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のぼみ~日記2018


2018/02/12

靖国神社の「狛犬」と脚気



靖国神社の中国獅子。大清光緒2(明治9=1876)年、保定府深州城の李永成が三学寺に奉納したもの

助手さんから、何度も「『神の鑿』の小説版はいつ書くの?」と急かされているのだが、そう簡単に書けるはずがない。なにしろ僕は江戸末期から明治、大正、昭和前半までの日本の歴史や「社会の空気」を知らない。
それを少しでも知る努力をしてからでないと、書く意味がない。

狛犬を見続けていると、江戸期の狛犬は結構残っているのに、明治になった途端、パタッと狛犬が建立されていないことに気がつく。再び奉納されるようになるのは明治20年代くらいからだ。明治一桁代建立の狛犬というのはほとんどない。あったとしても、江戸期の狛犬をへたくそに模したようなものが多く、銘品と呼べる力作や新種の狛犬はまず出てこない。

拙著『神の鑿』の最後には利平・寅吉・和平の年譜も載せてあるが、それを見ても、
慶應元(1865)年 沢井八幡神社の狛犬 利平61歳? 寅吉21歳 願主石工菅田庄七

明治20(1887)年 関和神社(白河市)の狛犬(銘なし)寅吉43歳
↑この間、20年以上、作品の記録が空白なのだ。
明治初期、廃仏毀釈を皮切りにして、いかに庶民文化がつぶされ、停滞したかを物語っているかのようだ。

そこで、改めて「明治維新」前後の歴史をおさらいしているところだ。

森鴎外と脚気

その作業をしていて、ひょんなことから森鴎外(森林太郎)が陸軍兵士数万人の死に関係していたと知った。

ネット上にもたくさんの関連記事があるが、中でも、⇒これなどはとてもよくまとまっているのでご一読を。
 陸軍が嘱望する若き軍医森林太郎は、日清・日露の戦争を控え、兵士の健康を維持する大役を担った。そして当時の軍隊において最大の健康問題が脚気流行である。

 全陸軍の疾病統計調査は明治8年から始まるが、明治9年には兵員千人に対し脚気新患者108人、17年には263人、つまり4人に一人がこの病気にかかっている。そして致死率は約2~6%だった。しかし、戦時には、これらの数字が跳ね上がる。
(略)

明治27~28年の日清戦役では、陸軍の戦死者がわずか977人にたいし、傷病患者約28万人、患者死亡約2万人であり、脚気患者は約4万人という奇妙な現象が起こる。前代未聞の脚気大流行であるのに、陸軍首脳はまだ懲りなかった。海軍には軽症脚気は認められたが重症例の多発はなかった。

 明治37~38年の日露戦争では、陸軍の戦死者約4万6千人、傷病者35万人であり、そのうち脚気患者25万人という驚くべき数字になる。しかも、戦病死者3万7千人中、脚気による死者が約2万8千名に登った。

 日清・日露戦役での大惨事を起こした陸軍脚気対策に、森林太郎の誤りが深く関っていた事実は、東京大学医学部衛生学教授山本俊一が、1981年初めて、学会誌「公衆衛生」において指摘した。両戦役からすでに一世紀近い月日が経っていた。
(医療法人和楽会 フクロウblog 大井玄先生のコーナー 「病と詩(11) 軍医森林太郎と脚気」 より)

日清・日露戦争において、直接の戦死者よりも脚気で死んだ兵士のほうが多かったというのは、学校で学ぶ日本史には出てこないと思う。
上記のブログやWikiの詳しい解説などをもとにまとめてみると、

……というようなことだったらしい。
森鴎外(林太郎)が主張した「米食が最優秀」説の罪がいかに大きいかが分かる。
海軍では麦飯に切り替えて脚気が激減したという明らかな結果が得られているにもかかわらず、陸軍では日清戦争の10年後の日露戦争時にさえ改善できず、何万という死者を出しているのだ。

石黒忠悳と靖国神社の「狛犬」

ところで、森の論文や主張に流される形で陸軍内に脚気を蔓延させた石黒忠悳軍医総監は、僕の中では「靖国神社の中国獅子」にまつわる裏話に登場して初めて名前を目にした人物だ。
その内容は⇒ここに詳しく書いているが、簡単にまとめると、
靖国神社にある中国獅子を、ほとんどの参拝客は「変わった狛犬だねえ」と見上げるが、あれはそもそも「狛犬」ではない。大清光緒2(明治9=1876)年、保定府深州城の李永成という人物が三学寺に奉納した獅子像なのだ。

『舞姫』の記憶

僕にとって、石黒忠悳軍医総監は「靖国神社の中国獅子」だが、森鴎外といえば『舞姫』くらいしか記憶にない。
『舞姫』は高校の国語の教科書に載っていて、じっくり、1行1行読解させられた。
当時の国語担当は臼井先生といって、相当変わったキャラクターの教師だった。
感情の起伏が激しく、機嫌のいいときはニコニコしながら好きな谷崎潤一郎論などを延々と喋り続けるが、機嫌が悪いと「チッ! こんな問題もできないのか。馬鹿ばっかりだなこのクラスは。もういい、帰る」と言い放ち、さっさと教室を出て行く。
そんなわけで、生徒からの評判はすこぶる悪かったのだが、僕は彼の授業は決して嫌いではなかった。
『舞姫』を題材にした授業では今でも印象に残っているシーンがある。

臼井先生「このページの中に、豊太郎とエリスがすでに性交渉をしたと分かる一文がある。それはどこか。分かる人」

こういうとき、誰も手を挙げないと先生の機嫌がどんどん悪くなるのを知っている生徒たちは、必死で答えを探す。
何人かが答えて、その度に「違う!」「馬鹿!」などとはねつけられた末に、クラスでいちばん元気のよかった平岡くんが恐る恐る手を挙げた。

生徒たちは半ばポカ~ンとその解説を聞いていた。僕も、この『鬢の毛の解けてかかりたる』がどれくらいすごいのか、今でもよく分からないのだが、平岡くんが他の生徒より早熟だったことは確かだろう。

『舞姫』のエリスが Elise Marie Caroline Wiegert (エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト 1866年~1953年)という実在の女性をモデルにしていて、主人公の豊太郎は鴎外自身がモデルであろう、ということは、今では周知されている。
鴎外は4年間のドイツ留学時代に、エリーゼと恋仲になったが、別れて帰国した。その直後に、エリーゼは鴎外を追って日本まで来たが、ひと月あまり後にまたドイツに戻っている。
鴎外の東大医学部時代の同期生・小池正直は、後に陸軍軍医総監石黒忠悳に宛てた手紙(明治22(1889)年4月16日付)の中で、
兼而小生ヨリヤカマシク申遣候伯林賤女之一件ハ能ク吾言ヲ容レ今回愈手切ニ被致度候是ニテ一安心御座候。
(私がしっかり言いきかせましたので、この「ベルリン賤女」の一件は、今度こそ手切れになると思います。どうぞご安心を)
と書いている
これはエリーゼが帰国したときのことをいっているのだろう。
年譜にすると、

……という経過で、この間のエリーゼ来日から登志子との離婚あたりの一連のゴタゴタが「舞姫事件」「エリス事件」などと呼ばれている。
で、改めてこれを「日本の脚気史」「靖国神社の中国獅子」と重ねて見ると、

……とまあ、日清日露戦争をはさみ、脚気蔓延と三学寺の中国獅子が日本に持ち込まれた件と「舞姫事件」が同時進行していたことが分かる。

脚気で数万人死んでいったときにカフスボタン紛失を嘆く鴎外

扣鈕       森鷗外

南山の たたかひの日に
袖口の こがねのぼたん*
ひとつおとしつ
その扣鈕(ぼたん)惜し

べるりんの 都大路の
ぱつさあじゆ* 電燈あをき
店にて買ひぬ
はたとせ*まへに

えぽれつと* かがやきし友
こがね髪 ゆらぎし少女(をとめ)
はや老いにけん
死にもやしけん

はたとせ*の 身のうきしづみ
よろこびも かなしびも知る
袖のぼたんよ
かたはとなりぬ

ますらを*の 玉と碎けし
ももちたり それも惜しけど
こも惜し扣鈕
身に添ふ扣鈕

(森鴎外の日露戦争従軍詩歌集『うた日記』より)
*こがねのぼたん:金のカフスボタン *パサージュ:ここではアーケード商店街のこと *はたとせ:20年 *エポレット:コートなどの肩につける装飾。軍服由来 *ますらを:勇壮な男。ここでは兵士たちのこと *ももち:百千(大人数)

日露戦争で死んでいった多くの兵士たちも惜しいけれど、かつての愛人との思い出が詰まった金のカフスボタンが片方だけになってしまったのも惜しい、と歌っているわけだ。

この詩について、鴎外の長男・森於菟は、『父親としての森鴎外』の中で、こう述べている。
この「黄金髪ゆらぎし少女」が「舞姫」のエリスで父にとっては永遠の恋人ではなかったかと思う。(略)
私が幼時祖母からきいた所によるとその婦人が父の帰朝後間もなく後を慕って横浜まで来た。これはその当時貧しい一家を興すすべての望みを父にかけていた祖父母、そして折角役について昇進の階を上り初めようとする父に対しての上司の御覚えばかりを気にしていた老人等には非常な事件であった。親孝行な父を総掛かりで説き伏せて父を女に遇わせず代りに父の弟篤次郎と親戚の某博士とを横浜港外の船にやり、旅費を与えて故国に帰らせた。
(略)
『歌日記』の出たあとで父は当時中学生の私に「このぼたんは昔伯林で買ったのだが戦争の時片方なくしてしまった。とっておけ」といってそのかたわの扣鈕をくれた。歌の情も解さぬ少年の私はただ外国のものといううれししさに銀の星と金の三日月とをつないだ扣鈕を、これも父からもらった外国貨幣を入れてある小箱の中に入れた。
私はある時祖母が私にいうのを聞いた。「あの時私達は気強く女を帰らせお前の母を娶らせたが父の気に入らず離縁になった。お前を母のない子にした責任は私達にある」と。
(森於菟著『父親としての森鴎外』)


コラム「病と詩 軍医森林太郎と脚気」の最後は、こう結ばれている。
鴎外森林太郎は、「玉と砕けし」兵士「ももちたり(百、千人)」よりもはるか多くが脚気に罹り倒れたことを知っていても、自分の知的誤り・傲慢さが、どんなに大きくそれに寄与していたかに、気づいていなかったろう。

本当に生涯このことに気づいていなかったのだろうか……。
まあ、そのことに責任を感じていたら、日露戦争のときにまでこんな詩を書いているわけはないか……。

ともあれ、鴎外には文学よりも軍医としてちゃんと仕事してほしかったと思う。


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