さて、タイヤ交換するか……1年に2回の行事。面倒くさいけどしょうがない。
今年はいよいよスタッドレスとしての機能が維持できていないんじゃないかという限界に近い。しかしタイヤは高いからなあ。組み替えにも金がかかるし時間もかかる。
少しでも長持ちさせるために、外している時期はシリコンオイルをスプレーして建物の中に保管している。紫外線にあてないだけでもだいぶ劣化速度が遅らせられる。
このタイヤはすでに十分に活躍してくれた。3.11の前、
2010年の冬からだからもう5年経つ。
原発が爆発して逃げたときも、その後、移転先を探して福島県内だけでなく、秩父、大月、北杜市、そして最後は栃木県内と、あちこちの物件を見て回ったときもこのタイヤを履いていた。
川内村の家を売ったときも、このタイヤを履いて荷物の片付けのために何往復もした。もう十分に役目を果たしてくれているのだが、山がまだ少しは残っているのを見ると、冬の間はあまり車に乗らないことにしてなんとかもう一冬だけ乗り切れないか……と考えてしまう。辛いねえ。

プジョー用のスタッドレスタイヤを出す。川内村時代に新品アルミホイールとセットで買ったもの。送料も入れて全部で74300円(税込)だった。お買い得

もはやほとんどスタッドレス本来の性能は発揮できないであろう山の残り方。もともとゴムが固かったし

欧州車はナットではなくボルトで留める方式なので、こんなロッドが必要

さらには307の純正ホイール用のボルトは特殊(左)なので、社外品のホイールつける場合は別のボルト(右側)が必要。前の純正ホイルについていたボルトとローランのボルトは、ネジ部分は同じだったがボルトの頭が違っていた。ローランのやつは小さくて、それを隠すためにボルトの化粧キャップがついていた

このロッドの存在を知るまではとんでもなく苦労してつけていたのよね

タイヤを外したついでにブレーキパッドも点検

これがローランの後輪についていたタイヤ。こんなんじゃ車検は通らない。中古をつけるにしてももうちょっとマシなやつにしてくれたらよいのにね

前輪2本はまだマシ

外した純正ホイールとダメダメタイヤ

交換完了。エアーを入れておしまい

ボーズの夏タイヤよりはずっとマシ

X-90のほうは……夏タイヤをナンカンに交換して2年半。まだまだいける。下手したら減ったスタッドレスよりマシかも

ホイールが細身になって見栄えが変わった
比べてみると……やっぱり純正のほうがかっこいいかな
今、
2010年の日記を読み返すと、同じことを書いている。
確か、アジアンタイヤを初めて買ったのもこのときだった。安いのに乗り心地もよく、性能も悪くなかったので、それ以降、ずっとアジアンタイヤを使っている。
よかったのはこの最初のスタッドレスだけで、それ以降に買った夏タイヤ(中国製のサイレン、台湾製のナンカン、インドネシア製のピンソー)はどれも国産に比べると微妙にやわだったりグリップが弱い感じがあったりした。特にピンソーはひどくて、タイヤが均一でないのか、ホイールバランスがしっかりとれない。こういうハズレがたまにあるのだろう。
しかし、サイレンやナンカンは特に問題があるというレベルではなく、すごく神経を集中すればそう感じるという程度の差。それで価格が国産タイヤの半額以下となると、多少性能がどうのこうの言うよりも、安いアジアンタイヤを短い周期で交換したほうが安全じゃないか……とも思う。
ところが、貧乏人の哀しさで、安いタイヤをさらに少しでも長く使ってしまう。
「タイヤは命を乗せている」というのは名コピーだった。まさにそうなんだけれどねえ。
タイヤと言えば、安くならないので有名な某国産メーカーのタイヤを、なぜか川内村のガソリンスタンド「佐和屋」ではかなり安く売っていた。全国的なカー用品チェーン店などより安かった。それなら……と、プジョーにも一時期はそのメーカーの国産タイヤをつけていた。グレードは中くらい。印象はそんなによくなかった。以前に履いていたミシュランのほうがずっといい。なんかブランド神話の一種じゃないかと感じたものだ。
もうひとつ、その有名タイヤメーカーにまつわる話を一つ。
風力発電問題が起きて、もうここには住んでいられないかもしれないと福島県内で移転先を探していたとき、某村に4万5000坪(約15町歩)の広大な土地と大きな建物2つがついた物件を紹介された。3000万円だという。村落が一つ入るくらいの土地と、客をいっぱい呼んで接待していたらしい建物2つ(105坪、7LDK、トイレと浴室が3つずつ)がついて3000万だからある意味破格なのだが、そんな金はまったく無理なので最初は見にも行かなかった。
しかし、原発爆発後、もしかしたら福島県内の土地物件は暴落するんじゃないかとか、あまりに広い(獏原人村よりずっと広い)土地だから、川内村の仲間と共同購入して、それこそ「村」を、「阿武隈梁山泊」を作ればいいんじゃないかと考え、関守夫妻を誘って一緒に見に行った。
実に異様な物件だった。
土地は境界線に沿って一周する形で丘があって、それに囲まれて広い窪地がある。一周する道を歩いたが、軽く小一時間かかった。
丘の西部分に大きな建物が2つあって、まだ新しい。田舎に似合わない、都会の住宅街にありそうなサイディング張りの建物。セントラルヒーティングらしくて、巨大なボイラー室がついている。
異様なのは窪地になっている敷地の内側部分だ。降りて行くと、大きな池やそこを流れる沢がある。それだけなら素晴らしいのだが、管理人室みたいなものがあり、あちこちに巨大な鉄の檻がいくつもある。動物園の檻のようなものだ。
中は空っぽだったが、一体何のための檻なのか……。
後から聞いた話では、そこは日本を代表するタイヤブランドのメーカー創業者一族の一人が所有していて、いくつもの檻には野生動物を入れ、ときどき敷地内に放してはハンティングを楽しんでいたらしいのだ。
その話を聞く前から、下に降りて歩いている間中、背筋が冷たくなるような冷気(霊気?)を感じたのだが、そういうことだったのか……と、後から理解できた。
捕らえられて檻に入れられ、金持ちの遊びのために殺された野生動物たちの怨念が漂っていたのだろう。
この土地と施設を維持するためには管理人も必要だから、管理人用の小屋もある。客を招いて遊ぶために母屋の隣には大きなゲストハウスも建てた。でも、飽きてしまって放置された……そんなところか。
一緒に行った関守も「ここはないな」と言っていた。
もしそこに住むことになったら、まずは慰霊・鎮魂祭をしなければならない。簡単に動物たちの怨念が消えるとは思えないが……。
もし僕に金があったら、それも、首都圏に家を一軒持てる程度の金でいいのだが……3000万円を出せる程度の人間だったら、あの物件を購入していたかもしれない。殺された動物たちの霊を鎮め、あちこちに残った鉄の檻を全部撤去して、山と沢と池をそのまま残す。最低限度の管理だけして、あとは生態系のなすがままにする。野生生物が遊びで殺されるコロシアムではなく、周囲から野生生物が集まってきて生き延びる場所にする。そんなことを何度も想像した。
面白い物件ではあったけれど、あそこを維持するにはミニユンボくらい持っていないと無理だし、金があっても、歳のことも考えたらやはり無理だったかもしれない。
しかも皮肉なことに、3.11の後になって、すぐそばに大型風力発電施設建設の話も持ち上がった。村が誘致に乗り気だったようだから、もしそこに住んでいたら、また反対運動の渦中にいたかもしれない。
ともあれ、その土地を見ただけでも強烈な体験だったので、それ以後、僕の中ではその企業に対するイメージが悪くなった。知り合いから、息子がその企業に就職したが、ひどい労働環境で苦しんでいるという話も伝わってきて、さらにイメージが悪くなった。
アジアンタイヤの価格が安い裏にも、過酷な労働条件で働かされている人たちがいるに違いない。高い商品にも安い商品にも、背景には消費者が知り得ない世界がある。
で、金持ちは金のことでいちいち悩むことがないだけでなく税金で優遇され、貧乏人は高い商品やサービスは得られないばかりか税金や公共料金という避けられない出費で痛めつけられる、という格差と不平等構造は残る。
そういう社会の中で、いかに心をつぶされずに生きていくか……貧乏人はその難題と取り組むしかない。つぶされずに生き抜くには、それなりの「技術」(art)が必要だ。
タイヤ交換からずいぶん大袈裟な話になってしまったけれど、……ま、そういうことだわね。