数学を捨ててしまった僕は、大学は「私立文系」に絞り、英語、国語、社会科(選択で一科目)の3教科に絞って受験勉強をした。
社会科科目は日本史を選んだが、それは「暗記する項目が世界史より少なそうだから」という理由からだった。
上智の入試では、英語と国語はそこそこできたが、日本史がとんでもない点数で、二次試験の面接で、面接官(辞書の編纂で有名な小稲義男教授)から「この日本史の点数でよくここにいられるね」と言われた。
あのとき、日本史の点が取れなかった最大の原因は、美術史に関する大問を丸ごと全部間違え、そこの配点(最低でも15点くらいあったはず)がゼロだったことにある。
作者 作品名
狩野元信 雪松図屏風
円山応挙 紅白梅図屏風
尾形光琳 四季花鳥図屏風
……なんていうリストから、作者名と作品名を結びつけるという問題。
家に帰ってから採点したところ、見事に全部ハズレだった。
「こんなことで人生が変わってしまうのかなあ」と、やりきれなかった。
しかも、本物の絵を見せられるならまだしも、なんでタイトルだけ見て答えなければならないの? 一体この出題になんの意味があるの? そもそもこれって、「日本史」とどう関係あるの?
考えれば考えるほど腹立たしく、最後は「こんなクソ問題を出す大学なんか、誰が入ってやるもんか」と息巻いたのを覚えている。
日本史の教科書に載っている美術作品は、たいていは小さなモノクロ写真で紹介されている。その小さなモノクロ写真を見ただけで、とりあえずはタイトルを暗記する。試験で点数を取るために。
試験が終わった後は、一生、本物の、あるいはせめて大きなカラー写真で、その作品をじっくり鑑賞することさえない受験生がほとんどだろう。
その作品が好きか嫌いかとか、作者がどんな人生を歩んだか、なんてことは関係ない。
尾形光琳がどんな作品を遺したのか、タイトルだけを丸暗記すれば、入試で点を取れる。それでおしまい。
Q1:なぜ尾形光琳の作品名を暗記しなければならないの?
A1:試験に出るからである。
Q2:なぜ尾形光琳の作品名は試験に出るの?
A2:歴史的に有名な美術家とされているからである。
Q3:なぜ尾形光琳は歴史的に有名な美術家なの?
A3:飛び抜けてすばらしい作品を遺したからである。
Q4:なぜ尾形光琳の作品は飛び抜けてすばらしいといえるの?
A4:そう評価する者がいたからである。
Q5:誰がそう評価したの?
……う~む~。さて、誰なんでしょう。
もちろん一人ではないはずで、多くの人間が評価したからこそ歴史の教科書に載ったのだろう。
でも、多くの人間って、具体的に誰? いつ、どんな形で評価したの?
さらにはその評価をふまえて、教科書に載せようと決めた人もいるわけで、その結果、僕は大学入試に危うく失敗するところだったわけだ。
ユーミンやガロが在学していたから多摩美術大学に行こうと思った、という話も書いた。
ユーミンはあの頃まだ荒井由実という名前で、僕が初めて彼女の弾き語りをラジオで聴いたときは、まだレコードデビューの前だった。
ユーミンは今も活躍しているけれど、彼女のデビューアルバム(予定より何か月か遅れ、しかもそれほど売れなかった)に収められた曲などは、30年も前に世に出ているわけで、その頃生まれていなかった今の十代、二十代の人たちにとっては一種のクラシック音楽かもしれない。
どんなにすばらしい作品を作っても、人に知られなければ存在していないのと同じ。
人に知られることに成功しても、百年も経てば世の中の評価はどうなっているか分からない。
尾形光琳が生きていた時代、一般庶民は彼の作品の存在を知らなかった。庶民にとって、光琳は存在していないも同然だった。
光琳も、自分の死後、自分の名前が歴史の教科書に載るなんて思ってもいなかった。
百年後に人類が今のような文化・文明を享受できているかどうか怪しいが、もしもまだ音楽を楽しみ、子供たちが歴史教科書で勉強させられる時代が続いていたら、歴史的名曲として『およげ!たいやきくん』が教科書に載っているかもしれない。
なにせ、空前の数の人がレコードを買って、歴史に残る記録を打ち立てた「名曲」なのであるから。
で、百年後の受験生は、試験で点数を取るために、この歌の作曲者を暗記する。
(知ってますか? 佐瀬寿一氏です。畑中葉子が歌った『後ろから前から』なんかも作曲してますね)
尾形光琳 ── 紅白梅図屏風
佐瀬寿一 ── およげ!たいやきくん
正解!
……歴史の勉強というのはそういうことなのだろうか?
そもそも教科書に載っている歴史って、どこまで本当のことなのだろうか?
例えば、「大化の改新」って、本当にあったの?
「改新」って言われると、なんかいいことなのかな~と思いがちだけど、どうなの?
中大兄皇子というと、なんとなくハンカチ王子みたいな「いいもん」のイメージだけど、蘇我蝦夷なんて、字からしてガマガエル顔の悪者って感じで、ほんまかいな、と思う。
ほんとに当時そういう名前だったの? 後からつけたんじゃないの? どう考えても。
安政の「大獄」って言われると、こりゃ悪いやつが悪いことしたんだなと思うしかないが、明治「維新」と言われると、そうしなくちゃいけなかったんだ、と思わされる。
「平定」とか「東征」とか、日本史の教科書には気になる言葉がいっぱいある。
ロッキード「疑獄」がなければ、後の世では「角栄の改新」となっていたかもしれない。
暗記させるだけで、分析する能力をつけさせない歴史教育なんて、やめちまえ~い!
30年以上経っても、尾形光琳──紅白梅図屏風 に対する恨みはまだくすぶっている。
情報を鵜呑みにしないという今の僕の性格には、大学受験のときの日本史トラウマが、かなり影響しているのかもしれない。
(2006年11月執筆 AICのコラムより)
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