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のぼみ~日記2018


2018/09/23

オンブバッタじゃなかった



玄関前にいたバッタ。オンブバッタかと思ったら、「オンブしたショウリョウバッタ」だった。大きさが全然違うのね。
でも、こないだ二日続けて見たショウリョウバッタよりは小さい。そのでかいショウリョウバッタ、数日後、道路でつぶれているのを見た。同じやつかどうかは分からないが、轢かれちゃったんだろう。ドジなバッタに合掌。

夜中のすすき


夜中に外に出たら、かすかな月明かりの中ですすきが浮かび上がった。秋だね


中秋の名月


今夜は中秋の名月。雲が薄くかかっていて、むしろ愛でやすい



でも、この雰囲気は写真ではなかなかとらえられない。雲の向こう側でも明暗差がありすぎて、月の周辺が写り込まないんだわね



かといって、こういう写真だと、ただの月の写真になっちゃうしねえ



この程度で、月の周りの雲とかも写り込めばいいんだけど、そうはいかない



どう撮っても無理……諦めよう……


母校がまたテレビに出ていた


こないだの高校生クイズでは一瞬ワイプに写っただけだったが、今度はちゃんと番組の中に登場した

この番組、ずいぶん前からやっているようだが、すごく前に一度見たような気がするだけで、全然気に留めていない番組。今回は母校が出ているというので録画しておいた。
録画を見て、ああ、この番組だったか、と知った次第。

6月頃に撮ったのだろう。夏服の集団の中に何人か冬服の子が混じっている。僕らの頃は、この状態は許されず、6月1日になるとどんなに寒くても夏服に一斉切り替えだった。
毎年、うっかり冬服のまま家を出る子が何人かいて、すぐに気づいて家に戻り、遅刻してきたりするのだが、一度、一人だけ冬服のまま学校に来た同級生がひとりいて、先生からひっぱたかれていた。「みっともない。どういうつもりだ」って。
そのことをフェイスブックで呟いたら、同級生の一人が「確か昨年かな、亡くなったんだよ。合掌。」と答えてきて、ビックリした。
還暦を過ぎれば、毎年、何人かは死んでいく。

制服といえば、僕らの頃は夏服は濃い灰色の開襟シャツで袖には黒い輪っかが入っている(中学は1本、高校は2本)という、きてれつなデザインのものだった。遠足で遊覧船に乗っていたときなどは、客から「海洋少年団かなにか?」と訊かれたし、ほとんどの生徒は、在学中一度は駅員さんとか自衛隊員とかに間違われたものだ。高校生ともなると、結構老け顔の生徒もいたからねえ。
「あのネズミ色の夏服は、脇の下が汗で色が変わっちゃうし。しかも、デザインがルーズフィットとでも言いましょうか(笑)、胴廻りがダブダブなんだな」(同級生のヒジリくん・談)

それが嫌で、真夏でも、登下校の際は、学校が許している紺色のVネックのセーターをずっと着ていた先輩もいたなあ。

冬服は変わっていないが、僕らの頃は学ランとセットになっている帽子着用だった。襟なしの黒いブレザーに学帽という異様なスタイル。
「登下校で悪さしないようにって思ったのかねえ。西欧のカトリックの風味に、日本人教師が口挟んで、人のいいブラザーも従って、結果はあの姿。帽子は学校出たら被ってなかったなあ。罰ゲームみたいだったよね」(同級生のヒラオカくん・談)

親父が一度、校長に「あの帽子は昔の軍隊の軍服の帽子ですから、ブレザーと組み合わせるのはおかしいですよ」と進言したらしい。
僕らが卒業後しばらくして帽子はなくなったと聞いて、羨ましかった。
ほんと、あの帽子には泣かされた。夏服にもセットされていて、電車の中で、汗が止まらずに帽子を脱いで膝の上に置いているだけでも怒られたものだ。見つかったときの教師によってはひっぱたかれるし、登下校のときのストレスにもなった。

そんなことを思い出しながらテレビ画面に映し出される満面笑みの後輩たちを見ていると、僕らのときよりもみんな童顔で、屈託のない笑顔のように感じる。



ちなみに、今の母校の工藤校長は、僕やヒジリくんやヒラオカくんと同じ高3D組(通称「私立文系馬鹿クラス」)で一緒だった。
工藤校長夫人はお袋の聖路加時代の同期生の娘で、親父とお袋は工藤くんの結婚式では仲人をつとめた。
そのとき出席していたヒラオカくんが、真っ赤なカブリオレに乗っていたのを、なぜか覚えている。

工藤くんは母校に戻って校長・理事長になり、ヒジリくんは国語の先生になり、ヒラオカくんは大企業の偉いさんになり、あたしは今、こんな生活をしている。
人生いろいろ。

2016年2月 工藤くんやヒラオカくんとはこの日以来会っていないなあ。ヒジリくんとは、下手したら卒業以来会っていないかもしれない(2度くらい出た同窓会で会っているかもだけど)

2018/09/25


ツチガエル


ミニ池で何かが動いた。トウキョウダルマガエルだろうと思ったのだが、よく見たらツチガエルだった。しばらく姿を見ていなかったやつよりずっと小さいので、別人(別蛙)だな。あのでかいツチガエルはどこかで生きているんだろうか。来年、また会えるんだろうか。


↑エントロピー環境論を子どもから大人まで伝えたいという気持ちで書いた、これは私の「遺言」です。



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