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のぼみ~日記2018


2018/08/04

真夏は太陽光発電の能力が落ちる


今年の夏は異常な暑さで、我が家の周辺では雨もほとんど降っていない。これだけ強烈に晴れていればさぞソーラー発電も頑張っているだろうと思いがちだが、実際にはそうではない。
1年のうちで、太陽光発電からの発電量がいちばん多い月は5月だという。なぜ日照時間の多い8月ではないのかというと「8月は暑すぎるから」。
太陽電池は「パネル温度が高くなるほど発電効率が低下する」のだ。
温度が上昇すると、電流は若干上昇するのですが、電圧の低下の方がそれよりもはるかに大きいため、温度が高くなるほど電流×電圧=電力は低下し、発電効率が落ちるということになります。

日射量の増大により発電量が順調に増えているように見えますが、その裏で、実は太陽電池パネルの温度上昇により電圧が低下し、発電効率は下がっているのです。
「太陽電池パネルの温度と発電電力」 ㈱ラプラスシステム提供 太陽光発電モニタリング基礎講座 より)


太陽光発電システムのメーカーが計算式まで示してきちんとこう説明している。

他にも、
ソーラーパネルは外気温や日射で発電面が熱されることで出力(日射を電力に変換できる能力)が落ちます。真夏の気温の高さはあなどれず、条件次第では冬場より発電量が落ちる可能性も少なくありません。
太陽光発電総合情報「太陽光パネルの温度と損失係数 夏と冬では発電量逆転の可能性も?」

など、太陽光発電システム導入を進めているサイトでも、この事実はきちんと説明されている。

それなのに、菅直人の惚けかたはエスカレートしていて、
なぜ前代未聞の猛暑なのに電力不足が生じないのでしょうか。それは太陽光発電が普及したからです。
「太陽光発電が猛暑の電力不足を救う」 政治に市民常識を 菅直人Officialブログ 2018/08/02

などと、根拠のない妄言をはき続けている。この人が残したFIT制度導入という悪法のおかげで日本の国土が破壊され続けているのに、未だに基本的なことも学んでいないだけでなく、能天気、無責任、非科学的な言葉を吐き続ける。立憲民主党にとっていちばんの老害、地雷ではないか。

真夏のソーラーパネルといえば、2年前には住宅のそばに建てられた太陽光発電所のおかげで熱中症になったという訴訟があってメディアでも取り上げられた。この手の苦情、訴えはその後も全国で増えている。
「ソーラーパネル 気温上昇」で検索すると、ソーラーパネルとヒートアイランド現象との関係について調べようと試みた研究論文がヒットした。
この論文の「結論」部分にはこんな記述がある。
各種表面からの顕熱フラックス*を、日射量に対する比で比較するとソーラーパネルは草地や屋上緑化よりも大きく、草地や屋上にソーラーパネルを設置することで、周辺の温熱環境へ影響を与えることが懸念される。
また、今後の課題として、ソーラーパネルのヒートアイランド現象の影響についての対策が必要であると考えられ、ソーラーパネル設置時における顕熱フラックスの算出等のシミュレーションによる検討が必要であり、今回の結果を活用したモデル化が望まれる。
太陽光発電パネルの熱収支特性の評価に関する研究 野村洋平、日本工業大学研究報告 第45巻 第1号 (平成 27年6月)収録)
*顕熱フラックス:温度の高いところから低いところへ輸送されるエネルギー

太陽光発電や風力発電はどれだけまともに発電しているのか?

もちろん、僕は太陽光発電を全否定しようとしているわけではない。送電施設を作ることが難しい or コストが合わない僻地などでは当然有効かつ必須なものだろう。また、近年、ソーラーパネルの性能が上がっていることも確かだろう。
では、ソーラーパネルはどの程度進歩しているのか?
最近の効率や耐久年数をちゃんと教えてくれるデータを探していたら、こんなページに行き着いた。
「化石燃料枯渇後の再生可能エネルギー(再エネ)に依存する社会への移行は、FIT(再生可能エネルギー固定価格買取)制度を用いた今すぐの移行ではありません(その1) 地球温暖化対策として、電力料金の値上げで国民に経済的な負担を強いる不条理なFIT制度を用いた今すぐの再エネの利用・拡大が、科学の常識を無視してやみくもに進められています」(東京工業大学名誉教授 久保田宏、日本技術士会中部本部・事務局長 平田賢太郎)
このWEBページの論文の中にはいろいろな試算データが出てくるが、中でも目を引いたのは、「FIT制度を適用した再エネ電力の導入で、年間平均設備稼働率の計算値が100 % を超える非常識なデータを資源エネルギー庁が発表しています」という部分。

「日本エネルギー経済研究所編;EDMCエネルギー経済統計要覧2017」(一般財団法人省エネルギーセンター)というものがある。

ここに出てくるデータを検証していくと、非常に不可解なことがたくさんあるのだという。
たとえば、
1)FIT制度の適用認定を受けた設備のなかの運転しているものの比率
 という数値。これは認定を受けた設備の何パーセントが実際に稼働しているのかという数値だが、太陽光発電の場合、2012年は8.3%。2015年は34.1%となっている。認定を受けながら実際には稼働していない太陽光発電所のほうが多いということが分かる。FITでの買い取り価格が高い年度に認定だけ取っておいて、実際に設備投資するのは様子見しているところが多いわけだ。

2)2015年度の太陽光発電の発電設備容量3,284 万kW、発電量 793.8 kℓという数値をもとに太陽光発電の年間平均設備稼働率の値を計算すると、11.9%となる。同様に2011年~2014年度の設備稼働率を計算してもまったく同じ11.9%となる。5年間、年間平均設備稼働率がまったく同じ数値というのは不自然ではないか。
同様の計算を風力発電や廃棄物+バイオマス発電についてもしてみると、やはり年度に関係なく、それぞれ19.9%、66.9%と出る。この数値は一般に公表されている再エネ電力の設備稼働率の数値とほぼ一致する。
つまり、ここに示されている再エネ電力の発電量数値は実測値ではなく、あらかじめ各再エネ電力に対して、それぞれに固有の年間平均設備稼働率の値を推定して計算した数値としか考えられない。

3)さらには、ここに出ている「固定価格買取制度認定設備容量・買取量」の値を、各再エネ電力種類別の認定設備容量と運転設備容量の比率(認定した設備のうち実際に稼働しているものの比率)、運転中の再エネ発電設備の種類別の「年間平均設備稼働率」を使って計算すると、「年間平均設備稼働率」の値が100%を大きく超える年度があるというのだ。

「化石燃料枯渇後の再生可能エネルギー(再エネ)に依存する社会への移行は~」(久保田宏・平田 賢太郎 氏の論文より抜粋)


詳しくは上記のリンクをたどって読むことができるが、これが本当だとしたら、再エネ論議のベースとなる公のデータそのものが信用できないというゆゆしき事態になってしまう。


「日本エネルギー経済研究所」「省エネルギーセンター」とは?


この話が本当だとすれば、そういう内容のデータ本の編纂をした「日本エネルギー経済研究所」、出版元である「一般財団法人省エネルギーセンター」とはなんなのだろうか、と気になる。
Wikiなどによれば、
「日本エネルギー経済研究所」は「エネルギーと環境、および中東の政治経済に関する研究・調査などを行う日本の研究所」で、元資源エネルギー庁所管の財団法人。2005年に財団法人中東経済研究所と合併し、2012年に一般財団法人になったそうだ。
理事長の豊田正和氏は1973年通商産業省入省、元経済産業審議官、元内閣官房参与。専務理事の大谷豪氏は、1978年東京電力入社、元東京電力理事兼ロンドン事務所長。他の理事もみな経産省とのつながりがあり、経産省の外部機関みたいなものだろう。

「省エネルギーセンター」は、省エネ推進等の受託事業、エネルギー管理士試験などを実施する法人で、2012年までは経済産業省資源エネルギー庁所管の財団法人だった。いわゆる「省エネ大賞」授賞事業も管轄している。
現会長の藤 洋作(ふじ ようさく)氏は、京都大学工学部電気工学科卒業後、関西電力に入社。1989年に同社取締役、2001年に同社代表取締役社長就任。2014年に原子力発電環境整備機構(NUMO)副理事長就任……という経歴。

お名前を検索すると、⇒こんな記事もあった。

このへんまで調べた時点で、強烈な脱力感に襲われて、これ以上なんやかや書く気力が失せてしまった。
頭のいい人たちが都合のいいようなデータを作り、メディアはそれをそのまま流し、いわゆる「意識高い系」みたいな人たちがしたり顔でエネルギー論をぶち上げる。そんな構図の中で、一体どれだけまともな議論ができるだろうか。

「もったいない学会」と「エントロピー学会」

上記の「化石燃料枯渇後の再生可能エネルギー(再エネ)に依存する社会への移行は、FIT(再生可能エネルギー固定価格買取)制度を用いた今すぐの移行ではありません  地球温暖化対策として、電力料金の値上げで国民に経済的な負担を強いる不条理なFIT制度を用いた今すぐの再エネの利用・拡大が、科学の常識を無視してやみくもに進められています」という文章は、「NPO法人 もったいない学会」というグループのサイトにあった。
もったいない学会の正式名称は「石油ピークを啓蒙し脱浪費社会をめざすもったいない学会」というらしい。
理事会名簿を見ると、
名誉会長:石井吉徳(東京大学名誉教授)
会長:大久保泰邦(産業技術総合研究所)
副会長:松島 潤(東京大学准教授)
……とあり、大学人や環境工学系企業の役員などで構成されているようだ。
なんだかエントロピー学会に似ているなあ、そういえばエントロピー学会は今でもあるのだろうかと検索したら、存在はしていた。室田武教授もまだ名を連ねていた。

僕の人生にいちばん影響を与えた本は、『資源物理学入門』(槌田敦、NHKブックス)と『エネルギーとエントロピーの経済学』(室田武、東洋経済新報社)だというのは、何度か書いているのだが、エントロピー環境論を知る前と後とでは、本当に人生観が変わった。
『マリアの父親』が「小説すばる新人賞」を受賞し、出版されたときは、まっ先にお二人に謹呈本を送った。するとすぐにお二人ともていねいな読後感想を書き送ってくださった。以後、今でも年賀状のやりとりは続いている。
 

上記登場する人たち(経産省グループの頭のいい人たちや「もったいない学会」に参加しているような学者やインテリ層)は、エントロピー環境論は理解しているだろう。その上で、合理性を無視して保身・出世のために事実を歪めて動く人たちと、真面目に真実を訴え続ける人たちがいるわけだ。
ほとんどの人たちはこの、生きていく上で最も根源的な「リアル社会の摂理」ともいうべき仕組みを理解していないし、知る機会も与えられていない。
どんなに努力しても、社会一般レベルでの理解度は深まらないのではないか。
となると、世間に向けて「こうなんですよ」と理屈を説明するよりも、(菅直人のような)理解していない政治家を啓蒙するほうが、成果は上がるのかもしれない。ルールを作るのは政治家たちなのだから。
では、政治家を啓蒙することができる人たちとは誰か。
本来は官僚たちがその役割を担わなければいけないのだが、魂がない、保身スキルだけ長けていく官僚が出世する。やはりその方向でも期待はまったくできないということか。脱力。

「もったいない学会」という名称はとってもダサいが、おそらく「エントロピー」という言葉を出しただけで多くの人に敬遠されてしまう経験を重ねたための苦肉の策なのだろう。ジレンマはよく分かるが、そこまで想像すると、やはり脱力してしまう。
「分かっている人たち」が集まって、その中で「そうなんだよね~」とやりとりしていても、ほとんどの人たちは耳を傾けないどころか目も向けない、気づかない、存在すら知らない。テレビのワイドショーやニュース番組もどきで言っていること、新聞のそれらしい評論が世の中の事実だと思っている。
でもまあ、脱力しているだけでは、ここまで書いてきた意味もないので、この「もったいない学会」のサイトで見つけたいくつかの注目される内容を列挙しておきたい。

太陽光発電の優遇は根拠がない

再エネ発電設備の実用化での効用を比較するには、この設備容量に設備の種類別の稼働特性ともみなされる年間平均設備稼働率の値を乗じて与えられる発電量kWhの値の実測値が用いられなければなりません。再エネ電力の利用・拡大で、設備稼働率の値が70 % 程度とされている地熱発電や中小水力発電などに較べて、稼働率の値がその1/6 程度の太陽光発電の利用の効果が、発電量ではなく、発電設備容量の値で評価された上で、FIT制度での最も高い電力の買取価格を設けて、優先的に、その利用・拡大が図られていることは、FIT制度の適用で、政府が太陽光発電事業者を特別に優遇していると言わざるを得ません。まさに、この国のエネルギー政策の混迷を象徴的に表していると言ってよいでしょう。
「化石燃料枯渇後の再生可能エネルギー(再エネ)に依存する社会への移行は~」久保田宏、平田賢太郎

「水素社会」など到来しない

輸送機関のEV化は移動機関「オール電化」である。しかし、長距離輸送の航空機と船舶の電動化はあり得ない。陸上自動車の燃料も石油代替の電力、「EVカー」である。それは日本において、原発の再稼働と水素社会のキャンペーンになっている。EVカーのエネルギー経済性を検討するまでもない。水素社会プロジェクトでは、地方で生産の再生可能エネルギーで水素製造し、EVに供給する迂回利用が滑稽にも真面目に語られている。利欲に染まった日本の支配層の視野はどこまで狭窄なのだろうか。原発も水素も石油インフラ依存の燃料であり、「EVの時代」はそんなに遠くない時期、恐らく21世紀半ばまでに安い石油が大幅に減耗し、石油代替エネルギーの経済性が破綻して、石油文明の存続が立ち行かなくなるともに終焉しよう。

日本国民の生活と五穀豊穣の国土の再生は、「大都市集中から地方再分散」、「都市の地方支配から都市と地方の共栄」にガラッと変えることにある。そのためには、ロボット・AI、IOTの正しい活用、大量に産まれる「技術的失業者」の希望ある地方移住が必要である。
「自動車EV化」は石油文明終焉の表れ 田村八洲夫)

田村氏の視点で注目すべきは、ロボットやAIを否定せず、「ちゃんと使え」と提言していることだ。これにはまったく同意する。
単にノスタルジックな田園風景賛美や江戸時代浪漫吹聴では現代社会が抱える問題は解決しない。
台風の進路を正確に予想できるコンピュータがありながら、なぜ経済政策はマヌケでデタラメなものばかりになるのか? それはコンピュータを正しく使おうとしていないからだ。目的が「多くの人びとが無理なく平和、幸福に暮らせる社会の実現」ではなく、支配層の保身や私利私欲になっているからだ。コンピュータがこんな使われ方をするなら、AIが合理的にコントロールする社会のほうがよほどまともだろう。

まともな社会像かどうかを見抜く

さらに田村氏は、
まっとうな社会論かを見極める判断基準は、
である。(当然、②が「まっとう」)
……という大前提を提示した上で、よく見る「ポスト石油社会」像の弱点や矛盾点を次のように指摘している。(要約)
≪太陽エネルギー社会論≫
太陽光エネルギーで、自動車、業務・家庭、電力等で使われている石油量(石油使用量の67%)300万バーレル/日を代替しようとすると、7億kWの発電設備、5,000㎢のパネル面積が必要。太陽光発電設備の大工業的な製造、リサイクルには効率的な石油燃料が必須。太陽エネルギーは、地産地消型自然エネルギーと考えるべき。

≪水素社会論≫
水の電気分解によって得られる(「二次エネルギー」である)水素ガスを化石燃料代替エネルギーにしようとする発想が根本的に間違っている。水を電気分解する膨大な電力は、何から作るのか。現実性がまったくない。

≪低炭素社会論≫
「地球温暖化人為論=CO2排出削減論」は主として原子力発電の推進で今の石油文明を継続させようという論になりがち。原子力発電には化石燃料が必要不可欠なので矛盾している。(しかも原子力を利用した後にできる廃物処理が不可能なので論外)

≪循環型社会論≫
大量生産・大量消費・大量廃棄の浪費社会から脱却し、資源循環を効率的に行って3R社会に転換しようする論。3Rは、リデュース、リユース、リサイクルの順に重要だが、実際には、経済成長に貢献しうるとしてリサイクル産業が重視されすぎている。エントロピーの高い廃物や廃棄物を有用物に加工するために良質なエネルギーを多量に使うのはナンセンス。金属等の資源の浪費をある程度抑えられても、多くの場合、石油等の化石燃料は節減されない。エントロピー増大の法則(熱力学第二法則)を無視したリサイクル論はかえって資源浪費につながる。

≪持続可能社会論≫
石油に依存する二次エネルギーの利用や産業・交通に依存できなくなってからの社会は、自然が循環してくれるエネルギーを基盤にするしかない。いいかえれば、高エネルギー浪費型の現代社会から、もったいない精神による「低エネルギー文明」に移行するしかない。そのためには、利欲のために自然を支配する論理ではなく、自然の性質を学び、自然と共生する論理・心の持ち方に、戻ることが決定的に重要。
「ポスト石油の文明社会論  現代石油文明の次はどんな文明か」 田村八洲夫


上記内容のコラムの筆者・田村八洲夫氏が書いた本『石油文明はなぜ終わるか 低エネルギー社会への構造転換』。本日到着

北朝鮮とキューバに見る「文明転換」

上記のまとめはエントロピー環境論をかじった人たちには至極あたりまえのことだろう。
ひとつ、新鮮に映ったのは次の部分だった。
北朝鮮とキューバは、ソ連崩壊によって、石油ショートを初めて突然に経験しました。
北朝鮮は、専制的な執政の下で、従来の農法を踏襲しました。キューバは石油ショートを認識したとき、有機農法への移行という解決法を持ち合わせていました。政府の政策、科学者と農民の共働で有機農法と地産地消に努め、餓死を出すことなく平和的に文明の転換に成功しました。


そうか! と一瞬食いついたが、すぐに冷静になった。
有機農法への移行が完全解決策であるというように鵜呑みにはできないだろうし、過剰な幻想を抱くのも危険だろう。
キューバの農業改革については以下のような指摘もある。
「平和時の非常時」において、当面の外貨収入の増大をもたらす観光の推進、外国投資の誘致、外貨所持の自由化といった政策では経済危機の本格的な対策としては不十分であり、政府は、94 年から生産力を解放して、生産を増大するため、市場機能を導入した種々の経済改革政策を開始した。海外資本の積極的な誘致、各種自営業の拡大、国営農場の協同組合生産基礎組織(UBPC)への改編、農産物の自由市場の創設、工業製品の自由市場の創設、飲食自営業の承認、銀行制度改革、税制改革、企業改革などが推進された。しかし、カストロ議長は、急進的な経済開放から引き起こされるかもしれない経済混乱に乗じて米国の介入が予想されるとして、市場機能の導入には極めて慎重な態度を取っている。製造業、小売業において限られて業種で個人営業は認められているものの、小規模私企業は認められていない。

こうした経済危機の中で、食糧生産が、経済活動の第一の目標に置かれた。危機の 5 年間で国民の食料摂取は、30%減少した。政府は、乏しい外貨の中で、食料輸入を最優先におくとともに、食料の増産政策を進めた。激減した農業機械、石油燃料、化学肥料、化学農薬、化学除草剤を補うために、国内で利用できるものは何でも代替資材とされた。大規模農場は解体されて、協同組合生産基礎組織(UBPC)に改編されるとともに、農場の規模を 10 分の 1 程度にダウンサイズし、牛耕が行われ、バイオ肥料、バイオ農薬が使用されるようになった。このように、キューバにおいて、有機農業は、食料生産を維持するという歴史的事情から追求することを余儀なくされた農法の一手段であり、目的ではない
キューバの有機農業を論じるときには、この観点を失うと有機農業の現実を過度に美化することになりかねない。
「キューバにおける都市農業・有機農業の歴史的位相 」新藤通弘 『アジア・アフリカ研究』2007年第2号)

有機農業が目的化されると、再エネ信仰のような宗教になってしまいかねないのは確かだろう。しかし、現実に、北朝鮮とキューバの人たちのどちらが今、幸せそうに暮らしているかを見れば、キューバのほうが国の運営に成功していることは誰の目にも疑いがない。
要するに、一国のリーダーが知性と理想と献身の精神を持ち、合理的な判断をできるかどうかが問われているのだ。
それを考えるサンプルとして、北朝鮮とキューバは実に分かりやすい。
そして、いうまでもなく、日本はその意味においては最悪レベルの国の一つになっており、戦後に蓄積した財産を急速に失っている。



↑エントロピー環境論を子どもから大人まで伝えたいという気持ちで書いた、これは私の「遺言」です。



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