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のぼみ~日記 2015

2015/09/12

 川内村野良猫日記(4) 

クロ


クロ
2011/01/29 12時38分 



2011年になった。
シロがすっかり懐いて、ほぼ毎日通ってくるようになっていたが、相変わらず家の中にずっと留まることはせず、どんなに寒い夜中でも、胸元まで埋まるほどの新雪が積もっても、最後は外に出て行った。
そのままいていいんだよ、と言っても、なぜか「これが俺のけじめだ」とでも言うように。

そんなとき、小さめの真っ黒なネコが来るようになった。
最初に見たときはシロだと思ったが、窓を開けるとパッと逃げたので、あれ? となって、よく見るとシロよりはずっと小さくて、白い部分がない。
単純にクロと名づけたが、クロはしばらくすると来なくなった。冬の寒さに耐えられなかったのだろうか。

川内村の冬は厳しい。零下10度を下回ることはザラにある。野良猫たちの平均寿命はかなり短かっただろうし、大人になるまでに死んでしまうネコが大半だったと思う。

クロはすぐに来なくなってしまったので、ちゃんと顔が写っている写真はこのくらいしかない。



冬は外に出してある水飲み用のボールがすぐに凍りつく



シロはよく喧嘩をして傷を負っていた。傷を治療してやるときも、じっとしている利口なネコだった。

そして、原発爆発

厳しい川内村の冬がもうすぐ終わろうとしていた3月11日、大きな地震がきた。
その日はいつもよりずっと早い時間にジョンと散歩をしていた。
うちの前に来たとき、助手さんが家の中から「地震警報よ」と声をかけてきて、ほぼ同時にものすごい地鳴りと共に揺れ始めた。
何もできず、家の外から家が揺れるのを見ていた。これは窓ガラスが割れるな、大変なことになりそうだな……と思いながら。

大きな揺れはかなりの時間続いて、一旦収まったかに見えたが、その後もかなりの余震が何度も続く。家の中に散乱したものを片づけ始めるとドド~っと揺れ始めるので、落ち着いて何かをすることができない。
ジョンをお隣に戻し、奥のさとうさんちのおばあちゃんの安否を確認し、その日はテレビを見ながら過ごした。
一時的に停電になったが5分か10分ほどで復旧し、その後は瞬間停電は何度かあったものの、電気はずっと大丈夫だった。
水は井戸だから、電気が来ていれば問題ない。
ケータイはつながらなくなったが、固定電話(ひかり電話)はつながったし、ネットも大丈夫だった。
周囲がとんでもないことになっているとテレビの映像を見て知った。
こんなときには動かないのがいちばんだからと、その夜は何度も来る余震の中で、腹を決めて寝た。
助手さんは寝られなかったそうだ。
揺れているのに鼾をかいて寝ている僕を見て呆れたそうだ。

翌日、原発が爆発した。
その映像をテレビで見たのが夕方。
この国への信頼が一気に崩れ去った瞬間だった。
我が家は第一原発(1F=いちえふ)からは25km、第二原発(にえふ)からは22kmくらいの距離。
我が家が普通に電気が来ていて、テレビを見ていられるのだから、まさか世界で最も停電してはいけない場所である原発が完全停電しているなど、想像できなかった。
何重にも安全対策しているはずで、たとえ外部からの送電線が切れても、ディーゼル発電機が何台か動かなくても、その次、その次の手段を絶対に用意してあるはずだと。

それが、簡単に建屋が吹っ飛ぶシーンを見せられたのだ。
しかも映像が流れたのは爆発してから2時間近く経ってからだった。

とにかく12日の夕方に、取るものも取りあえず避難した。シロのことがいちばん心配だった。ウッドデッキの上にはありったけのネコ餌を山盛りにしていった。
その夜は白河市の外れ、神宮寺に泊めていただき、川崎の仕事場に到着したのは13日の夕方。

そのあたりのことは『裸のフクシマ』(講談社)に詳しく書いたので、ここでは書かない。

3月26日にようやくガソリンが手に入ったので、パソコンなどを取りに一度、川内村に戻った。
そして一か月後の4月26日、全村避難命令が出たままの村に、本格的に戻って、生活を再開した。

ここから先は、全村避難して誰もいないことになっている川内村で生活していた2011年4月終わりから2011年11月までのネコ日記ということになる。

タロ

タロ
2011/06/05
川内村の家に戻って、いちばん心配だったのはシロとジョンのことだった。
ジョンは鎖を外して置いてきたと飼い主のけんちゃんから聞いていたので、少しは安心していた。シロはどうなっただろう。
幸い、一か月 心配していたシロは、「一か月もの間どこに行ってたんだよ」という顔で戻ってきた。
それからは今まで通り、シロたちの顔を見ながら毎日生活していた。

新顔が次々にやってきた。
村民が避難して置いていかれた飼い猫もいたかもしれないが、慣れていないネコばかりだったから、完全な飼い猫ではなかったかもしれない。
タロはちょび髭みたいな模様がトレードマークの可愛いやつ。
気が弱くて、家の中で人間が動いただけでもサッと逃げてしまう。



タロ
2011/06/06



シロはタロのことは最初から受け入れていた。タロもシロには一目置いている感じで、問題なかった。



シロは家の中にも入ってくるが、タロは絶対入らない。



集会で話すよしたかさん。その向こう側はマサイさん。せきもりの姿も。


2011年6月11日。3.11からちょうど3か月後。全村避難が続く川内村の町中茶屋で、これからの村をどうしていけばいいかという話し合いがあった。
役場などとは関係なく非公式?の集会。なにしろ村は全村避難していることになっているのだから……。

全村避難といっても、スッカラカンになっていたわけではない。郵便局は開いていて、毎日郵便物を配達してくれたし、クロネコもちゃんとアマゾンからの荷物を届けてくれた。
避難所や仮設住宅、借り上げ住宅(避難者が避難先で住居を借りると家賃を補助される)は狭苦しくて嫌だと、主に老人たちが村に戻ってきていた。

我が家は川内村の外れのほうにあって、買い物はもっぱら小野町に出ていたから、生活をしていく上で特に困ることはなかった。佐川や西濃が来てくれないのがちょっと困る程度。
テレビでは人がいなくなった村の中心部を映し出して「この商店もシャッターが閉まったままです」なんてやっていたけれど、その店もあの店も、3.11前から閉まっていたんだから関係ない。

村で唯一作付けされた、よしたかさんの田んぼ。2011/06/14
国から作付けするなという省令が出た中、よしたかさんは「実際に作ってみて汚染具合を調べなければ何も始まらない」と、一区画だけ作付けを強行した。
僕らは「復活の米」と呼び、密かに応援していた。
田んぼの空間線量は線量計でも測れるが、土の汚染度などは個人レベルでは調べられない。それも、友人・知人たちの協力でサンプル収集と分析依頼などを進めた。
よしたかさんも「それは助かる」と了承した。

よしたかさんの田んぼの様子を見に行った6月14日、僕はまたまた想定外の出会いをすることになった。




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「福島問題」の本質とは何か?


『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』(岩波ジュニア新書 240ページ)
『裸のフクシマ』以後、さらに混迷を深めていった福島から、若い世代へ向けての渾身の伝言。
複数の中学校・高校が入試問題(国語長文読解)に採用。大人にこそ読んでほしい!

第1章 あの日何が起きたのか
第2章 日本は放射能汚染国家になった
第3章 壊されたコミュニティ
第4章 原子力の正体
第5章 放射能より怖いもの
第6章 エネルギー問題の嘘と真実
第7章 3・11後の日本を生きる

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裸のフクシマ  『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(講談社 単行本352ページ)
ニュースでは語られないフクシマの真実を、原発25kmの自宅からの目で収集・発信。驚愕の事実、メディアが語ろうとしない現実的提言が満載。

第1章 「いちエフ」では実際に何が起きていたのか?
第2章 国も住民も認めたくない放射能汚染の現実
第3章 「フクシマ丸裸作戦」が始まった
第4章 「奇跡の村」川内村の人間模様
第5章 裸のフクシマ
かなり長いあとがき 『マリアの父親』と鐸木三郎兵衛

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