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のぼみ~日記2019

2019/01/04

大腿骨頸部骨折

年末、親父が大腿部を打ったらしいので訪問看護師を呼んだという連絡があり、様子を見に行ったが、看護師はすでに帰った後だった。
腫れもないし、触っても痛くないというので、このまま様子を見ましょうということになったという。
年末で病院はどこもやっていないし、どうしようもない。
骨が折れていないようでよかった。打撲だけならこのまま収まるかな……と思っていたのだが、3日になって、再び痛みを訴えるようになり、見ると右脚と左足の長さが違ってしまっているので、これは相当まずいのではないかと、再び訪問看護師さんを呼ぶ。
看護師さんから連絡が入って、訪問診療医にも伝えたとのこと。
4日夜、訪問診療医(先々月から主治医となっていただいた宇都宮のクリニックの院長)が来てくださり「大腿骨頸部骨折で間違いないと思います。レントゲンを撮らないと断定はできませんが」とのこと。
うわ~。
さて、どうする。
整形外科でとにかく一度は確定診断してもらわないといけないというので、翌、5日。朝から介護タクシーなどを手配しようとしたが、まだ松の内の土曜日で、ケアマネ事務所も休み。どこの業者も留守電やら呼び出し音が続くだけで出ないやら、うちはそういうのはやっていません……やらで無理。
プジョーの後ろの座席を倒して押し込んで、無理矢理連れていけば、整形外科ならストレッチャーを持って駐車場まで運び込みに来てくれるだろうということで、病院に事前に電話をして家を出る。
しかし、途中、右側通行でこっちに向かってくる車がいたり、考え事しているうちに曲がるべき路地を通り過ぎてしまったり……バックして左折したら、ちょうど死角になっていた縁石にガツンとぶつけた。
施設のすぐ手前だったのでそのまま乗りつけたが、車は傷つき、パンクしている。
整形外科の診察受付時間終了が迫っていたので、施設長が「じゃあ、うちの車で行って」と、介護車(ディーゼルのハイエース)の鍵を渡される。
そこにのせるまでが大変。女性3人と僕の4人で、シーツを引っ張り上げて押し込む。
助手さんには、家から夏タイヤ1本とジャッキと十字レンチを持ってきてと電話して、そのまま、人生初のディーゼルハイエースを運転して病院へ。

生まれて初めてこの大きさのディーゼル車を運転した


病院では「施設の人」とまちがえられる。まあ、そうだよな~。
ちょっと呆れられた顔をされたが、なんとかレントゲンまでは撮って診断は出た。

その病院では手術も入院もできないので、宇都宮の病院までこのまま運んでしまったほうがいいと何度も言われたが、固辞。
そこは事前に主治医とも相談していて、「このケースでは即入院、手術と言われるでしょう。入院させたくない場合は、一旦施設に戻りますと強く言わないと……」と、心構えはしてあった。

レントゲン写真が映し出されたモニターを撮らせてもらった↑ きれいに折れていて、すでに上のほうにずれてしまっている。
手術は「人工骨頭置換手術」というもので、下の図のようなものになるらしい

夕方、訪問診療から戻ってきた主治医と電話がつながり、相談。
整形外科では、手術をしない場合は痛みがかなり続くであろうということ。出血などの危険があるので、どっちみち施設での介護は限界があるともいわれた。
これも事前に承知のこと。「整形外科ではそう言われるでしょうね」と院長にもいわれていた。
主治医に「100歳でも手術させる」という整形外科医の話をすると、「ええ~!」と大きな声で驚いていた。
手術してもらうには遠く離れた総合病院に連れて行くしかないし、その場合の手立ても問題。全身麻酔に耐えられないかもしれないと麻酔医が判断すればそのまま何もせず戻ってくることになるかもしれないとも、整形外科では言われた。
入院となると、親父の場合、一気に精神状態が悪化することははっきりしている。以前、もっとずっと元気だったときの下肢静脈瘤手術の入院時に経験済み。このときは今日明日にも死んでしまうのではないかと思うほど、表情も激変し、認知症も悪化した。
いちばん恐れているのは、すでに骨折する前から急速に心身ともに弱っていた親父が、環境の変化に耐えられず、病院でパニックになり、そのまま縛り付けられてしまうことだった。
そのまま死んでしまうとしたら、人生の最後に耐えがたい恐怖を与えたことになる。それだけは避けたい。
しかし、この時点では、短期決戦のつもりで宇都宮の総合病院に移送、手術、引き取り、という方向に傾いていた。主治医にもそう告げたところ、「そうですか。ではその方向でいきますか? 難しい選択ですので、最後はご家族様が決めるしかないです。それでいいんじゃないでしょうか」と院長。
どっちみち明日は日曜でどうしようもないので、月曜日に仕切り直しということで電話での相談を終えた。

整形外科医では痛み止めなどの薬が一切出なかった。
前日、訪問診療の際「整形外科で痛み止めが出ない場合に備えて処方箋書いておきます」と渡された痛み止めの処方箋を持って薬局へ行ったが、土曜なのでどこも早じまいしていたり閉まっていたり。
ようやく一軒、電話をすると「今閉めるところです」という処方箋薬局があったので「あと10分待っていてください」と頼み込んで駆けつけ、なんとか痛み止めを入手。夜、施設に届けた。

さて、手術を拒否した場合だが、時間はかかっても痛みは治まり、骨が変形したままであっても車椅子生活ならできるようになったという報告もある。
症例Aは、自宅で転倒後、整形外科病院に担送。大腿骨頚部骨折と診断されたが、痴呆を理由に手術を拒否、そのまま介護老人保健施設を紹介。痛みに対する処置を行いながら脂肪塞栓などの合併症の予防に努め、慎重な全身管理のもと、車椅子での生活を開始させ、もちろん入浴も許可。3ヵ月後再び徘徊できるまで回復。骨折前には要介護度5と認定されていたものの、再認定の結果、要介護4と判定。
(略)
骨癒合が得られなくとも、変形治癒しようとも、治療期間が長くとも、良好なADLを維持できる症例が多いことを再認識していただきたい。
(私論「寝たきりは不適切な処置によって作られる」 臨時雑誌 ORTHOPEDIC SURGERY 整形外科 Vol.54 No.10 2003-9 南江堂 医療法人アスムス 理事長 太田秀樹)

手術や麻酔というのは体にかなり負担がかかります。全身状態が悪い人では、手術を行う方が、寝たきりでいるよりも危険性が高いと判断される場合には保存療法を選択します。
手術しない場合でも数ヶ月経過すると痛みは落ち着いてきます。
頚部骨折部は、癒合する可能性は少なく体重をかけることはできませんが、あまり痛みなく車椅子に座っていることは可能です。体の拘縮予防ためにも痛みが落ち着き次第できるだけ早く車椅子に移って寝たきりを防ぐことが重要になります。
「大腿骨頚部骨折」 益田地域医療センター医師会病院 守屋淳詞 投稿日: 2011年2月11日)


手術がうまくいっても、また歩けるようにはならない。骨折する前でもほとんど歩行は難しかったのだから。
痛みが早く取れるというが、手術後、麻酔が切れれば今よりも痛い時間がしばらく続くかもしれない。
であれば、気持ちを少しでも楽に保てるような選択をとるべきではないか?

悩みながら、夜、いろいろな記事や資料を読みあさった。
多くは「高齢者でも早急に手術すべき」的な内容だった。整形外科医が書いている記事ばかりだから、そういう内容になるのは当然だろう。
介護現場や精神科領域の話はまったく出てこない。
プレ終末期の高齢者が大腿骨骨折して、手術入院したものの、当然骨折前よりは全体に状態は悪化し、悲惨な死に方をする……というのは、よくある終末期ストーリーらしいが、実際に経験してみると、ほんとに難しい判断に迫られる。
こちらもいい歳の老人だし、このストレスで倒れてしまいそうだ。よほど気持ちをうまくコントロールしていかないと……。

2019/01/06

手術を受けさせる方向で動くつもりで、説明をするために資料などのコピーを持って施設へ。
この日は昼間も施設長が担当だった。
昨日夜から飲ませた痛み止めが効いたのか、今日はすこぶる調子がよく、朝は水のみから水もスープもポカリも自分で飲んだという。
食事も普通に取ったとのこと。 あまりにも協力的に態度が変化しておとなしくなったので、施設長は明るい表情だ。
「嬉しくなっちゃったわよ、はっはっは」
親父の態度が優等生になったのは、とにかくここから出されてしまうことだけは嫌だということなのだろう。
「説明したほうがいいですかね」と施設長にいうと「しっかり説明してあげて」という。
「ほら! 息子さん、ひとりで抱え込んで大変なのよ。ちゃんと話を聞きなさい!」と親父に言っている。
最近では例がないほどに意識がしっかりしていてハキハキと返事もするので、しっかり写真や図を見せながら、今、決断しなければならない二択(手術か、手術せずにここにこのままいて時間がかかっても痛みが取れるのを待つか)についてしっかり説明した。
いつもは生返事で、こっちが話していることを聴いていない親父が、聞き取れない言葉があると必ず訊き返し、自分からも発言するなど、別人のようなやりとりができたので驚いた。
そして何度も「手術はしない」「ここにいる」「ここで車椅子がいい」「絶対にそのほうが(手術せずにここで様子を見るほうが)いい」と明言。
そこまではっきり言われると、一度は手術をする方向で固まっていた気持ちが揺らいでしまう。
というか、何度も何度も「ここを動きたくない」というので、こちらも「このままのほうがいいか」という気持ちになっていく。
施設長も「いいんじゃないの? 私たちも、医療的な問題が把握できていれば、介護のやり方も工夫できるし、気持ちもしっかり持てるから。医者は手術しないと大変なことになるって脅すけれど、手術したって痛いのよ」と。
みんな、悩み、揺れ動きながらも、親父にとっていちばん幸せな死に方にするにはどうすればいいかを真剣に考えてくれている。本当にすごいチームだ。

手術をしなければ、骨はくっつかないままになり、歩くことはできなくなる。しかし、骨折する前もほぼ歩くのは困難な状態だったのだ。施設長もそれを言う。
であれば、時間がかかっても痛みが和らいで、落ち着くことを期待して、このまま動かさずにいたほうがいいだろう、という気持ちに完全に変わった。
親父が妙に上機嫌で、珍しく声を上げて笑ったりもしているのを見たことも、決断を変えることにつながった。
何度も「痛くないのか?」「我慢できる痛みなのか?」と訊いたが、「今は痛くない」の一点張り。痛くないはずはないのだが、親父にとっては痛みよりも病院に連れ込まれることの恐怖のほうがはるかに大きいのだと分かった。

施設長には、このまま様子を見ることにしたいと告げた。「いいんじゃない。それで」と同意してもらえた。

そんなわけで、この日は、僕自身、それまでのストレスがかなり軽減された状態で家に戻った。
その内容をケアマネさんにはメールした。読むのは月曜日になるだろうが。

つかの間のライチェル探検隊


気分転換に散歩……と、気持ちを奮い立たせて玄関を出ると、すでにライチェル探検隊ご一行がスタートしていた



ふたりにカメラを取られてしまった。ゆうくん「ライチェルが笑った~」。あら、ほんとだ。



ゆうくん撮影



ゆいちゃん撮影。ゆいちゃんはもっとアングルに気を配りましょう


2019/01/07

仕切り直しの月曜日

朝、主治医のクリニックに電話して、手術は見合わせたいと告げると、事務の人が「すでに提携の病院には連絡して、入院と手術のスケジュールを確認してもらっていたところです」という。
昨日の親父の様子を説明し「絶対に嫌だと言っているんですよね」というと、一瞬、声を上げて笑われた。
それで一旦手術の予約はキャンセルにしてもらうことにした。
念のため、今日、容体が変化していないかどうか施設に電話した。
施設長は1日完全な休みで、スタッフが電話に出て、不安そうな声で親父の様子を説明してくれた。
動けるはずがないと思ってベッドに寝かせていたら、夜中に背中とお尻だけで動いて、今にも落ちそうになっていたという。何度も元に戻しても、また動く。普通ならありえないような行動に出るので、怖くて仕方がない、と。
彼女の声のトーンからは、明らかに、手術を回避する方向になったことへの不安と苛立ちが読み取れた。
「もし手術をしないなら、このままでは介護できないので、昇降式のベッドをレンタルしてもらってほしい」と言われ、そのむねをケアマネさんに電話。
ケアマネさんからは、本当に手術しなくていいのかと何度も念を押された。このままでは介護するスタッフの負担が半端じゃなくなるし、いつどうなるか分からない、どうしていいのか分からないという不安を抱えたまま、ストレスフルな介護を続けることになるだろう、と。
そこでまた心が揺れた。
そうか。親父のことばかり考えていたけれど、いちばん心配しなければいけないのは、介護しているチームの人たちの心や体力的負担ではないか、と。

悩んだが、またクリニックに電話して、やはり手術させたいと告げた。
本当に申し訳ない。怒られて当然だが、事務の人も院長も本当にやさしく、真摯に接してくれた。
院長も「う~ん。難しいところですね」と悩みきっている。一緒になってとことん悩んでくれる。本当に感謝してもしきれない。
手術しない決断をしたときは「手術をしたことで精神がさらに壊れてしまって死なせた場合と、手術をしないで肉体的に苦しませてしまった場合と、どちらが後悔の度合が大きいかと考えたら、手術をさせて苦しませたほうだと思うんです」と説明した。
院長はうんうん、なるほど、と電話の向こうで頷きながら、一緒に悩んでいる。
しかし、これはよく考えると、自分の気持ちを最優先させているのではないかと気づいた。
なんだかんだいって、自分がいちばん苦しまない方向を探っているのではないか、と。
その選択をした結果、介護しているスタッフの苦しさが増大するのであれば、それは避けなければならない。
彼らはいちばん若い。これからずっと生きていかなければいけない人たちだ。その人たちのエネルギーを奪い、心を追い込んでいいわけがない。

そう気づいたことで、再度、気持ちを変えることになった。

そのことも院長には簡単にだが告げた。
「それでいいんですね?」
と念を押された。
「はい。そのように決めます」
「分かりました」

……というわけで、再度、病院へは手術受け入れの依頼をしてもらったのだが、悩んでいるうちに最短予定日に別の手術が入ってしまったという。
これは仕方がない。

9日搬送、10日に手術ということになった。

ヘトヘト

忙しくなる前に、ちょうど切れてしまったオムツと薬を買いに一人で今市へ。
毎月、月初めのオムツデイには助手さんと外でのランチを楽しむことでストレス軽減をはかってきたが、これだけいろいろあるとしょうがない。
雛人形展の案内状251枚をあて名印刷し⇒郵便局で出し⇒今市のドラッグストアでオムツ購入⇒大沢の薬局で薬をもらい⇒そのまま施設へ。

ドラッグストアの店員に「カートに積む技術がすごい」と感心された


親父はちょうど副施設長から夕食を食べさせてもらっているところだった。
副施設長は施設長の娘さんなので、性格はとても明るい。
ポンポンと自虐ギャグが飛び出すし、認知症老人たちにも言いたいことをバンバン浴びせる。それが刺激になって、みんなのボケが悪化しない効果があるように見える。

昨日とはまた様相が変わり、親父は両手とお尻だけでベッドの上を動き回り、このままではまた骨折箇所を増やしそう。
一昨日、僕に病院へ連れられていったことも、昨日、僕が写真や図まで見せてていねいに説明したこともすっかり忘れていて「骨折のこと聞いた?」なんて言ってくる。これには本当にガックリきた。僕が昨日説明したことだけでなく、僕が一人で運転して病院に連れて行ったこともすっかり忘れているのだ。
天井に人が三人見えるとか、福島に帰る電車賃がないとか(福島には家はない。住んでいたのは60年前まで)、滅茶苦茶なことを朝からずっと言っているらしい。
そんな親父に、スタッフは今日もスプーンでおかゆと煮魚を食べさせている。食事介助だけで小一時間はかかる。
親父本人は瞬間瞬間で感情のまま訴えている。それをケアする周囲の人たちの健康やストレス軽減を優先させるべきだと、改めて思った。
それともう一つ。これはかなりの長期戦になるのではないかという気もしてきたのだ。であれば、手術はしておいたほうがいいわけで……。


これを読んだ医療関係者の多くは、「これだから知ったかぶりの素人は困るんだ」と呆れたり、怒ったりするかもしれない。
でも、ひとつだけ言えるのは、超高齢者や認知症患者を相手にした場合、万能な解などない、ということ。
手術する外科医は、患者のそれまでの生活やもともとの性格を知っているわけではないし、退院後、どういう生活になって、どう死んでいったかまで見届けることはまずないだろう。そこをずっと見てきているのは、家族であり、介護スタッフであり、主治医だ。
また、患者の生活や性格をよく知っている家族や介護スタッフにしても、どうすれば当人がいちばん苦しまないかを考えるにあたって、あらゆる要因を考慮した上での「想像力」が必要だ。
認知症老人にはだまされる。ものすごくしっかりしたことをハキハキ受け答えしているかと思うと、翌日はそんなことすべて忘れて滅茶苦茶なことを言ったり、予測不能なことをしでかしたりする。
だから、介護する側は、やり甲斐がない、悩んだ甲斐がないという徒労感にも襲われる。

……なんてことを、運転しながら考えてしまう。まずい、まずい。
事故だけは起こさないように、気を張って乗り越えなくちゃだわ。

この程度で済んでよかった。くれぐれも注意力を失わず、乗りきらなくては……





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