のぼみ~日記 2015

2015/07/15の3

サトアオ(シュレーゲルアオガエル)上陸までの道のり

堰堤にモリアオの卵がないことを確認して家に戻ってきてから、かわず庵の庭で上陸したサトアオ(シュレーゲルアオガエル)がいないか、足下を注意深く見ながらゆっくりと歩いた。
お、方舟の軍手坂に1匹いる。まだ上陸したばかりで、庭に出て行く勇気がないままぼ~っとしているみたいだ。
軍手坂には常にど根性ガエル(何をやっても動じない肝の据わったトウキョウダルマガエル)がいて、上陸してくるミニサトアオを食っているんじゃないかと怪しんでいるのだが、今日は姿が見えない。
……と思ったら、少し離れたところにど根性ガエルといつも一緒にいる緑色のやつがいた。おまえ、絶対食うなよ。すでにずいぶん食っちゃったんじゃないのか? 腹一杯で今はどうでもいいのか?

心配になって、ぼ~っとしているサトアオの子を、麺を鍋から湯切りしながら掬い上げるやつ(「平ザル」とか「そば揚」というらしい。100円ショップにてメダカやオタマをひょいと掬い上げるために購入)で掬い上げて、離れた葉っぱの上に移動させた。
ここでもうしばらくぼ~っとして、尻尾が完全に融けて身体にエネルギーが漲ってきたら、トウキョウダルマガエルやヘビに食われないうちに安全な場所を探して移動しなさいね。

左が上陸したばかりでぼ~っとしているサトアオの子。右が怪しいトウキョウダルマガエル。サトアオの子がちょっとでも動いたら飛びかかって食いそう


平ざるでひょいと掬い上げて……


まじまじと見る……も、目が悪いのでよく見えない。こうして写真に撮っておいて、後からじっくり見ることになる


トウキョウダルマガエルに食われないように、少し離れた葉っぱの上に置いた


なんだかひ弱そうで心配だ。栄養足りてないのかな


こんな顔。かわいいねえ


大きさが分かるように指を添えてみる


あら? こないだ追加したベニヤ坂にも、もう1匹いた




方舟の中にはまだ前脚の生えてこないオタマが残っていて、お麩に食いついている。栄養つけて早くカエルになりましょうね





紫陽花が今頃咲き始めた

今日のオマケ お金と商売の話(2)

こどものアトリエこぐま に通ってきている子供と先生の会話について前回書いたが、その続き。

お金のためにこれ(仕事)をやっていると思うと虚しくなるが、かといってただでやっていたらプロとしての自覚が生まれないし、もちろん仕事を続けられない。当然、お金はもらわなければならないのだが、商売の適正価格というのは実に難しい。

現代は巨大資本の巨大企業と破綻の危機に直面しながらなんとか仕事を続けようと努力している個人事業者・零細商売との二極化がどんどん進んでいる。
巨大企業は資本力にものを言わせて薄利多売という商売ができる。商品ひとつの儲けを押さえ、売る数量で勝負する。たくさん売るためには既存メディアを使って宣伝広告活動もやる。
それを支える労働力は、徹底的に安く押さえる。国内より海外のほうが人件費が安いとなれば、製造拠点を国外に移す。その結果、価格破壊というものが起きる。
100円ショップの商品なんかはその代表だ。
現代ではその図式がとことん確立してしまっている。

安かろう悪かろう

安かろう悪かろうというのは昔からよく言われるが、現代ではそう単純でもない。
上の写真に写っている「平ざる」は100円だが、似たようなものが専門店では2000円以上で売られていたりする。しかし、たいていの人にとって、平ざるを使うことなんてそう多くはないし、100円の商品で事足りてしまうから、この場合は「安ければOK」となる。

僕自身が体験した「安かろう悪かろう」の典型は電動アシスト自転車だ。
3.11後の4月に全村避難中の川内村に戻って生活を再開したとき、ガソリンがなくてもある程度長距離移動できる手段として電動アシスト自転車を買った。
この商品、国産製品は安くても7~8万円くらいする。しかも当時はMTBタイプやスポーツタイプのものはほとんどなかった。
中国製だとMTBタイプのかっこいいやつが3万円台で買えたりする。そこで、「お試し」感覚で中国製の安いやつを購入した。当時は「緊急時避難準備区域」の川内村には日本郵便とヤマト運輸しか来てくれず、佐川を指定していた販売店に「送料を追加するからクロネコで発送しろ」とかけ合った末、1か月以上かかって届いた。
涼風号と名づけたそのMTBタイプの電動アシスト自転車は、届いたときからバッテリーケース内で半田づけが剥がれていたり、前輪がすぐに歪んだりと、とんでもない粗悪品だったが、我慢して修理に修理を重ねて2年ちょっと乗った。
急にバッテリーの充電がうまくいかなくなり、バッテリー寿命なのかとバッテリーを買ったり、充電器を買ったりしたが、結局は電気系統の要であるブラックボックス部分の故障と突きとめるまでかなりの無駄な出費とゴミを生じさせた。

修理を断念して新車に買い換える際は、高くても国産車を買おうということで、ネットで調べまくり、パナソニックの「活動的な女性用」というコンセプトで作られたプレジアというモデルを買った。11万円ちょっとしたから、僕にとっては相当な決断だ。
しかし、高いだけのことはあった。3万円台で買った初代涼風号とは比較にならない品質。未だにパンク一つしない。
これなどは昔からの「安かろう悪かろう」「高いものには理由がある」という分かりやすい例だ。

ネット時代の商品価値

誰が売っても同じ商品・サービスというものがある。家電製品などはその代表だ。個人商店で買っても量販店で買っても通販で買っても、商品自体には差がない。
馴染みのお店から買えば、壊れたときなどに駆けつけて直してくれるかもしれない? 今はなかなかそういう状況にはならない。修理より買い換えを勧められたりするしね。
同じ商品なら、信頼できるあの人、あのお店から買おう、といった売り手・買い手の義理や人情も、どれだけの価格差なら許容できるか……。買い手もまた経済的に追い込まれている今は、とても難しい。

デジタルもの、IT関連なども、中身にあまり差がない商品・サービスで構成されている。
木工製品とかだと名人が作った逸品というものが価値を生み出すが、コンピュータを熟知した個人がパーツを吟味して使いやすくて性能のよいコンピュータを組み立てて売ろうとしても、CPUなどのパーツを自作するわけにはいかないから、メーカー製品以上の製品はなかなか作れないし、作れたとしても価格が高くなる。

ネット回線の品質なんていうものもそうだ。割り当てられる回線の太さでほぼ決まるわけで、通信事業者が世界中に張りめぐらされた通信ケーブル、海底ケーブルをプロバイダーが統括管理しているわけじゃない。ドメイン販売、レンタルサーバーなどもことごとくそう。
そういう分野に小さな企業や個人事業者が参入するのはほぼ不可能。やるならソフトウェア開発関連しかないが、アイデアだけでは実現しない。優秀なプログラマーや商品デザイナー、営業面を任せられるタフな人材とチームを組むことが必須だ。

それとて、ネット上のビジネスモデルがほぼGoogle、Apple、Microsoft、Amazon (GAMA)などの企業によって確立、支配されてしまった今となっては、画期的なアイデアを生み出すことが苦手な日本的経営者が支配する企業がこれから勝負していけるとは思えない。

そんなアイデア後進国、無責任慣習主義大国日本で、個人規模の商売を続けていくことはどんどん難しくなっている。

心に借金をする

表現を商売にするアーティストたちも、現代においてはGAMA(Google、Apple、Microsoft、Amazon)のような支配企業がコントロールする「社会」の中でしか活動できない。
もちろん、狭い地域を拠点とし、少人数を相手にする表現活動というのもあるだろう。今回の話の出所である「こぐま」のように、教育分野などでは可能だ。

世捨て人のように、自分の心、感覚だけを見つめて芸を高める道もあるかもしれない。川内村の山奥に一人で住んでいた「琵琶仙人」のように。

でも、自分が創ったものを多くの人たちに評価してほしい、共有してほしいと願うアーティストたちは、現代ではIT、デジタル社会の中で生きていくしかない。

前回の話で子供が言った「心に借金する」というのも、現代がネット時代、デジタル時代になったことで、より複雑な話になっている。
「高いお肉は心を込めて作られているから高い」というような単純な話ばかりではなくなってしまった。
マスメディアの質が落ちて、メディア企業の中で働く人たちの資質や裁量権も落ちている今、価値のあるコンテンツはYouTubeやブログでの文章など、ネットに活路を求めざるをえない。しかし、そこは玉石混淆というよりは、ほぼゴミ溜め状態。
ネット人口は多くても、ゴミ溜めの中から価値のあるコンテンツを探し出す能力・技術を持っている人たちは限られている。

デジタルコンテンツの適正価格

現代ではほぼすべてのアート作品(文章、美術、音楽、映像……)がデジタル形式で流通する。
デジタルコンテンツはお手軽な分、耽溺性、中毒性の高いもの(モバイルゲーム)や、不出来でつまらなくても使わざるを得なくなってしまったもの(AdobeやMicrosoft製品)が売れる。そこにも巨大資本の支配がのしかかる。
パチンコや競艇競馬のような刺激や射幸性を持つゲームは、なんら新しさやオリジナリティがなくてもどんどん人の心を侵食していく。
ワードやエクセルなんかよりずっと使いやすくてまともなソフトがあっても、ワード文書、エクセルファイルといった仕様でデジタル社会を縛ることに成功した企業は、好きなように高額な価格をつけて不要なバージョンアップを繰り返し、巨利を得る。

そんな中で、アーティストたちは自分にしかできない創作物、オリジナリティ、美意識といったものにこそ価値があり、金を払ってもらえるべきだと考えるが、それがネット上という市場に出た途端に貶められたり、「ただであたりまえ」という感覚でコピーされる運命が待っている。

冗談じゃない、と思いながらも、自分もまた経済的には追い詰められているから、ネット上にあるコンテンツに高い金を出すことに抵抗を持つようになる。そんなことを繰り返しているうちに「心の借金」は増えていき、疲弊する。

僕は商売が下手である。
個人規模の商売では、薄利多売は不可能なので、単価の高い商品を、それを求める人に売ることが一つの道なのだが、高い価格をつけることにためらいを感じる。
個人商売の場合、自分の労力や才能に自分で価格をつけるわけだが、その時点で常に葛藤がある。
他人から安く値踏みされれば腹が立つが、かといって自分で高い値段をつけるのも躊躇ってしまう。
この小説を読みたい人はお金持ちだとは限らないよな、納豆ご飯で食費を抑えつつこの小説を読もうとしているかもしれない。
1000円なら思いきって買うかもしれないけれど、1500円にしたら買わないかな。自分でもそうだし……などなど、思い悩む。
これがまさに、僕にとっては「心に借金する」ことだ。

合理性と芸術性の両立

社会の空気を変えたり、時代の流れを動かすことはできない。
ネット時代になって、それができると思って声を上げている人たちは多いが、実際にはできない。なぜなら、人間の本質は昔から変わっていないからだ。
国民性のようなものも簡単には変わらない。日本では、大和朝廷が全国制覇した頃から今に至るまでずっと「支配される安住感」というものが人びとの心に染み込んできた。
悪代官にかすかすの収穫を奪い取られ、殺人鬼のようなお殿様のわがままや野心に翻弄されて戦場で討ち死にするようなことも、「被支配者層に生まれた以上仕方がない」と諦める。諦めた上で、ぎりぎり生き伸びていくための小さな工夫やずるがしこさに頭を使う。そういう生き方が染み込んでしまっている。多くの人たちが考える「保守主義」というのは、実はそうしたこずるさで形成された家族主義だ。悲しいかな、そのこずるさと「じっとして生き抜く」精神が社会の流れを決定ずけた結果、家族も崩壊することに思い及ばない。とことんひどい目に合うまで、破滅に向かって進む。

社会の構成員の多くがそういう生き方をしている以上、同じ社会の中で、いくら理想や合理性を唱えたところで世の中は変わらない。理解してくれる人たちから「いいね!」がついても、その外側の巨大な集団にはほとんど影響を与えない。

……ということを呑み込んだ上で、この社会の中で自分はいかに生き延びるか、苦痛を減らし、楽しさを増やして生きていけるかということを考えるしかない。

創作活動では、ずっと前から「魂はアナログ、手段はデジタル」を標語に活動してきた。
手段はデジタルでもいい。でも芸術の価値は魂を揺さぶる深い感動を生むかどうかであって、それを忘れたデジタルアートは価値がない、と。

最近ではそれと同時に、社会の中で「生きる」「うまくやる」「社会の構成員として正しく機能する」といったことについても試行錯誤している。nikko.club や 41.stはその一環。
この時代、この社会の中で、飢えずに、理不尽な苦しみを少しでも減らしながら生きていくためには、どんな方法があるか……。

企業や組織に所属して決まった給与や年金をもらえる人たちは、僕ら完全な自由業、個人営業の大変さを知らないから、平気で「友達だからただでやってよ」みたいなことも言う。でも、僕らは安定した給与や年金がない代わりに、悩む時間、試行錯誤する余裕を持っている。
だから、その部分で給与所得者にはやりにくい実験もしていかなくてはならないと思っている。
なにより、自分が生きるためにも……ね。

個人がデジタルコンテンツで大成功を収めた稀な例↑
秀丸御殿伝説を追いかけたソフト作者は多いが、結局はもっとダメな製品が世の中を支配する










更新が分かるように、最新更新情報をこちらの更新記録ページに極力置くようにしました●⇒最新更新情報



一つ前の日記へ一つ前へ |     Kindle Booksbooks      たくきの音楽(MP3)music      目次へ目次      takuki.com homeHOME           | 次の日記へ次の日記へ



tanupack音楽館  よいサイト 41.st  たくき よしみつの本 出版リストと購入先へのリンク  デジカメと写真撮影術のことならここへ! ガバサク道場


「福島問題」の本質とは何か?


『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』(岩波ジュニア新書 240ページ)
『裸のフクシマ』以後、さらに混迷を深めていった福島から、若い世代へ向けての渾身の伝言

第1章 あの日何が起きたのか
第2章 日本は放射能汚染国家になった
第3章 壊されたコミュニティ
第4章 原子力の正体
第5章 放射能より怖いもの
第6章 エネルギー問題の嘘と真実
第7章 3・11後の日本を生きる

今すぐご注文できます 
アマゾンコムで注文で買う
⇒立ち読み版はこちら
裸のフクシマ  『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(講談社 単行本352ページ)
ニュースでは語られないフクシマの真実を、原発25kmの自宅からの目で収集・発信。驚愕の事実、メディアが語ろうとしない現実的提言が満載。

第1章 「いちエフ」では実際に何が起きていたのか?
第2章 国も住民も認めたくない放射能汚染の現実
第3章 「フクシマ丸裸作戦」が始まった
第4章 「奇跡の村」川内村の人間模様
第5章 裸のフクシマ
かなり長いあとがき 『マリアの父親』と鐸木三郎兵衛

今すぐご注文できます 
アマゾンコムで注文で買う
⇒立ち読み版はこちら



HOMEへ 狛犬ネット入口目次へ


Google
abukuma.us を検索 tanupack.com を検索