住宅や借り上げ住宅制度(貸し家、マンション、アパート、個人所有の別荘などを避難先として登録すると、月9万円までの家賃を出してくれる制度)が始まってもなかなか避難所を出て行こうとしなかった人たちの理由のひとつになっている。仮設や借り上げに移ると、食費光熱費がかかる上に、補償金が減らされるから移りたくない、ということだ。
この「精神的損害補償」だけで、例えば5人家族なら年600万円の支給になる。

「1人10万円/月」だけではない高額補償

これは賠償項目の1つに過ぎない。
「就労不能損害」補償では、「事故がなければ得られた収入 - (事故後)実際に得た収入」の差額を支払うということになっている。つまり、仕事を再開しなければ事故前の収入が全額補償されるが、仕事を再開して少しでも収入を得るとその分は差し引くということだ。
例えば、月収40万円あった人は、原発事故のせいで仕事を失ったとして仕事につかなければ事故前の40万円という月収がまるまる補償されるが、頑張ってバイトを見つけ、月15万円稼ぐようになれば、その15万円は差し引かれる。仕事をしてもしなくても収入が変わらないと言われ、仕事をする人がどれだけいるだろうか。
ちなみに、これとは別に失業手当は出ているから、正規雇用者は二重に補償されている。
また、ほとんどの家は兼業農家だから、農業補償などの補償も加わっている。
「今年度も全面作付け禁止にしてほしい」と村のほうから願い出るのも、不労収入を減らしたくないという村民の「総意」を受けたものだ。



働いて稼いだ分だけ補償額から引くという信じがたい内容↑(クリックで拡大)

ついでに、「過去の実績給与等の証明ができない場合の賠償額」の決め方も実に奇妙だ。
3.11時点で月140時間以上勤務していて、「就労する期間が決まっていない(期間の定めがない)雇用形態」の人は15万円/月。就労する期間が決まっていた雇用形態の人は9万円/月だという。不定期就労のほうが補償額が多い。これでは、いわゆる臨時雇いやパートであっても「私は月140時間以上勤務していたが雇用期間は決まっていなかった」と申請して15万円/月を得ることになるだろう。
月140時間以下の労働時間であっても、最低補償が3万円/月もらえる。
田んぼの除染が始まると、歩くのがやっとの老人が草刈り機を手にして田んぼの脇に1日座っている光景を見たが、あれは日当をもらうための頭数増やしにかり出されたものだ。同じように、どんな内容であっても「不定期に勤労していた」と申告すれば、3万円/月が支払われるのだから、就学児以外の家族はじいさんばあさんも総動員させて「就労不能損害補償」を申請していることだろう。
精神的損害補償1人10万円/月、就労不能損害補償は3.11前の収入分の全額、失業保険は別途支給で期間も延長、たまにアルバイトしていた、あるいは近所のお手伝いで謝礼をもらっていた程度の就労実績でも申請の仕方によっては毎月定額の「就労不能損害補償」。草ぼうぼうにしている農地があればあるほど農業補償上乗せ……これだけでも、ざっと計算してみれば、総収入が1000万円/年を超える世帯が続出しているであろうことが分かる。

以前の給与証明ができない場合、不定期就労者のほうがなぜか補償額が大きいという不思議↑(クリックで拡大)

家に戻ればその時点で1人10万円/月がなくなる。仕事を再開して収入を得れば、その分賠償金が減らされる。
そんな腐った補償規定で村をシャブづけ状態にしておいて、復興だの再生だのがありえないことは明白ではないか。
補償金がもらえる間は極力何もしないでもらい続ける。それがいよいよ打ち切られたら、今度は「除染ビジネス」で金をもらう。放射性物質を含んだゴミ処分場建設でも金がいっぱい落ちそうだ。なるべく国有地ではなく、村有地や私有地を指定してもらえ……。

村の行政としても、村民が仕事をせず、村に戻らないことがいちばん高収入という今の状況を少しでも長く維持することが「村民の意志」「総意」であると認識して、そのように動いている。村長の苦悩はいかばかりか。

……取材を求めてきた記者さんにこんな話をしたところ、「う~ん、やはりそれは書けませんね。私たちが考えている内容とは違うので……」と言われた。
かくして、日本中、今日もまた「一日も早く故郷へ帰りたい」「除染を急げ、住民の願いは届くのか」みたいな的外れな記事を読み、間違った福島情報を積み重ねていく。


私は当初、東電とは闘ってきちんと賠償金をもらうつもりでいた。しかし、今はこの土俵の上に乗ることが嫌だ。
私は「緊急時避難準備区域」が解除される前から村に戻って普通に生活を再開していたが、それによって「精神的損害補償」は打ち切られたことになる。
その後、村人たちの様子がどんどんおかしくなっていくことに耐えられず、昨年末、自費で移転先を探し、今は安い中古住宅を見つけてそこに移ってきている。
川内村の自宅を失った上に、なけなしの預金をはたいての引っ越し。大変な財産損失だが、しばらくは東電への「賠償金請求」という土俵には乗らないつもりだ。今のままではシャブづけの仲間入りになってしまうからだ。
アヘン巣窟のようになってしまった村を見ているのは辛い。
放射能が怖くて帰れないのではない。人々がまともに生きる気持ちを失い、補償金の維持という一点で強く結ばれている「運命共同体」に参加したら、意味のある人生を送ることができなくなる。阿武隈で暮らす意味がない。
阿武隈の自然が壊される前に、コミュニティが──人間の心が壊されてしまった。
あそこでもう暮らすことはできないと覚悟を決めるしかない。
この悲しみと悔しさは、3.11直後のショックよりはるかに大きい。

原発運命共同体が壊す福島の和

俺たちは賭けに勝った……?

2つ前のトピックで「『運命共同体』という賭けに破れた人たち 」 という文章を載せた。
原発を誘致した人たちは、原発誘致という賭けに負けたという意味のタイトルだったが、最近、彼らは本当に「賭け」に負けたのかどうか、疑問に思うようになっている。
立地4町の富裕層は一時的には財産を失ったし、収入基盤もなくなったかもしれない。しかし、川内村の人たちのように、事故前より実質収入が増えて、予想外の都市生活を家賃ただで始めているケースを見ていると、この人たちは万馬券を当てたのかもしれないと思えてくる。

多くの村民は仮設や借り上げ住宅を手続きして「避難中」という証明を担保した上でちょこちょこ自宅に戻っている。どっちが別荘なのか分からないが、家賃ただの都市生活をしながら、仕事をしないことで収入補償を得られる根拠としての30km圏の自宅を維持するという、新種の二地域居住をしている。
「今日はどっちに泊まるの?」
「今日は郡山に戻るよ。明日また来て草取りの続きすっから」
……村にいると、こんな会話が毎日交わされているのに出くわす。統計上は「避難中」で家に戻っていないことになっているし、それによって東電からの「避難生活等による精神的損害」補償(1人あたり月額10万円)もしっかり受け取っている人たちの会話だ。
庭の草むしりや家の周囲での畑作業は以前と同じようにしているが、田んぼは放置したまま。下手にいじると農業補償が減らされかねないという恐れからだ。
おかげで村中の田んぼは草ボウボウになった。夏にはメマツヨイグサが、秋にはセイタカアワダチソウが人の背丈ほども生えた。
この草が刈られたのは冬が迫ってからだった。村から日当が出た。自分の田んぼの草刈りをするのに日当が出たというので、ずいぶん話題になった。
作業中、マスクをしている人はほとんどいない。みんな「放射能なんて大したことねえっぺ」と高をくくっている。
村は、田んぼは荒れ果てたので今期も作付けは無理であるから全面補償をしてほしいと願い出ている。
おそらくそうなるのだろう。2年続けて農業補償。それだけなら米を普通に作って売っていたときより安いかもしれないが、ほとんどの家は兼業農家で、給与収入分は全額就労不能損害補償されているし、失業保険をもらえる人はそれももらっているから二重に補償され、仕事をしないほうがしていたときより収入増になった。
金のことだけを考えれば、彼らは賭けに負けたのではなく、勝ったのかもしれない。

福島県人同士が憎しみ合う構図

今、福島市、郡山市、いわき市などの都市部では、市民が原発立地や周辺自治体(「30km圏利権」が生じたエリア)から来ている人たちへの憎悪が激化している。県外の人たちもようやくそのことに気づき始めたようだ。
都市部の市民は、放射能汚染された自宅を捨ててどこかに行きたくても補償されない。仕方なく、ものすごいストレスを抱えたまま、今日も黙々と、普通に生活している。
タクシーの運転手は客が増えた。「避難」してきている人たちが毎晩飲み屋で遊ぶから。飲み屋に呼ばれて客を乗せ、行き先を訊くと「○○の仮設住宅へ」とか、借り上げしているアパートの場所を告げられる。

3.11前、毎日うちに宅急便を届けてくれていた村の人は、郡山の借り上げ住宅に一家で避難したまま戻って来ない。代わりに、富岡やいわきで、津波で家を流された人が毎日山を越えて届けてくれていた。
事故後ひと月で再開した川内郵便局の局員には、津波で家を流されたいわき市の人もいた。
彼らは自分たちの仕事の公益性を十分に承知していて、仕事をすることが当然と思い、誇りも持っていた。
彼らのおかげで物流を確保できた村の人たちはどうしていたか……。
仕事に復帰すれば就労不能損害補償がなくなるからと、避難したまま遠巻きに村の様子を見ているだけだった。
働けば働いた分だけ補償が減らされるのだから、厳しい仕事に戻ろうなどと思うはずがない。なんとか理由をつけて「失業中」を維持しようとするだろう。そのことを非難できる人がいるだろうか。後は「恥」とか「尊厳」の問題になってくる。

郡山やいわきのパチンコ屋、飲み屋は連日繁盛している。
パチンコ屋の駐車場には、日が経つにつれ、ピカピカの新車が目立つようになった。補償金や義援金で潤った人たちが車を買い換えたからだ。

前双葉町長・岩本忠夫氏(昨年、避難先の福島市で死去)が、双葉地方原発反対同盟委員長を務めていた1972年に造られた「原発落首」(「落首」=世相を風刺した狂歌の類)を再掲したい。


 このごろ双葉に流行るもの、飲み屋、下宿屋、弁当屋。
 のぞき、暴行、傷害事件。汚染、被曝、ニセ発表。
 飲み屋で札びら切る男、魚の出どころ聞く女。
 起きたる事故は数あれど、安全、安全、鳴くおうむ。
 なりふりかまわずバラまくものは、粗品、広報、放射能。
 運ぶあてなき廃棄物、山積みされたる恐ろしや。
 住民締め出す公聴会、非民主、非自主、非公開。
 主の消えたる田や畑、減りたる出稼ぎ、増えたる被曝。
 避難計画作れども、行く意志のなき非避難訓練。
 不安を増したる住民に、心配するなとは恐ろしや。



原発運命共同体は賭けに負けたのだろうか? 勝ったのだろうか?
麻薬中毒は立ち直ることが難しい。
人間、みな弱い。金を目の前にぶら下げられて拒否できる人は少ない。
しかも、家と土地を見えない汚物で汚され、仕事も失っている身となれば、「こんな金はいらん。俺は仕事をする!」と宣言する意志力を持てる人は極めて少ないだろう。

「ありがとうございました。またどうぞ」
今夜も福島のどこかで、飲み屋のマスターやタクシーの運転手が、原発30km圏からの「避難者」たちにこう挨拶している。
心の中では、その客への憎しみをまたひとつ増大させて。

福島で今起きている本当のことを、日本中の人に知ってほしい。
この国は、こういう手口で我々を手懐けてきたのだということを。
そして、その手口に使われた金は、我々が仕事をして、なけなしの稼ぎから納めた税金であり、せっせと節電に協力しながらも支払わなければならない電気料金から出ているのだということを。
放射能より怖いもの……それは「フクシマ」のような惨劇を経験しながらも何の反省もなく、こうした「手口」を今もってこの国は使い続けていること。そして、国民がそれを許し続けているということだ。



実は、僕はこの10万円についてはつい最近まで知らなかった。
東電から来ていた賠償請求ガイドブックはそのまま封筒に入れてしまい込んで読んでいなかったからだ。
確認したところ、本補償は目下進行中だが、「精神的損害補償」の1人月10万円だけはすでに支払い済みになっているケースが多いらしい。
なんという腐った手口か。
「私がその状況にあればやはりもらうでしょう。しかし、ヤクザですね、やり方が。怖いです」
と言ってきた人もいた。
いや、ヤクザよりずっとタチが悪い。ヤクザは税金を使えないのだから。

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