だいぶ上ってきたがまだ着かない。
一度上ったことがあるので、とんでもないルートだとは思わないが、初めての人は途中で諦めて引き返してもおかしくない。
ちなみに、
鶴の子観音の伝承は以下のようなもの。
昔々、この山の麓に美しい池があった。
池のほとりに大きな松があり、鶴が巣を作って毎年卵を産んだ。
ある年、村の若者4人がこの巣から卵を全部取って持ち帰った。茹でて食べようとしたが、白髪の老人が突然現れ言った。
「あの鶴は神様だ。その卵を食べるとはなにごとか。末代まで罰があたるであろう」
若者たちは驚いて、すぐに卵を元の巣に戻したが、すでに茹でてしまっているので雛が孵るわけもない。しかし、鶴はそんなこととは知らずに、茹でられてしまった卵をずっと温め続けた。
その姿を見て、ますます自分たちの罪を恥じた4人は、懺悔のために交代で水ごりを始めた。
100日目の朝、若者たちがお祈りをしていると、なんと茹でたはずの卵から鶴の雛が孵った。そして、松の木から金色の観音を背に乗せた鶴が飛び立って、山の彼方へ消えた。
若者たちからその話を聞いた村人たちは、山の中腹にお堂を建てて、以後、お参りするようになった……。
この「茹でた卵からも雛が孵った」という伝承が「子宝を授かる」に結びついたらしい。今でも
毎年3月末の日曜日には、県外からも子宝を望む夫婦が卵を求めて訪れる。
その「鶴の子観音」は奥の院の観音像で、下の本堂のは馬頭観音だというのだが、鶴の子観音も馬頭観音なのかどうかはいまひとつ分からない。
岩の中に埋め込まれたように立てられた奥の院
中にはいつでも入れる
奥の院の壁は岩そのもので、そこにも石仏が
ここに本尊である「鶴の子観音」も馬頭観音なのだろうか?
頭の上に何か乗っている感じなので馬頭観音かもしれないが、馬頭観音は腕が何本もあるのが多いので、違うのかな。子宝を授けるイメージで、比較的新しく作られたものなのかもしれない。
このときは「子宝の観音」という思いは頭の中にまったくなかったので、レオが安らかに昇天できますように、とお祈りした。
奥の院からの眺め
展望台のように作られているのだが↑、木の枝であまり眺望はよくない↓
戻ります
奥の院の前から今市方向を見る。目の前の住宅街は文挟の分譲地
帰りのほうが怖い
↑岩の下のこの半跏思惟像は……天明3(1783)年と読めた↓