本日午前中に屋根工事終了。
板金屋の親方と別れる前にしばし立ち話。
20歳で結婚して、高校1年の息子と小学校5年生の娘がいるそうだ。結婚したのは早かったけれど、なかなか子供ができなかった、と。
親方の趣味は自転車と釣り。車の中から毛針セットを出して見せてくれた。
息子さんが後を継ぎそうかと訊いたら、
「いや、それはないですね。この仕事は朝は早いし、天候に左右されるし、きついし危険だし……やらないっすよ」
……と苦笑しながら答えた。
親方が帰った後、残った外壁塗装に取りかかる。
今回購入したのは
日本ペイントのピュアライド UVプロテクトクリアー という塗料
で、古くなったサイディングの再生補修にはほぼこれしかない、というようなもの。色のついた塗料を上から塗るならもっと安いのがあるのだが、元の色や模様を生かして塗るのはこれしかない。ドロッとした本体?とそれに添加する硬化剤の2液セット。調合も面倒だが、作り置きできないから少しずつ調合して使い切るしかないのが大変。
他社でも同じようなのを出しているみたいだけれど、調べたらアマゾンで売っているこれがいちばん安かった。
安いといっても12kgと3kgのセットで3万円近くする。
2回塗りで約60㎡塗れるということなので、当初はこれで塗れるだけ塗って終わりにするつもりで、正面は全部、左右は半分くらいかな、と思っていた。
でも、やってみると、1度塗りでも相当分厚い被膜ができるし、塗っていくと裏側を残してまだ半分近く残っているようだ。うまくすれば全面塗れてしまいそう。
じゃあ、足場があるうちに全塗装するか~……という気になった。
あと、サイディングのつなぎ目は全部クリアーかグレーのシリコンシーラントで上塗りして補強、というか、ひび割れ劣化の速度を遅らせる作戦。
これであとは死ぬまで何もしない。
しかし、身体が重いし、運動神経も著しく落ちているので、毎日少しずつの作業なのだが、終わった後どっと疲れる。

斜めから見ると塗れたところとまだなところの境目がよく分かるが、光線の加減ではよく分からない

毎日やっているとさすがに要領がよくなってくる。刷毛二刀流をマスター。刷毛やバケツ類は100円ショップのやつ

最上段まで登るとこんな風景になる。裏手の家の屋根より高い

家の最上部。ここにツバメが巣を作りかけて、その後巣が落ちたことがあった。痕跡が残っている

段から段へと移動するときがいちばん怖い。あと5cm脚が長ければ届くのになあ……と思いながら移動。ヘルメットをかぶった頭は何度もぶつける。背があればあるで、足場の段間での作業は窮屈になって大変だろう
災害を食い物にするやつらは身体を動かさない
今回屋根工事をしてくれた板金屋の親方はなかなかの硬骨漢で、こちらが希望の屋根材を言っても「あの手のものは自分は信用してませんのでやりません。見た目はきれいに仕上がっても、つなぎ目がよろしくない。自分が請け負う場合は、責任の取れる材料でやりたい」と言って譲らなかった。
結果、普通のガルバ鋼板の裏側に資材屋が手作業で防音断熱材を貼り付けた材料を使った。
百合丘でも同じように劣化したコロニアル(コロニアルは商品名で、一般名称は「スレート瓦」)の上から裏に断熱防音材を貼り付けたガルバ鋼板を被せたのだが、そのとき指定したのは「横暖ルーフ」という商品だった。屋根屋さんは「同じものだから」といって、別のメーカーの「カレッセ」という商品を使って工事した。
今回はそれに相当するものを資材屋さんが自分のところで手作業であつらえたという。そのほうが尺が長いものができるからいいのだと。
親方を信頼して後は全部任せた。
その親方との話でいちばん印象に残ったのが、3.11の後、商社やゼネコンがあっという間にあらゆる建築資材を買い占めてしまい、一気に資材費が何倍にも跳ね上がったという話。
コンパネなどは2.5倍くらいに高騰してしまい、仕事が増えても資材費が上がるので、忙しいばかりで儲けがあまり出なかったという。
大規模災害と同時に建築資材を買い占める商社の根性とスピードに、個人経営の職人さんたちは翻弄されたわけだ。
商社にとってはそれが「仕事」ってことなのだろうが、あっという間に買い占めに走った社員たちは電話やコンピュータ端末を使うだけで、復旧工事現場に行って汗をかいて作業するわけじゃない。
儲けるのは大企業の経営者。
その結果、津波で家を流された地域では、自治体が復興住宅を建てようとしても資材費高騰などで入札すら成立せず、何年も手がつけられなかった。
一方で、馬鹿げた巨大防潮堤計画はたちまち通ってしまい、そこにまた大量の資材や職人が集まり、肝心の住宅再建、商店や漁業施設再建が困難になった。とどめを刺すように東京オリンピック招致。これでまた資材費が上がり、職人が東京に流れた。
仙台市郊外の定食屋さんに3日間カメラを入れた『ドキュメント72時間』(NHK)を見たが、巨大防潮堤建設のために関西から単身でやってきたという職人さんがこんなことを言っていた。
「阪神淡路大震災のときも、仕事が増えて大変だったけれど、災害があるたびに自分たちに仕事が回ってくるということに後ろめたさを感じた。今回はあのときの思いもあって、東北で大変な目にあった人たちのために何かしたいと、家族を置いてやってきた」
……でも、その現場が、現地の人たちが望んでいない巨大防潮堤建設というのが哀しい。
そういう職人さんたちに丼飯をよそり続ける厨房内のおばさんたちにもカメラが向けられる。ほとんど無表情のまま、仕事の手を休めずに一言二言話すおばさんたち。
あの津波で仲間が二人死んだという。その悲しみを呑み込んで、今日も厨房で働く。
川内村を去る直前に、奥のばあさまの娘と交わした会話を思い出した。
「原発が爆発するまでは息子夫婦や孫と一緒に暮らしていたけれど、息子夫婦はもう村には戻らないって。孫ともほとんど会えなくなってね。今は毎日、除染作業の仲間の顔を見るのだけが楽しみ。休憩時間に仲間とお茶飲んで話をするときだけが生き甲斐だね」
災害が起きると建設資材を大量に買い占め、さあ「ビジネスチャンスだ」「買えるだけ買い集めて高く売れ」と社員にハッパをかける大企業の人たちは、災害の現場でのこうしたひとつひとつの人間ドラマ、ナマの生活なんて見ていないだろう。
なんだって?
トリクルダウン効果? ふざけんな!