ちなみに、国は「国が除染を実施する地域(除染特別地域)」というものを決めて、すでに除染活動に入っている。↓

(環境省サイト http://josen.env.go.jp/progress/tokubetsuchiiki/tokubetsuchiiki_01.html より)
さらには、追加被ばく線量が年間1ミリシーベルト以上(地域の平均的な放射線量が1時間あたり0.23マイクロシーベルト以上)の地域を含む市町村を、汚染状況について重点的な調査測定が必要な「汚染状況重点調査地域」として市町村単位で指定し「追加被ばく線量が年間1~20ミリシーベルトの地域」を「除染実施区域」とし、指定された市町村は「必要に応じて重点的な調査測定を実施して実際に除染を行っていく区域(除染実施区域)を定めた上で、当該区域についての除染の計画(除染実施計画)策定し、この計画に則って除染を進める」こと、とされている。


(上記、いずれも環境省のサイトより)
日光市も鹿沼市もしっかりこの「必要に応じて重点的な調査測定を実施して実際に除染を行っていく区域(除染実施区域)」に入っているが、このへんの人たちが放射能の話をしているのを聞いたことがない。線量計を持っている人となると、ほとんどいないのではないだろうか。
隣の福島県内とはものすごく意識が違う。さらに言えば、群馬や栃木よりより汚染度合いが低い東京都や神奈川県のほうが、はるかに神経を尖らせている人たちが多い気がする。
言うまでもなく、汚染状況の調査は徹底的にしなければならない。
現時点でどうなっているのか、正確に知ることからしか何も始められないのだから。
しかし、それが意味のない金の使われ方に悪用されるのではどうにもならない。
0.23μSv/hなんていうのは、もはや「しょうがないでしょ」と思うしかない。それが原因で命が脅かされるなんてことを考えて行動するなどというのはナンセンスだ、ということを、そろそろみんな分かってきた。
汚染されたことは許されないのだが、汚染されてしまった以上、そこから先、どうすればこれ以上の被害を増やさずに生きていけるのかを考えなければならない。
その方法は「除染」ではない。
最近、興味深い資料が2つ手元に届いた。
1つは、原発保守関連の会社で、今は除染をやっている会社から流れ流れてきたもの。除染の際の注意事項やら、上記URLに載っているエリアの一覧表やらのコピー。
もう1つは、今年5月に大阪市大学文化交流センターが行った講座の最後を締めくくった、同大学院医学研究科の木村政継准教授による「福島原発事故による放射線の影響」という講演のレジメ。
僕はこの講演を直接聞いてはいないが、レジメを見る限り、真面目な内容だったのだと想像する。
「パニックになることはない」「心配しすぎることはない」と述べる学者に対して、問答無用で「御用学者」とレッテルを貼り、言論封殺するような風潮が一部の人たちの間で見られるが、これは非常によろしくない。
学者たちが言っている内容、調査の方法や結果をしっかり見極める努力をした上で、自分の頭で考えてから判断しなければ、まともな考察にはならない。そうせずに、言葉刈りのように反射的に攻撃する人たちがいるのは本当に困ったものだ。
大騒ぎするようなレベルではない、と言っている学者たちは、「だから原発を進めてもよい」と言っているわけではない。原発推進、原子力エネルギーの是非ではなく、現状を正確に知ろうと調査・解析し、その結果を述べているにすぎない。
3.11直後は相当混乱していたが、その後、学者、研究者たちの多くは、冷静に現状を分析し続け、現時点では「はっきりしたことは誰にも分からない。しかし、幸運なことに、今の汚染の状況からは、内部被曝を合わせても、爆発的ながんの増加とかは考えられない。注意すべきポイントなども分かってきているので、今後はその部分に目を光らせ、どのような状況にあるかは常に調査し続けることが大切」という見解で一致していると思う。
医者や学者の立場から、積極的に除染を勧めるべきだと勧告している人は非常に少ない。
これは「御用学者が多い」からではなく、彼らの方法論、思考方法からはそうした結論にたどり着くということなのだ。そうした結論を、我々は色眼鏡をかけずに、きちんと読み取らなければならない。
僕自身、多くの情報、資料に接してきて、今はこうした学者たちの認識はそう間違っていないと思っている。
リスクということで言えば、放射能パニックによる心労や、家族、コミュニティの分断による被害のほうがはるかに大きな問題になっている。
妻と子どもが自主避難し、仕事のために一人福島に残った夫が家族の「避難先」に週末会いに帰る際、高速道路で事故死したというようなニュースに接するたびに、やりきれなくなる。
横浜に住んでいた家族が「ここももう危ない」と九州まで引っ越しして、その先で豪雨被害にあうなどという話もある。
どう動くかはそれぞれの家族の判断になっていくが、この原因を作った者たちはなんのお咎めもなく、今も組織のトップに居座り、あるいは除染の親玉として動いている。
ついでに言えば「除染のプロ」「除染の専門家」なんているはずがない。そういう事態が日本では今までなかったのだし、それこそ「想定外」だと言ってきた人たちが想定外のことに対して「自分たちは専門家だから」と言う。こんなふざけた話はない。
汚染は隠しようがない。
郡山市、福島市、伊達市、本宮市、二本松市などの一部は、今でも原発30km圏の一部よりはるかに高い空間線量を示し、土壌汚染もはっきりしている。
そこで人々は今まで通りに暮らし、農作物も作っている。
そのことを声高に非難する人たちがいるが、それは間違っている、と、この際はっきり言っておきたい。
日本の原子力行政を根本から変えることは絶対に必要だ。
原発は止めるべきだ。
何よりも核燃サイクルというバカげたものは一刻も早くやめて、これ以上無駄な金を使わせず、危険を増やさないことが求められている。
しかし、そのことと、「福島はもうダメだからそこにいてはいけない。子どもを連れて早く逃げろ」と叫ぶことがリンクしてしまうのは間違いだ。単純に「現状認識」が間違っている。
もちろん、今後、福島第一原発(1F)がどうなっていくのか、予断を許さない。その意味で、1Fに近い場所は危険ではある。
しかし、現状の汚染状況を評価すれば、無理矢理、福島の都市部から脱出しなければ命が危ないと煽り立てるのは明らかなミスリードだし、福島で暮らしている人々の命を脅かすことにさえなってしまっている。
話を「除染」に戻そう。
現時点で行われている除染活動には2種類ある。
1つは、実生活に危険が入り込まぬよう、人の住空間に発生したホットスポットをつぶしていく除染活動。これは南相馬市で児玉龍彦教授率いるチームがボランティアでやってきた除染活動が代表的なもので、言わば「やむにやまれぬ除染」「しなければいけない除染」「生活を取り戻すために必要な除染」である。
もう1つは、「金儲けのための除染」。
それによって地域の暮らしを守るという目的よりも、金が動くことそのものが目的とされる除染。
費用対効果の点から、やる意味が見いだせない除染。
宮台真司氏が言うように
「日本では、現状にマッチした政策を策定できず、まず利権に基づく政策シナリオありきで、それを成立させるために現状認識の歪曲がなされる」(「自治創造学会シンポジウム(2012年5月11日)」での発言)。
まさにこの指摘そのままに行われている「除染」。
この2番目の「経済行為としての除染」がどんどん進められている。