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のぼみ~日記2017たくき よしみつの日記2017


2017/01/05

A博士来訪で今年初Baum


アメリカはボルティモアから「AIC時代からの読者」というA氏が来訪。久々の里帰り中なので、一度会って話をしたいという。
A氏からは一昨年の4月に一度メールをもらっていたのだが、そのことをすっかり忘れていて、そのメールを発掘して読み返してみた。
僕より9歳年下。「大学で環境工学を学ぶ一方で水俣病、農薬、原生林に建設予定の揚水発電ダムなどの環境問題の運動にも関わり、一時は「資源物理学」を発展させるような学問に取り組みたいと夢見たことも」あったそうだ。
90年代にアメリカに留学して環境疫学を学び、アメリカで結婚し、子供もできたのでそのまま永住(多分)することになった……という人。
アカデミズムの世界のことはよく分からないというか、イメージするのが難しいし、日本から出たことがない(正確には一度だけアメリカに1週間、半分観光旅行のような仕事での出張あり)僕には、何度読み返しても想像ができない。

はるばる日光まで会いに来るという。遠方から一面識もない「読者」が「会いたい」と訪ねてくることはたまにあるのでそんなに驚かないのだが、アメリカは遠いなあ……なんて漠然と思いながらお迎え。
下小代駅まで来てもらい、そこから今日が今年の初日というBaumへ行って今年初の外ランチ。

素性のよい野菜やキノコがたっぷり入ったスープ



A博士はカツレツを注文。前菜



カツレツ。うまそう



あたしは洋風牛丼のような感じのもの。エスニックテイストでGOOD



A博士とは世間話からエントロピーの話、環境論(?)、そしてアカデミズムの世界の限界やら展望やら……雑多な話題で夕方まで話をした。
A博士にも僕にも多大な影響を与えた資源物理学者の槌田敦さんや「エントロピー経済学」を提唱した室田武さんはまだご健在で、今年も年賀状が届いた。
しかしお二人とも、日本では大学に職を得続けられたものの、その能力や実績、志に対してあまりにも「社会」の評価が低すぎた後半生を送ってきた印象がある。
前にもどこかで書いたが、かつてテレ朝の『朝まで生テレビ』が「原発は是か非か」というテーマで2回放送した際、推進派寄りの立場で出ていた舛添要一が「私は、槌田敦さんのエントロピー論はノーベル賞ものの仕事だと思っていますが……」と前置きした上で話を始めたのは今でも記憶に残っている。
そのときは、僕は槌田敦さんの『資源物理学入門』も読んでいなかったから、なんのことだか分からなかった。でも、番組が終わった後にもやもやが消えず、槌田さんの『資源物理学入門』と室田さんの『エネルギーとエントロピーの経済学』を買って読んで、すべてが分かった。

あのとき舛添氏は、
「私はここにいる他の連中とは違って頭がいいから、あなたがたが正論を述べていることは分かっているんですよ。でも、その正論は現実社会では決して受け入れられないし、私は正論にこだわって人生を棒に振るような生き方はしないんですよ」
……と言いたかったのだろう、と。

資源物理学入門を読んでこの世界の仕組みが分かった衝撃は大きかった。それで書いたのが『マリアの父親』だった。
僕ができることはエンターテインメントの世界で「地球の仕組みの真実」に触れるきっかけを発信することだ──な~んて大上段に振りかぶって書いたのだった。

あれから四半世紀以上が経った。
槌田敦さんや室田武さんは、あの時期を最後にメディアに登場することはほとんどなかった。
「フクシマ」が起きて、小出さんが少し注目されたが、5年経つ今では、ネットでさえ小出さん発の情報はほとんど見ない。
藤田祐幸さんは昨年亡くなった。
原子力規制委員会で孤軍奮闘していた島崎邦彦氏も退任
「どんな精密な理論を作ろうと、自然がそうではないという事実を示せば、それに従わなければならない」
……という退任の記者会見での言葉も、今もトップにいる田中俊一氏などには馬耳東風なのだろう。

これから先、槌田敦氏らの後継者と呼べる学者は存在しうるのだろうか? もちろん存在はするだろうが、一般人の目にとまる場所に出て発言できる機会はどんどん消されている。
この国は、知力を正しく使おうとする人材を排斥し続け、知や合理性よりも利権と欲望を選ぶシステムを構築してきたように思える。

「博士」たちの世界

博士号(PhD)とかけて「足の裏の米粒」と解く……というなぞかけがあるそうだ。
そのココロは、「取らないと気持ち悪いが、取っても食えない」

A博士にアカデミズムの世界のことを少し聞いて、ネットでいろいろ見ていたらこんな動画があった↓

A博士がアメリカに渡る決意をするまでの話などとも概ね合致する内容。
どんな世界でも、つぶされずに自分の力を発揮し続けることはとてつもなく大変なことなのだと、改めて思った。

レオのお散歩の時間になったので、A博士も一緒に散歩へ。



レオはお散歩に知らないオッチャンが1人ついてくるので、最初は「なんだこのおっちゃん?」と、A博士の脚をクンクン嗅いでいたが、すぐに「ま、いっか」という顔でいつものように歩き出した。で、いつもよりずっと遠くへいきたがり、結局、人丸神社まで行ってしまったのだった



初詣をするA博士を見るレオ



日光連山のグラデーション




A博士にもらったお土産。そういえばビッグバンセオリーのこと、この日記で書いたことあったんだっけ


ビッグバンセオリーは最新シリーズがスカパー!で放送されてすべて録画してあるのだが、最初の数回を見た後はなんとなくそのままになっている。
一気に見てしまうのがもったいないというのもあるが、どうも今までのような「キレ」が感じられなくなってしまった。
出演者のギャラがあまりにも桁外れに高騰してシリーズを続けることが困難になったというようなニュースを読んだことも、純粋に楽しめなくなった一因かもしれない。

子供っぽい天才たちが巻き起こす常識外れのドタバタコメディ、というものだが、人間の弱さと愛しさは表裏一体であり、それを思いやりが包み込んでいるからこそ人間社会は捨てたもんじゃない……というようなことを感じさせてくれるところが魅力。
日本ではなぜこういう面白いドラマが作れないのかと、見るたびに感心していた。でも、最新シーズンでは、脚本が薄っぺらくなったのか、こちらが制作陣の手法に慣れてしまったのか、心から笑えるシーン、感心させられるシーンが減った気がする……。

昨日、A博士との会話の中で、僕はこんなことを言った。

「自分は専門家で一般人とは桁違いの知識と情報を持っていると思っている人たちも、よく聞いてみるとその知識や情報は先輩学者が書いた論文が根拠であったりするわけで、自分で生の実験をして得たり、現場で体験して感じ取ったりした経験から言っていることではなかったりするでしょ」

分からないことがいっぱいある、ということを謙虚に認める姿勢を常に持っていないと、どんな分野でも、おかしなリーダーが出世して、まずい方向に引っ張っていく危険性がある。
現実社会での傲慢や無神経は、ビッグバンセオリーのように笑って済ませられないからなあ。

A博士、また機会があったらゆっくり話の続きを楽しみましょう。








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