2015/06/23
40年前のデモテープ
今日はクイズから。
さて、↑上の写真はなんでしょう?
アルミ合金でできていて、真ん中の溝は約1cm幅。そこに垂直と斜め45度に横切る溝が走っている。
一緒に写っている白い鉛筆みたいなやつとかもヒント。
キーワードは「アナログ」。
アナログレコードプレイヤーが売れているんだそうだ。「昔はよかったなあ」というおじさんたちが買って、捨てるに捨てられないまま押し入れの奥にしまい込んでいた昔の愛聴盤を聴くらしい。
USB端子がついていて、再生した音をパソコンに取り込み、デジタル化もできるらしい。
僕はいらないな。
手元に残っているレコードは数十枚くらい。自分の音楽が収められているものや、もう手に入らないものだけ。
普通に売られていたものは全部処分した。「レコードになった音楽」は、ほぼすべてネットで検索すれば聴けてしまう。
レコードの音をそのままアナログ再生して楽しむという趣味にひたることはしない。残りの人生が秒読みに入った今、使える時間とエネルギーは、新しい音楽を作りだすこと、それを記録することに費やしたい。
あるいは、きちんと残せていない過去の作品を記録し直すこと。
だから、僕に必要なのはレコードプレイヤーではなくテープデッキだ。
DATデッキは動くやつが2台残っているので、DATに残したものは再生できる。めぼしいものはほぼデジタルファイルに変換してある。
それでも、カセットテープにしか残っていないものが少しある。これは出来が悪いからいいか……と無視したやつ。
60代になって、そうした不出来な録音も許せるようになった。
というか、不出来な演奏も、若さの記録として楽しめるようになった。
青臭いから恥ずかしい、へたくそだからみっともない……という気持ちよりも、青臭い叫びやエネルギーが空回りしていた未熟な演奏に、魅力を感じるようになった。それを演奏しているのは自分ではなく、「20代の鐸木能光」という人物。
あの頃の細胞はすっかり死に絶えて、今の肉体や脳は別物なんだ、という感じかな。
言い換えれば、還暦のプロデューサーが未完成な若者を見守るような気持ち。
しかし、カセットデッキはおろか、ラジカセみたいなものも残っていないので、カセットテープは再生手段がない。
……というわけで、アマゾンで数千円で売られているカセットプレイヤーを買ってみた。
注文して翌日に届く。相変わらず早いね、アマゾンは
昔のウォークマンみたいな大きさと形状
最初に入れてみたのはこのテープ。再生音が出るまで、中身がなんなのかよく分からなかった
動かしてみたところ↓
中に入っていたのは、1975年頃のデモテープのコピーだった。
記憶が多少曖昧だが、これは確か、日音(音楽出版社の)かなにかにデモテープを送って、連絡を取って、じゃあ、一度会いましょうか、ということになったのだったと思う。
都内の某スタジオ、というか、ダビングルームに近いような部屋に呼ばれて、ギターだけで一発録り。レコーディングというよりは演奏テスト、面接のような感じだった。
テストしてくれた相手は浅黒い顔と大きな鼻、ぎょろっとした怖い目。渡された名刺には「佐々木勉」とあった。
『星に祈りを』(ザ・ブロードサイド・フォー/1966年)などの作曲家でもあった人物で、後に『3年目の浮気』などのヒットも飛ばすのだが、そのときはプロデューサーだと思っていたし、作曲家だとは思ってもみなかった。ずっと後になってから知ったのだった。
そのとき、てっちゃんと二人で歌ったのは『春は来ない』『赤いバラ』『そして今では』『麗しき距離』『雪景色』の5曲。
佐々木さんは調整室から時折厳しい声をかけてくる。
「もっと普通の曲はないの?」
「そんなんじゃ売れない」
とか、そんな感じだっただろうか。
『雪景色』を歌い始めたときはすぐに「やめ、やめ! 音が外れている」と止められた。
音が外れているのではなくて、9thのテンションを強調した曲だったので、そこは食い下がって「これはこういう曲で、これで合っているんです」とかなんとか説得し、なんとか最後まで歌わせてもらったが、その曲で嫌になったらしくて「はい、そこまで。お疲れ」と、打ち止めにされた。
曲作りとはどういうものか、売れる曲とはどういう曲か、ギターがうまい下手なんてどうでもいい、もっとちゃんと売れる曲を創ってからまた来い、と言われた。
プレッシャーもあって、演奏はボロボロだったし、とにかく「演奏なんかより売れる曲かどうかだ」と言われたことで、僕もてっちゃんもかなり落ち込んで家路についた。
今ならあのときの佐々木勉さんが言いたかったことはよ~~く分かる。
売れる曲を創れ。演奏がうまいか下手かなんてことは二の次だ、という主張は、作曲家ならではのものだった。
ところが、当時の僕は、てっちゃんの演奏能力に惚れ込んでいて、なんとかてっちゃんのギターを生かした曲を……という思いがあった。
それと、ガロもそうだったけれど、CSNの影響がものすごく強かった。マイナー9thとか、いろんなテンションコードをガンガンかき鳴らす爽快感に浸りきっていて、いいメロディを創るという基本的なことを忘れていた。
要するに若かったから、何も分かってなかった。
トラウマになったのと、実際に演奏としてボロボロだったために、このテープはずっと封印してきた。存在も忘れていた。記憶から消し去ろうとしていたかもしれない。だからDATにもコピーせず、カセットのまま残っていたのだ。
今回、何十年ぶりかに聴いた。今聴くと、確かに演奏はボロボロなのだが、テンパっている様子や、口の中がカラカラになりながらも歌っている様子が手に取るように分かり、「面白かった」。
これは今の僕とは関係のない、あの時代にあがいていた青年の歌声であり演奏なんだと思える。
あのときの「鐸木能光」のこの演奏を今の(60代の)僕が聴いたら、佐々木勉さんよりはずっと優しいアドバイスをしてあげられるだろうな。
そして、ちゃんと正解に導いていく自信もある。
なにせ過去の自分なのだから、長所も欠点も分かっているしね。
↑そのときの『春は来ない』
この曲自体を封印してきたのだが、これは今の自分とは関係がない、過去のものとして第三者のように聴けるから、こうして残しておくことにする。
ちなみに、僕がこのときの「佐々木勉」さんが作曲家だと知ったのは、彼が亡くなったというニュースに接したときだった。
1938年12月26日 - 1985年3月11日。まだ40代の若さだった。
↑今回購入したカセットプレイヤー。USB接続でパソコンにWAVやMP3形式のデジタルファイルとして取り込むことができる
あ、そうそう、冒頭のクイズの答えは↓これ
オープンリールテープを編集するための器具。
放送局や録音スタジオにいた人なら必ずこれを使って仕事をしていたはず。
編集点のそばでデッキを止めて、ヘッドの上を手で前後にテープを動かしながら(ウニョウニョという音がする)切るポイントを見つけてそこで白いダーマトでテープの裏側にちょこんと印をつける。
つなぎ合わせるほうのテープも同様にポイントを見つけて印をつけ、その2本のテープをこの器具の上で重ね合わせて、溝に沿って消磁したカッターで切り、裏側をスプライシングテープ(写っていた赤と白のテープ。赤いのは剥離する部分)で貼り合わせる。
まさにアナログの世界。
今はコンピュータ上でいくらでも非破壊編集できるから楽になった。
それにしても、いろんなものがなくなって出てこないのに、なんでこんなものだけ手元に残っているんだろうか。
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のぼみ~日記の写真は主にオリンパスXZ-10で、他にオリンパスStylus1、ソニー NEX-5R+SONY 50mm/F1.8 OSSなどでも撮っています
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