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のぼみ~日記2017たくき よしみつの日記2017


2017/10/26

親父の散歩




ホームに行ったら、今日は月に一度のなんとかの日だそうで、ボランティアの女性が来て絵本を読んだりオカリナを吹いたり。親父はそういうのが苦手なようで、外に出たがったので、一緒に外に出て少し散歩した。
穏やかで暖かく、風もない散歩日和。杖を使ってゆっくりゆっくり歩く。
スタッフの話では、手を差し伸べると払いのけるのだという。少し後ろから同じペースでついていき、見守った。
柿の実がきれい。
あと何度、こんな風に外を歩けるのだろう。本人は強がっているが、相当足腰も弱ってきているようだし。

柿の木の実のつきかたは2年ごとに多いときと少ないときがあるそうで、スタッフの話では「今年は裏なんじゃないかな」とのこと。去年はもっといっぱい生っていたのだろうか



ここまで熟れても鳥に食われていないということは、よほどの渋柿なのか?



鳥は一羽だけ来ていたが逃げていった。何だったのか確認できず。ハチ?や蝶が寄ってきている




そろそろ戻りましょ


我が家の紅葉


家に戻ってきたら、この葉っぱだけが赤くなっていた。ツリバナ?



今日のおやつ


2017/10/27


助手さんが戻ってきたので買い物に。お昼はまたまた山本鉄筋。回数券買おうかな。助手さんは唐揚げ。酢がきいていてうまい



健康を考えて、赤魚の焼き魚を頼んだら、なんと2きれついてきた!



すごいのは、小鉢や付け合わせも一切手抜きしていないこと



その後、さがみやでお買い物。こんなの売ってた。しもつかれ用らしいのだが、不思議なものが郷土料理になっているよなあ


親父の短歌


その後、またホームに立ち寄る。えりかちゃんにウクレレ教えている間に、親父の相手をしていた助手さんが「お義父さんの短歌、すごくいいわよ」と言う。どれどれ……?

親父が短歌をはじめたのは70代半ばくらい。最初はあまり熱心ではなかったらしい。

60歳で定年退職になった後は、知人が立ち上げた編集プロダクションを無給で手伝って10年を過ごした。無給で毎日終電で帰ってくる親父を見かねて「そんなバカなことはやめて、今こそ好きなことをやるべきだ」と諭したのだが、「俺が信頼している人と一緒にやっていることを馬鹿にするのか」と、怒り出す始末。
こういうのを仕事中毒というのだろうかと、暗澹たる気持ちになったものだ。
そのプロダクションもつぶれて「あいつに瞞された」と怒っていたが、60代からの「失われた10年」は本当に残念だった。本当なら、金も時間もあり、体力も気力もあってなんでもできる、いちばん充実した10年になっていただろうに。

しかし、どう生きるかは自分で決めるしかない。決めるだけではなく、実行する。うまくできなくても、それなりに取り組み、楽しむ。
与えられた仕事をこなして評価を受けるだけの時間が長いと、「自分の人生」が見えなくなるのだろう。

親父は短歌の会に参加することを「仕事」という。
親父にとって、仕事と呼べるものがなくなることがいちばんの恐怖なのだろう。
それはいろんな意味で「仕事」じゃないんだよ、と言いたいけれど、今はもう黙っている。親父がまだ60代のときなら言ったけれどね。



世の中にはいろいろな形の「哀しい」物語がある












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