2013/05/25の2

最近のデジカメ事情


左はミラーレス機のペンタックスK-01 右は一眼レフのSONY α300
先日の鹿沼春の彫刻屋台祭りでペンタックスK100Dが取り返しの付かない画像記録エラーを起こしてくれたことはすでに書いたが、これではいかんなあ、ということで、K-01というペンタックスのミラーレス機をヤフオクで落札した。
  1. 手元にあるペンタックスマウントのズボラレンズ(タムロン18-250mm)を活用したい
  2. でも、K100Dは連写が途中で引っかかったりするし、一眼レフ最大のメリットである即応性が弱い。なによりも大量に連写していったときの記録エラーが怖い
  3. しかし、K100D以降のペンタックスの一眼レフはどんどん画素を多くしてしまい、魅力がない。撮像素子はSONY製だから、同じ撮像素子のSONY製一眼レフに比べて何らかの長所がないと買う意味がない
  4. とはいえ、AF速度や連写性能などは新しいものほど性能が格段に上がっているはずだから、そろそろ1600万画素くらいまでは目をつぶって(多すぎるが我慢しようという意味)、新型を買うか……
  5. K-5とかK-7、K-30あたりを考えたのだが、どうせならミラーレス機で従来のレンズをそのまま使えるという変わり種K-01にしてみようか。面白そうだし……
……とまあ、そんな考え方でこれを選んだのだが……。
届いてみると、思ったよりでかい。ミラーレスの意味ないんじゃないの? これだけでかいと。

上の写真は一眼レフのSONY α300と並べてみたところ。レンズは同じタムロン製の18-250mm/F3.5-6.3。通称「ズボラレンズ」。α300のほうはSONYブランドになっているが、スペックがまったく同じなのでタムロンが作っていることは間違いない。
並べてみても、大きさの違いがない。
しかも、K-01はデザイン重視?でグリップが浅いのでホールド性能がよろしくない。


K-01はすでに製造終了になっているが、特徴は従来の一眼レフレンズをそのまま装着できるということ。
言い換えれば、レンズマウントが同じ=レンズと撮像素子までの距離が同じ=ミラーを取り払ったことによるボディの小型化が望めない……ということになる。



上の図はパナソニックのサイトから借りてきたものだが、ミラーレス機というのは、とにもかくにもボディとレンズを小型化したいということで出てきたものだ。
フォーサーズとマイクロフォーサーズ(ミラーレス)は、撮像素子面積は同じ(4/3型)だが、ミラーとペンタプリズムを取っ払って小型化した規格だ。撮像素子面積が同じなので、アダプターをつけると従来のフォーサーズレンズも使えるのだが、アダプターをつけると短くしたフランジバック(レンズと撮像素子までの距離)をわざわざ元の長さに引き伸ばすわけで、小型化した意味がなくなる。
だから、従来のレンズをマウントアダプターなしで装着できるというのはどういうことなのかな~と訝しんでいたのだが、それでも、実際に目にする、手にするまでは、こんなに違わないとは思わなかった。

……ということはさておき、画質と操作感をチェック。


いつものお散歩カメラ フジフィルムXF1で撮影↑
1/420秒 F4.5  ISO=200 -1/3補整


K-01+タムロン18-250mmで撮影↑
1/125秒 F6.3 ISO=100 露出補正なし


XF1 1/180 秒、F4.9、ISO 100 -1/3補整 25.6mm


K-01+タムロン18-250mm
1/250秒、F4.5、ISO 100、補整なし 65mm(97mm相当)
こんな感じの写真だと、画質の点でもAPS-CサイズのCMOSを使っているメリットが感じられない。
あと、K-01はファインダーがないので、近視と遠視が混ざっている僕には、超望遠にしたときなどはピントが合っているのかどうか分からない。
あと、AFがなかなか合わない。コンパクト機と同じコントラスト方式なので、ちょっと望遠にするとウイ~ンウイ~ンとレンズのモーターが動きっぱなしで迷い始める。
おそらく、このカメラだとズボラレンズを使うのは厳しい。単焦点のパンケーキレンズみたいなものをつけっぱなしでもっぱらポートレート撮影とか、そんな感じになるのではないだろうか?

次に、実質同じレンズをつけたα300と比較してみた。
α300はSONYの古い一眼レフで、センサーはCCD。

K-01+タムロン18-250mm
1/320秒、F6.3、ISO 400、-1/3補整、250.00 mm(375mm相当)


SONY α300+SONY18-250mm
1/100秒、F6.3、ISO 400、-1/3補整、250.00 mm(375mm相当)、色調Vivid

このカメラはホワイトバランスをオートにしておくと紫系の色がいつも狂うので、ホワイトバランスを曇天にして撮影し直したものがこれ↓


同じ性能のレンズを同じ倍率で使っているので、画質の差はセンサーと映像エンジンの差ということになる。SONYの初期のCCDより、今のCMOSのほうがうまく設計されているという感じもする。
映像エンジンに関しては、α300はもともとなんだかな~??という部分が多いので、今の時期、一眼レフを買い換える意味はありそうだ。
なにしろ連写速度がまったく違う。K-01もオートブラケット3連写で撮っているが、ほとんどカシャシャっという感じで連写していると思えないほど速い。もっとも、その後の記録に時間がかかっている感じだが。

結論:
手元にあるペンタックスのKマウント用ズボラレンズがそのまま使えるなら……と思って買ってみたのだが、K-01はミラーレスの意味がなく、操作性も一眼レフに負けるのですぐに手放すことにした。
ミラーレス機はいろいろ出ているが、まず撮像素子が小さいのでは意味がない。Nikon1は1型でフォーサーズより小さい。ペンタックスのQシリーズに至っては1/2.33型と、安いコンパクト機と同じサイズのCMOSを使っているので論外。
そんな小さなセンサーのカメラでレンズ交換をする意味があるとは到底思えない。
マイクロフォーサーズはぎりぎりアリだと思うが、やはりAPS-Cサイズを使っているミラーレス機にしないと、画質の点で張り合えないと思う。
で、ミラーレスにして小さくしたら、やはりレンズも専用じゃないと小さくした意味がないわけで、現時点ではミラーレス機専用のレンズが少なすぎるし、暗すぎる。特にズームレンズはどれも暗い。
便利さと明るさを同時に求めるなら、従来型一眼レフ用のレンズ群のほうがまだまだリーズナブルなレンズがいろいろ選べる。
ミラーレス機を使うなら、明るい単焦点レンズを使って撮る機会が増えるように思う。ズームでお手軽に撮るなら、コンパクト機のほうが断然有利だから。

……というわけで、今、K100Dの失敗リベンジで新たに一眼レフを買うならばα57あたりかな、と思った。
画素数約1600万は多すぎると思うが、それでもα65 α77の2400万画素とかいう馬鹿げた画素数よりは少ないのでぎりぎり我慢できる範囲か。せめて1200万画素くらいに抑えてくれていれば文句ないのだが……
で、一眼レフに求めるのは速写性能(AFの速さ、正確さ、追随性能)だから、高画素モデルは記録時間が長くなるのも困る。あとは一眼レフのボディのでかさを我慢する代わりに絶対にバリアングルモニターはほしいので、モニター固定モデルしか出さないペンタックスはもはや選択肢外だなあ。CMOSがソニーのOEMなのだから、もっと意欲的なボディを作ってくれないとペンタックスファンが泣く。
ということで、残念ながら手元にあるKマウントレンズ群はもはや出番がなくなるかもしれない。

しかしまあ、α57を狙うとしても今すぐではなく、秋の彫刻屋台撮影の前くらいまで待って安くなるのを見届けたほうがいいかな。
ミラーレスは、これからレンズが充実してきてズボラレンズに相当するやつが出てきたら考えてもいいとは思う。その頃にはAF性能も上がっているだろうし。でも、レンズが安くなることはほとんど期待できそうにないから、ミラーレスで揃えると従来型一眼レフで揃えるより高くつくだろう。シグマやタムロンなどのレンズメーカーがミラーレス用レンズを出してこないのも痛い。仕様が多すぎて出せないのだろう。数が作れなければ価格も安くできないわけだし。

それにしても、SONYに代表されるCMOS製造メーカーが、これ以上高画素化をやめてくれないと、いくら技術が進歩しても最高画質が実質上落ちているわけで、もったいない。APS-Cサイズで800万画素くらいのCMOSを今の技術で作ったらものすごくきれいな写真が撮れるはずだ。ソニーとシャープの罪が大きいのではないか。
あとは1/2.5型で200万画素くらいのCMOSとかがあれば、昔のスティック型スイバル機みたいな超小型メモ代わりカメラ(but 画質はスマホ内蔵よりはるかによい)が作れるのに、残念だ。


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