2020年東京オリンピックの公式ロゴマークが盗作なんじゃないかという騒ぎがなかなか収まらない。
あの程度のデザインなら世の中にいっぱいあるだろうから、偶然似たってこともあるだろうと、当初は白けてみていたが、ネット上では「これも盗作じゃないのか」「これなんか盗作と言うよりコピペじゃないか」と、次から次へと画像が上がってきて、ネット社会の怖さを実感している。
この業界、パクリは日常的に行われている。パクリというと語弊があるかもしれないが、「真似」あるいは「参考」にすることは、誰もがやっている。
デザインの作品集などが出版されているが、それらを持ってきて、
「このデザインに似たもの作って」
「このデザインを参考にして、ちょっと変えて」
といわれることは、よくある。
それって、パクリじゃん、と思いつつも、真似るのだ。本意ではないが、クライアントの指示、上司のAD(アートディレクター)の指示である。
……
と書いているのはグラフィックデザイナーの諌山裕氏。
これは別にデザイナーでなくても、広告業界や芸能界、メディアに身を置く人ならみんな経験しているし、知っていることだろう。
今回の騒動がここまで大きくなったのは、莫大な税金がデタラメに使われているオリンピック関連のことだからだ。
あの程度のデザインで大金(しかも原資は我々が払っている税金)と名誉を手にして……冗談じゃない……という怒りや嫉妬がからんでくるからだ。
ネット上にはこんな書き込みが散乱している。
この人は大手博報堂出身スキル、人脈を最大限利用して仕事を獲ていた政治的業者です。
ある程度 実力をつけて企業コンペに臨んでも、競合参加業者リストに「佐野」の名前を見つけたら「ああ・・だめか」って思ってしまう奴なんです。
いわゆる「業界既成スターデザイナー」プロデュースド バイ 博報堂。
フリーのデザイナーとかは、佐野たちの一派をよく思ってないから、全力でつぶしにかかってるんだよな
下請けゴーストの反乱、って気がしないでもない
業界の底辺で超低予算でパクリや「これに似せて」という仕事依頼が行き交うのは日常的なことだが、そこに身を落とすとなかなか這い上がれない。だから、クリエイターたるもの、食うために妥協することと、自分の力をしっかり育て、本物をめざすことのバランスをとりながらいろんなものと戦うことになる。
僕は25歳のときに人生最大のチャンスを棒に振った。
それからの20代後半から30代前半にかけての10年くらいは、底辺でのあがきを嫌というほど経験した。
ある日本を代表する家電メーカーが中国にテレビを輸出する際のCMソングというのを手がけたことがある。
中国では『鉄腕アトム』が大人気で、テレビのCM(そのメーカーのテレビそのものを売るためのテレビCM)に鉄腕アトムを使っているのだが、アトムの映像は買えたが、BGMにあの「空を超えて~♪」というテーマソングは使えないので、似たような雰囲気のインストを作ってほしい、という依頼だった。
あのテーマソングは傑作なので、似せて作れと言われるのは屈辱以外のなにものでもない。でも、どん底だったので、食べるために……と、たえがたきをたえて引き受けた。
ディレクターが自宅の四畳半スタジオまでやってきて、「そこのところ、もう一息似せられない?」と言ってくる。
「ええ~、この音を変えたらモロにアトムのパクリってことになるじゃないですか」
「いいんだよ。似せなければ意味がないんだから。盗作って言われないぎりぎりの線で……」
……こんな悲惨な時代があった。
だから、底辺の仕事をしている人たちが、上からの指示でパクリまくる、今ならコピペもしまくっているのは分かっている。
しかし、当時(80年代)、最前線を走る人たちの中には、しっかり才能も腕もあり、世界に誇れるものを作っている本物もいた。
それが分かっているから、いつかはそういう「才能がしっかり認められる最前線」にもう一度足を踏み入れたいと、底辺での仕事をしながらもあがいていたのだ。
どんなひどい仕事でも、その中で最大限の努力をする。手抜きはしない。プライドを捨てない。どんなに小さくてもチャンスを見出したらつかみ取る努力をする……。
これはそんな時のひとつの記録だ。↓
ビーボコーヒーZという缶コーヒーのラジオCM。
某音楽出版社の人から紹介されたフリーのディレクターという人物が持って来た仕事話。
その人の行きつけのバーで雇われマスターをやっている男性が物真似がうまいというだけで、飲みながら話が盛りあがったのだろう。「誰が聴いてもあの人の曲をあの人が歌っているように作れないか」というしょーもない依頼だった。
テレビCMは別の代理店が入ってきて取られてしまった。そのときの屈辱も相当なものだったが、その後、「予算は一桁違うが、ラジオCMなら残っているからやらないか」……と。
カンパケのCMを作る総予算が40万円と言っていた。
40万円で曲を作り、ミュージシャンを呼んでスタジオで録音し、ラジオCMのカンパケ(完全パッケージ)を渡すというのだから無茶な話だ。
引き受けるにあたって僕は、「じゃあ、ラジオCMだけでなく、最初からフルサイズの楽曲として作らせてください。歌詞は○○節を研究してそれらしく作りますが、メロディは完全なオリジナルでやらせてください。できあがった曲はレコード会社に売り込んでください。そういう可能性を持てないととてもこんなことはできませんから」という条件を出した。
それでいいよ、ということで作ったのが↑これ。
歌っていたのは松尾広一さんといって、僕より少し年上だった。新宿のバーで働いていた。
ラジオCMは完成したが、ディレクター氏はその後、プッツリと連絡を絶って、行方知れずになった。
最初から覚悟の上だったが、僕も松尾さんも、コーラスをやってくれたDanaもノーギャラだった。ミュージシャンたちは多分、5000円か1万円ずつくらいもらえたと思う(そう信じたい)。
そうなってからも、松尾さんとは何度かやりとりして、『笑っていいとも!』の素人オーディションに僕が書いた曲に振り付けをして乗り込んだりもしたが、やがて音信不通になった。
ずっと後になって、この音源を記録として残しておこうと思い立ち、あのときの歌手は誰だっけ……と、過去の手帳の連絡先を探していたら、それらしき名前が出てきた。
駄目元で「松尾広一」という名前をググったところ、驚くような結果が出た。
松尾さんはその後、声優として成功し、自分で声優の事務所も立ち上げて社長業もしていた。それで……くも膜下出血で急逝……? 日付を見ると、亡くなったのはほんの数か月前だった。
この話は以前に
AICに書いた記憶があるのだが、探しても見つからないのでもう一度書いてみた。
底辺で悲しい仕事と格闘している人たちは今もいっぱいいる。
でも、本当に悲しいのは、今はどの業界も、トップランナーと言われる人たちが質の低いことを平気でしていること。
リアリティもハートもないドラマを書く脚本家、真実を追わないドキュメンタリー番組制作者、コピペ論文が通用するアカデミズムの世界……。
「あんな風にはなりたくない」と思いながら、メジャーなメディアでもてはやされる作品を眺めなければならないのは辛い。
こんな時代に、どうしたら鬱にならず、心を失わず、さらに先に、さらに上に向かえるのか……日々、考えている。考えては疲れて、日が暮れて……。
それにしても、夏は創造的な頭にならないな。
8月が命日の人は多い。
松尾さんの命日も8月。うちのお袋も8月。
僕はできるなら冬、雪が降る日に死にたい。