戦争は多くの人の命を失い、多くの人が傷つき、その傷跡は何年、何十年、何百年経っても消えることはありません。
その時、大学1年生だった王さまは、この戦争で同級生を数人失いました。
この経験から、心に深く刻み込まれたのは「争いからは何も生まれない。国と国、民族と民族、人と人は如何なることがあってもお互いに争うことなく、仲良く助け合って行くことが本当に大切なことだ」ということです。
「紐付き」補助金に頼らない田直し事業や、山間に「下駄履きヘルパー」を派遣する事業が実施されるなど、過疎地に合わせた政策を展開。中央政権による一律(高基準)な補助金を受け続けた場合、「補助金はあくまで補助であるため、当地の財政は破綻する」と考えた村長が、独自の政策を掲げ運営をしてきた。なお良質の米が取れる地域であったことも幸いした。僕が最初にこの村の名前を知ったのは、川内村になかなか光高速回線が引けないことで、全国の過疎地ではどうなっているのだろうとネット上でいろいろ調べていたときだった。
いきなり戦争だなんて、大袈裟だとか、またか、とか思う人がいると思います。でも私は怒り狂ってるわけでも、バカの一つ覚えみたいに反戦を叫んでいるわけでもありません。たしかに私は怒っているけれど、どうにかそれをぐっとこらえて、怒りをこういう形に変えて、話を聞いてほしくてここにきています。少しだけ足を止めて話を聞いてください。
日本は今年、戦後70年を迎えました。「戦争はいけない」そんな当たり前のことを訴えることが当たり前になりすぎて、いつしか日本人にとって戦争はどこか野蛮な国の人たちが行う、違う世界の出来事となっていったのかもしれません。そして、戦争は悲しい、泣ける、物語になっていきました。
最近はよく志半ばで亡くなった人の、悲劇のストーリーが映画化されるけれど、あれは美談なんかではありません。日本人がかつて行った侵略戦争で、人々は憎んで殺し、殺される論理のなかにいました。それは、悲劇以外の何物でもありません。
だけど、今の生活と、その物語とが、あまりにかけ離れすぎて、まさか日本人が戦争なんてしないだろうといつの間にか私たちは、思い込んでしまいます。だけど、戦争は70年前だから起こったんでしょうか。
今の私たちだって、目の前に武装した兵士が現れたら怖いし、突然家族が殺されたら憎しみを抱きます。ISILの人質殺害事件の時のように、自らの安全や利益のために、自己責任論といって他人を切り捨てろという世論も生まれます。
今、起こっている戦争は、決して「中東だから」「アフリカだから」という理由で起こっているわけではないんです。それぞれの信じる正しさが違っているだけで、大切な人や自らが攻撃されたとき、恐怖を覚え、憎しみを持つ気持ちにきっと変わりはないはずです。そうして人々は武器を持ち、自衛のために戦ってきたのでしょう。
今の日本があるのは、別に日本人という種族が優秀だったわけではない。私たちの持つ人を憎んだり、恨んだり、そういう負の感情を放っておくと簡単に争いが起こるから、何百年もかけて世界の人々は、暴力的な感情との付き合い方や折り合いのつけ方を、繰り返し反省し、話し合って、ようやくいくつかの約束事としてかたちにしてきたのではないでしょうか。
その積み重ねの最たるものの一つが、日本国憲法です。そうやって戦争の恐ろしさを受け継ぎ、平和な世の中を積み重ねていった人々がいたおかげで今、ちょうど戦争をしない日本に私たちは生まれてきました。だから、歴史上の今の日本だけを切り取って、武器を持ちながら戦争に絶対参加しないなんて、そんな理性的でいられるなんて、簡単に確信を持てません。一度戦地にいけば、いくらでも戦争のきっかけは生まれ、「やり返せ」と、私たちの感情に訴えてくるはずです。
私たちがすべきことは、その積み重ねを「時代が変わったから」と言って簡単に捨ててしまうことなんでしょうか。捨てることは簡単かもしれないけれど、私は、先人たちの思考した歴史を蔑ろにしたくはありません。むしろそれを生かして、犠牲のない世界を作れると信じたいのです。馬鹿な理想主義者かもしれないけれど、その理想を掲げていたいと思うのです。
戦争に参加するなら、武器を作って売るのなら、人を殺すという自覚と覚悟が必要です。私にはその責任はとても重く感じられます。だけど今、そのことについて本当によく考えられているでしょうか。
日本だけが、イラク戦争について検証も反省もしていません。それは物資の支援だけで多くの民間人が犠牲になったことについて自分達には関係ないという、自覚のない参加をしたからじゃないでしょうか。今、安倍政権は「後方支援」といって、また覚悟のないまま、戦争に参加しようとしています。自分は本当に悪いところには手をつけていないと思って、その責任の重さに目を背けています。
まずは、過去から振り返ってその責任に向き合うべきでしょう。
テロリストたちはどうしてテロリストになったのでしょうか。彼らの多くは報復を目的としています。それは戦争が原因だったり、社会への不満があったりします。日本はそんな社会作りに加担していなかったでしょうか。協力したアメリカの政策に、落ち度はなかったでしょうか。本当に向き合うべきなのは、テロリストを生み出した今の世の中ではないでしょうか。
テロリストは残酷で、武力に頼っていて、彼らもまた悲劇をもたらします。だから、私は彼らも許せません。自分たちの正しさを押し通すために武力を用いる彼らを私は許せません。だけど、だからこそ、何があってももう武器を持って戦争をしてはいけないはずなんです。
9.11以来、対テロ政策として武力行使が正当化されてきたけれど、なにがあっても、どの国の人も、アメリカ人兵士の犠牲さえも、許されるべきではないはずです。なぜなら、戦争はまた憎しみを生み出し、武力の応酬は何の解決にもなりません。これ以上の連鎖をとめるために、私たちは自らその負のサイクルから降りるべきだったのです。
聞き慣れた言葉かもしれないけれど聞いてください。
戦争は人を傷つけます。子供や未来も傷つけます。戦争は町や人を破壊します。
70年間言われ続けた、戦争の恐ろしさを伝える言葉たちに、新鮮さを感じなくなって蔑ろにするようになっていませんか。どうか想像してみてください。戦争の恐ろしさと過去の過ちから目をそらし、武力行使を正当化する私たちと、戦争の恐ろしさを反芻して学びながら過去を悔いて、武力行使を放棄する私たち。それぞれの道の先には何が待っているのかを。
私たちはかつて後者にいたはずで、そしてこれからも、同じ選択をしていきたいのです。私は長い長い紛争で何が傷ついたのか、その一端をこの目で見て知っています。
3年前、生きるために親元を離れて治療をするアフガニスタンの子供たちに出会い、数カ月を共に過ごしました。アフガニスタンでは、長い紛争によりインフラが破壊され、国内では簡単な治療も受けられない状況にあります。亡くなる子供も少なくなく、治療をしに来られる子はまだ幸運な方と言えます。怪我や病気があっても彼らはとても元気で、尊重されるべき命で、決してかわいそうな存在ではありません。
手足がなくても、顔に火傷を負って差別されても、子供たちは助け合い、大抵のことは自分たちで出来るようになります。けれど時間はそうはいきません。もっと色々な経験ができたはずの時間が治療やリハビリに費やされています。そして、大切な成長期に親元にいられないことや、恐怖や憎悪の記憶は彼らの心にしっかりと刻みつけられているのです。怪我や病は確実に彼らの可能性を奪っています。これが、これこそが、報復戦争の結果で、戦争の現実にほかなりません。
子供たちがあんな思いを今しているのは、「アフガニスタン人だから」ではなく、憎悪にかられた武力行使のせいでしょう。それさえなければ彼らがあんなに苦しむ必要はなかったでしょう。私が出会った子どもたちの人生は、物語でもないし美談でもありません。アフガニスタン人が傷つくことは普通じゃないし、そんなことはあってはならないんです。彼らがこれ以上傷つくことを私は許せないし、日本人がそれに加担し、私自身がその責任を背負いながら、彼らにまたどう向き合っていけばいいのか分かりません。
だから、こういう現実を見たからこそ、なお、私は理想を掲げ続けたいのです。戦争はなくせるという理想を掲げ続けたいのです。その一歩を日本が、日本こそが踏み出せる、そう信じています。
きっと、1人目の日本人犠牲者が出たらその憎悪が拡大していくのはあっという間でしょう。国の政策も国民の感情も歯止めがきかなくなります。今、もうすでに様々な犠牲の上に私自身生きているけれど、これ以上の犠牲の上に生きることを、ここでやめましょう。
この法案が通って初めの自衛隊員が亡くなる前に、または、自衛隊員に人を殺させてしまう前に、こんなバカげた話し合いを終わりにしましょう。私がこの法案に反対するのは、日本に普通の国になって欲しくないからです。
アフガニスタンには大切な小さな友人たちがいます。彼らやその家族を日本人が、日本人の作った武器が、傷つけることに私は耐えられません。この国の平和と国民の命を守るために、友人やそのまた友人が戦地で傷つくことに私は耐えられません。
やられたらやり返す、やられる前にやる、そんな報復合戦に参加し、これから先も誰かの犠牲の上に自らの平和が成り立っていくことに、私は耐えられません。
私たちの憲法は、今ある普通の国のその先へ行くことができる、先進的で素晴らしいものだと信じています。徹底して武力行使をしないことこそが、世界の平和と安全をかたち作るものだと信じています。
今、実は反対しているのに、声を上げていない人が私の周りにはたくさんいます。そういう人たちに聞いてもらいたい。犠牲者が出てからでは遅いんです。福島の原発事故で、そのことを痛い程私たちは突きつけられました。法案が通って、人が亡くなった時、「だからそうだと思っていたんだ」と、「僕の、私の思っていた通りになった」と、優越感に浸るんですか。反原発を長年訴えてきた先生は、原発事故以降、間に合わなかったと肩を落としていました。そんなことを、また繰り返すんですか。
声を上げるなら今です。
SNSでいいね!が増えても、安倍さんに危機感を持たせることはできないでしょう。彼は彼の人生における大きな使命を今全うしようとしているのですから。
私たちも、それに見合うだけのエネルギーを注がなくてはいけません。国会前に集まってください。デモで一緒に歩いてください。想像力の乏しい首相には、実態で反対の姿勢を見せなくては私たちの意志は伝わりません。忙しいのにわざわざ来るからこそ、意味があるのです。疲れてるけれど、行かなくては、と思うそのエネルギーに驚くのです。
彼も私たちと同じ人間ならば、何万、何十万の人が集結したその事実に、向き合わずにはいられないでしょう。私たちが反対の意思表示にかけたそのエネルギーを目の当たりにして、無視してはいられないでしょう。
憎悪の連鎖を私たち自身が止めましょう。過ちは繰り返さないと、70年前の犠牲者に私たちは誓ったはずです。
私たちなら止められる。私たちが止めるんです。2015年6月27日、私は戦争法案に反対します」
(ミキさん)
安倍晋三さん。私は、あなたに底知れない怒りと絶望を感じています。
先週、衆院安全保障特別委員会で、安保法制がクーデターとも言われるかたちで強行採決されました。沖縄では、県民同士を争わせ、新たな基地建設が進められています。鹿児島では、安全対策も説明も不十分なまま、川内原発を再稼働させようとしています。
一方で、東北には、仮設住宅暮らしを4年以上続けている人は、まだたくさんいらっしゃいます。あなたはこの状況が、美しい国・日本のあるべき姿だと言えますか?
アメリカは、「自由と民主主義」のためとして、世界中に基地をかまえて、紛争地域を占領し、市民の生活を脅かし、そして9.11のあとに、『対テロ戦争』として、無差別殺人を繰り返してきました。
後藤健二さんが殺害された時、私は、日本がアメリカのような対テロの戦いを始めるんじゃないかと思って、とても怖くなったのを今でも覚えています。
しかし、日本はアメリカと同じ道を辿ってきてないし、これからも辿りません。
被爆国として、軍隊を持たない国として、憲法9条を保持する国として、私たちには、平和について真剣に考え、構築し続ける責任があります。70年前に経験したことを、二度と繰り返さないと、私たちは日本国憲法をもってして誓ったんです。
武力に頼る未来なら私はいりません。人殺しをしている平和を、私は平和と呼びません。いつか私も自分の子どもを産み、育てたいと思っています。だけど、今の社会で子どもを育てられる自信なんかない。
安倍さん、私のこの不安を拭えますか? 子どもを持つ親御さんたちに、安心して子育てができる社会だと言えますか? 福島の子どもたちに、安全で健康な未来を約束することが出来ますか? 沖縄のおじいやおばあに、基地のない島を返すことはできますか?
自分の子どもが生まれた時に、真の平和を求め、世界に広める、そんな日本であってほしいから、私は今ここに立って、こうして声を上げています。未来を想うこと、命を大事にすること、先人の歩みから学ぶこと、そんな当たり前のことを、当たり前に大事にする社会に私はしたいんです。
家に帰ったらご飯を作って待っているお母さんがいる幸せを、ベビーカーに乗っている赤ちゃんが、私を見て、まだ歯の生えない口を開いて笑ってくれる幸せを、仕送りしてくれたお祖母ちゃんに『ありがとう』と電話して伝える幸せを、好きな人に教えてもらった音楽を帰りの電車の中で聞く幸せを、私はこういう小さな幸せを『平和』と呼ぶし、こういう毎日を守りたいんです。
憲法を守れないこの国の政府は『この道しかない』とか言って、安倍政治を肯定しようとしています。平気で憲法違反するこの国の政府に、どうしたら国際社会の平和を構築することができるのでしょうか。
国会で野次を飛ばすような稚拙な真似をしてみたり、戦争を近所の火事に例えたり、粛々とあの美しすぎる大浦湾を埋め立てようなんて、私には本当に理解できません。あなたの一切の言動に、知性や思いやりのかけらを感じたことがないし、一国民としてナメられている気がしてなりません。
安倍さん、私はこれ以上、私が生きるこの国の未来を、あなたに任せることはできません。私が願う、一人ひとりが大切にされる、民主的で平和な明日を、あなたと一緒に作りたいとも思わないし、あなたと一緒に作れるとも思いません。
この場から見えるこの景色が、私に希望を与えてくれます。安倍さん、あなたにもここに立って見てほしい。本気でこの国の未来を思い、行動する人たちの顔は、きっとあなたが永田町で毎日合わせる顔の何十倍も強さと希望にあふれているということを。
あなたの手の中に、民主主義もこの国の未来もありません。ここにいる私たち一人ひとりで勝ち取りましょう。
2015年7月24日。私は安倍政権に退陣を求めます」
(芝田万奈さん)
「こんばんは、今日はわたし、本当に腹がたってここにきました。
国民の過半数が反対しているなかで、これを無理やり通したという事実は、紛れもなく独裁です。
だけど、わたし、今この景色に本当に希望を感じてます。
大阪駅がこんなに人で埋め尽くされているのを見るのは、わたし、初めてです。この国が独裁を許すのか、民主主義を守りぬくのかは、今わたしたちの声にかかっています。
先日、安倍首相は、インターネット番組の中で、こういう例を上げていました。『喧嘩が強くて、いつも自分を守ってくれている友達の麻生くんが、いきなり不良に殴りかかられた時には、一緒に反撃するのは当たり前ですよね』って。ぞーっとしました。
この例えを用いるのであれば、この話の続きはどうなるのでしょう。友達が殴りかかられたからと、一緒に不良に反撃をすれば、不良はもっと多くの仲間を連れて攻撃をしてくるでしょう。そして暴力の連鎖が生まれ、不必要に周りを巻き込み、関係のない人まで命を落とすことになります。
この例えを用いるのであれば、正解はこうではないでしょうか。
なぜ彼らが不良にならなければならなかったのか。そして、なぜ友達の麻生くんに殴りかかるような真似をしたのか。その背景を知りたいと検証し、暴力の連鎖を防ぐために、国が壊れる社会の構造を変えること。これが国の果たすべき役割です。
この法案を支持する人たち、あなたたちの言うとおり、テロの恐怖が高まっているのは本当です。テロリストたちは、子供は教育を受ける権利も、女性が気高く生きる自由も、そして命さえも奪い続けています。
しかし彼らは生まれつきテロリストだった訳ではありません。なぜ彼らがテロリストになってしまったのか。その原因と責任は、国際社会にもあります。9.11で、3000人の命が奪われたからといって、アメリカはその後、正義の名のもとに、130万人もの人の命を奪いました。残酷なのはテロリストだけではありません。
わけの分からない例えで国民を騙し、本質をごまかそうとしても、わたしたちは騙されないし、自分の頭でちゃんと考えて行動します。
日本も守ってもらってばっかりではいけないんだと、戦う勇気を持たなければならないのだと、安倍さんは言っていました。だけどわたしは、海外で人を殺すことを肯定する勇気なんてありません。かけがえのない自衛隊員の命を、国防にすらならないことのために消費できるほど、わたしは心臓が強くありません。
わたしは、戦争で奪った命を元に戻すことができない。空爆で破壊された街を建て直す力もない。日本の企業が作った武器で子供たちが傷ついても、その子たちの未来にわたしは責任を負えない。大切な家族を奪われた悲しみを、わたしはこれっぽっちも癒せない。自分の責任の取れないことを、あの首相のように『わたしが責任を持って』とか、『絶対に』とか、『必ずや』とか、威勢のいい言葉にごまかすことなんてできません。
安倍首相、二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法は、あなたの独裁を認めはしない。国民主権も、基本的人権の尊重も、平和主義も守れないようであれば、あなたはもはやこの国の総理大臣ではありません。
民主主義がここに、こうやって生きている限り、わたしたちはあなたを権力の座から引きずり下ろす権利があります。力があります。あなたはこの夏で辞めることになるし、わたしたちは、来年また戦後71年目を無事に迎えることになるでしょう。
安倍首相、今日あなたは、偉大なことを成し遂げたという誇らしい気持ちでいっぱいかもしれません。けれど、そんな束の間の喜びは、この夜、国民の声によって吹き飛ばされることになります。
今日テレビのニュースで、東京の日比谷音楽堂が戦争法案に反対する人でいっぱいになったと見ました。足腰が弱くなったおじいさんやおばあさんが、暑い中わざわざ外に出て、震える声で拳を突き上げて、戦争反対を叫んでいる姿を見ました。
この70年間日本が戦争せずに済んだのは、こういう大人たちがいたからです。ずっとこうやって戦ってきてくれた人達がいたからです。
そして、戦争の悲惨さを知っているあの人達が、ずっとこのようにやり続けてきたのは、紛れもなくわたしたちのためでした。ここで終わらせるわけにはいかないんです。わたしたちは抵抗を続けていくんです。
武力では平和を保つことができなかったという歴史の反省の上に立ち、憲法9条という新しくて、最も賢明な安全保障のあり方を続けていくんです。わたしは、この国が武力を持たずに平和を保つ新しい国家としてのモデルを、国際社会に示し続けることを信じます。偽りの政治は長くは続きません。
そろそろここで終わりにしましょう。新しい時代を始めましょう。
2015年7月15日、わたしは戦争法案の強行採決に反対します。ありがとうございました」
(寺田ともかさん)
【きのうSEALDsに会ってきた他いろいろ】
1・昨夜(2015年7月24日)、官邸前でSEALDsのメンバー数人と立ち話をしました。彼らについてネットにいろいろ出回っている噂をこの目で確かめたかったからです。
2・組織が急激に注目を浴びて評判が拡散してることについて、歓迎する者、戸惑いを隠せない者、色々でした。この色々っていう部分に、僕はSEALDsの懐の深さと不安定さを感じました。僕の肌感覚では、SEALDsを「彼らはこういう連中だ」とレッテルを貼るのは楽だけど、それは正しい政治の国を望む者にとって非常に危険だと思いました。
★ 僕はこの度の強行採決された戦争法案には反対です。その理由は採決そのものが違憲だから。これに尽きます。
3・しかし政府は強行採決のやり方から国民の目を逸らせるかのように「戦争法案は違憲か合憲か」の対立構図を世論に作り上げ国民同士を戦わせています。昨夜も安倍政権による立憲主義の破壊よりも、戦争法案に反対する声のほうが大きかったように思えます。それも勿論重要ですが、戦争法案の是非だけになってしまうと、安倍退陣後も肝心の改憲解釈が生き残ってしまうのではないかと僕は思います。
4・昨日は警官隊が国会正面を封鎖し、デモ隊が分散するような配置にしました。「市民の安全のため」という説明だけでは…んー信じ難い動線でした。
5・多くの日本人は集団の中で最初に声を上げるのが苦手です。コンサート終了後1,500人のホールでスタンディングオベーションをしたのが2人、なんてことはザラです(おいらがその内の一人だったりしますが笑)。
6・デモ隊が分断されると人々の声はあっという間に小さくなります。相対的に大声を張り上げている"ちょっと行き過ぎな人たち"が目立ちます。彼らは概ねデモの趣旨とは関係のないコールを、例えば警備中の警察官に向けて暴力的な言葉を投げかけたりしています。それはまるで呪いの呪文を聞かされているようで、「ちょっとデモに行って抗議してくるか」ぐらいの人がその光景を見れば恐らく「あんな集会二度とイヤ」という気分になるのではと危惧します。
7・ただ、日本中から市民が集まっている事を実感しました。僕は大飯再稼働の抗議デモ以来二度目の官邸前ですが、あの時よりも参加者に多様性があり、年齢層も到底一括りにはできないほどでした。
8・本当に国民が怒っているし、安倍支持率低下は確実だと思います。この、ネットや報道では絶対に感じ取れない空気感を味わいに来るだけでもいいと思います。そしてある割合でおかしな奴が暴れていますので、これにもビックリしないでね。
9・自ら望んで警察官に襲いかかり取り押さえられている人間がいました。あれは数分前から言動がおかしい予兆があったので、左翼の皆さんには警察が市民に暴力をふるう瞬間として、右翼の皆さんには彼を過激な反対派として印象操作することは避けて欲しいです(たぶん無理だけど)。
10・警備に当たっている警察官を罵倒する人間を数人目撃しました。彼らは平和的なデモ参加者とは全く異なる、邪悪なものを肌から発していました。2人位のチームで行動し、警察が張った導線テープを自在に乗り越えあちこちのデモの塊に入り、デモ参加者の背後から大声で民衆を煽ります。目が完全にイっちゃってたので彼らの脳に何か、一時的な機能障害が生まれているようでした。一人なら只のおかしな奴として見過ごせるけど、チームを組んでいるので、僕は何かの意志を感じました。
11・「サンバチームの最前線で一般カメラマンに混じってダンサーを盗撮するオタクをいち早く探し出ししょっ引く」という仕事経験から、おいらにはそういう連中を嗅ぎ分ける力がいつの間にか身に付いていたようです(笑)。
12・上の命令はどうであれ、現場の警察官は職務を全うしていたと僕は評価します。結果的に大きな混乱が起きなかったのは、挑発的な罵声に絶え冷静に敬語で(ココ重要)、誘導していた現場警察官のおかげだと僕は思います。
13・昨夜、日本一平和的な行動を取っていたのは皮肉にもデモの警備に応った警察官だったのではないかと僕は思います。ただ、笑顔を作る練習(恐らく特殊な目的で訓練を受けている)はもっとしたほうがいいぞ(笑
14・警察官はほとんど若い。年を聞くと20代が揃っていました。で中には結婚指輪はめてたりするんで奥さん心配してない?がんばってね、なんて声かけると「ありがとうございます!」と返事してくるんだよね。なんだよかわいいじゃん。おばさんか俺は。
15・「あーべーやめろ、けんぽうまもれー!」っていうヒップホップ調?なシュプレヒコールはかっこ悪かったです。もっと韻を踏むとか、シンコペーション多用したらいいのにな。多少複雑でも皆んなついてこれるよ。シュプレヒコールだからいいか。
16・とにかく警官隊もデモに参加した老若男女も殆どが穏やかな顔をしています。超平和的。これが戦後70年平和憲法を守ってきた日本人の顔です。誰も殺してない民族の顔つきです。戦後日本の結果だと思います。安倍にはこれを壊さないで欲しい。だから2つ目に、
★僕は採決された戦争法案は廃案にすべき
と考えます。
と、取り留めもなく綴りましたが、気に入ったエピソードありましたか?^^
(タナカアキラさんのFBでのリポート)
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『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』(岩波ジュニア新書 240ページ) 『裸のフクシマ』以後、さらに混迷を深めていった福島から、若い世代へ向けての渾身の伝言。 複数の中学校・高校が入試問題(国語長文読解)に採用。大人にこそ読んでほしい! 第1章 あの日何が起きたのか 第2章 日本は放射能汚染国家になった 第3章 壊されたコミュニティ 第4章 原子力の正体 第5章 放射能より怖いもの 第6章 エネルギー問題の嘘と真実 第7章 3・11後の日本を生きる ■今すぐご注文できます ![]() ⇒立ち読み版はこちら |
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『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(講談社 単行本352ページ) ニュースでは語られないフクシマの真実を、原発25kmの自宅からの目で収集・発信。驚愕の事実、メディアが語ろうとしない現実的提言が満載。 第1章 「いちエフ」では実際に何が起きていたのか? 第2章 国も住民も認めたくない放射能汚染の現実 第3章 「フクシマ丸裸作戦」が始まった 第4章 「奇跡の村」川内村の人間模様 第5章 裸のフクシマ かなり長いあとがき 『マリアの父親』と鐸木三郎兵衛 ■今すぐご注文できます ![]() ⇒立ち読み版はこちら |
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