テスト1
とりあえずこれ↑を聴いてほしい。(音が出ない場合は左端の三角印をクリック)
どう聞こえるだろうか?
- ドミレソ ドレミド ミドレソ ソレミド ……と聞こえる
- 学校のチャイムのメロディだが、階名は分からない
1の人は、メロディを聴くとドレミファ……という階名をラベリングする習慣がある。
2の人は、メロディを階名と結びつける習慣がない。
世の中の人は、概ねこの2通りに分けられる。
ちなみに上のメロディを譜面に表せばこうなる↓
テスト2
では、次のこれ↓はどうだろうか(三角印をクリック)
- ドミレソ ドレミド ミドレソ ソレミド ……と聞こえる
- ファラソド ファソラファ ラファソド ドソラファ ……と聞こえる
- 学校のチャイムのメロディだが、階名は分からない
1の人は
移動ド音感である。
2の人は
固定ド音感である。
3の人はどちらでもない。(メロディは「ああ、あれだ」と分かっても、階名には結びつかない)
最初のケースの1の人が、2つのグループに分かれたわけだ。
ちなみに上のメロディを譜面に表すとこうなる。
これを移動ド音感の人は、キー(調)に関係なく、
「長調のメロディ」として聞こえてくるので、
↑こう聞こえる。ちなみにヘ長調に相当するので、本来譜面の横には b(フラット) が1つつくが、この学校チャイムのメロディには「B」(移動ドの階名なら「ファ」、和名音名なら「ロ」)に相当する音が含まれていないので、b がなくても演奏には影響がない。
一方、固定ド音感の人は、あくまでもA=440Hzの調律をした楽器の
「Cの音をドと固定して聴いている」ので、
↑こう聞こえる。
テスト3
では、次はどうだろうか?(三角印をクリック)
- ドミレソ ドレミド ミドレソ ソレミド ……と聞こえる
- ファラソド ファソラファ ラファソド ドソラファ ……と聞こえる……かな?
- ミ ソ# ファ# シ ミ ファ# ソ# ミ ソミファシ シ ファ# ソ# ミ ……と聞こえる……かな?
- 気持ちが悪い
- 学校のチャイムのメロディだが、階名は分からない
1はもう説明不要だが、移動ド音感の人である。
2.3.4.は固定ド音感の人だが、いわゆる「絶対音感」というものにどれだけ忠実な耳であるかで反応が分かれる。
実はこれ、A=422.5Hzというチューニングになっている。
現代では、A=440Hzというチューニングが標準とされ、クラシックなどでは少し高めのA=442Hzあたりのチューニングをすることもある。
しかし、A=422.5Hzまで下げると、A=440Hzのときの半音下のAb(G#)が415.3Hzなので、ヘ長調(Fメジャー)でもホ長調(Eメジャー)でもない中途半端なチューニングになる。(FメジャーよりはEメジャー寄り)
念のために、半音下げたEスケール(ホ長調)でも聴いてみよう。↓
これはA=440Hzのチューニングなので、「気持ちが悪い」という人はいなくなり、
- ドミレソ ドレミド ミドレソ ソレミド ……と聞こえる
- ミ ソ# ファ# シ ミ ファ# ソ# ミ ソミファシ シ ファ# ソ# ミ ……と聞こえる
- 学校のチャイムのメロディだが、階名は分からない
の3通りに分かれると思う。
しつこいようだが、Gスケール(ト長調)でも聴いてみよう。
これだと、
- ドミレソ ドレミド ミドレソ ソレミド ……と聞こえる(移動ド音感)
- ソシラレ ソラシソ シソラレ レラシソ ……と聞こえる(固定ド音感)
- 学校のチャイムのメロディだが、階名は分からない
の3通りのグループに分かれるはずだ。
端的に言えば、固定ド音感の人にとって、Fスケールの学校チャイムとEスケールの学校チャイムは(違う高さの音で構成されている)「別々のもの」だが、移動ド音感の人にとってはこの両者は(「学校チャイムのメロディ」という意味で)「同じもの」なのである。
さて、多くの人たちは、耳で聞いたメロディを即座に楽器で演奏してみせる人のことを「絶対音感」がある、などというが、それは間違いである。
まず、世の中の多くの人たちが「絶対音感」と呼んでいる音感は、ほとんどが「A=440Hz調律をしたときの
固定音感」とでも呼ぶべき音感である。
このタイプの「
固定音感」の持ち主は、クラシック音楽の演奏家などに多い。
「譜面に強い」のも特徴で、上のテストで
固定ド音感であった人たちの多くは、この程度のメロディであれば、聴いた音をサラサラと譜面に書きおこすこともできる。
一方、
移動ド音感の持ち主は「
相対音感」を持っている。基準音がどんな周波数に調律されていようと、1オクターブ(周波数が倍音の関係)の間を12に分割した音の相対関係が正確であれば、音楽的には何の問題もなく「メロディ」として把握できる。
優れた「相対音感」の持ち主もまた、メロディを聴けば譜面なしで歌ったり演奏したりできる。
この「相対音感」こそが、音楽(特に作曲や即興演奏)にとって重要な音感である。
固定音感(世の中の多くの人が「絶対音感」と呼んでいる音感)を持っていても音痴な人はいる。逆に、相対音感を持っていても「譜面は読めない」「譜面には弱い」という人はとても多い。
典型的な相対音感人間の例は安全漫才のみやぞんだ。
みやぞんはメロディを相対音感でとらえているので、譜面などなくてもメロディを再現できる↑
ガヤの中から「絶対音感があるやん」という声が聞こえるが、それは間違い。「相対音感」が優れているのだ。
上の動画を見て分かるように、
みやぞんはすべてFスケール(ヘ長調)で弾いている。それが自分にとって弾きやすく、コードなどもFスケールの指癖で覚えてしまっているからだろう。
彼にA=422.5Hzでチューニングされたメロディや歌を聴かせても、長調であれば全部ヘ長調で演奏するに違いないし、A=440Hzからずれたチューニングであることも気づかないはずだ。
「半音」部分を言い表せない移動ド音感
ドレミファ……の階名には一つ大きな問題がある。
長音階(メジャースケール)、短音階(マイナースケール)から外れた音に対するラベリング(名前付け)がないことだ。
ひとつ例を挙げよう。
月桂冠のテレビCM
この「好きだよね 月だよね」というジングル(広告コピーや社名、商品名などを短いメロディにのせたもの)はとてもよくできている。
こういうメロディだ。
これはBbスケール(変ロ長調)を基本にしたメロディなので、移動ド音感の人は、最初のところは
レミレドミ
……と聞こえる。
ちなみに、フリューゲルホルンやテナーサックス、ソプラノサックス、トロンボーン、ユーフォニウム、バスクラリネットなどは「Bb管」と呼ばれる管楽器で、基本のドレミファ……がBbスケール(Bbが「ド」)の音になる。だから、これらの楽器で「レミレドミ……」と吹けば、上の音になる。
これらは「移調楽器」なんて呼ばれるけれど、固定ド固定音感の人がこうした移調楽器を演奏しようとするとき、あるいは記譜しようとするときは、頭の中で一旦移調しなければならず、混乱するという。
ところで、このメロディのチャームポイント?は、二度目の「だよね」の「だ」がブルーノート(メジャースケールにもマイナースケールにも含まれない音)になっているところだ。
完全な長調のメロディだとちょっと面白くないのだが、ここにブルーノート(移動ドでいえばレとミの間の半音)が入ることでちょこっとおしゃれ感というか、ブルーステイストが出る。
しかし、ドレミファの階名だと、こういう半音部分は名前がないので、移動ド音感の人は、そこだけドレミで歌えなくなる。
レミレドミ ラソ●~レド
と聞こえるのだ。
●のところは普通に行けばミになりそうだが、ミではない。思わず頭の中では「む~」とか「ん~」となってしまう。
それに引きずられて、その後に続く最後の「レド」も、この音の後だともはや「レド」とは聞こえず、
レミレドミ ラソむ~むむ~
……みたいに聞こえてくるかもしれない。
一方、固定ド固定音感の人たちにはこうしたことはまったく関係ない。これがミbであることはすぐに分かるからだ。この音はこれでしょ、と、楽器上で勝手に指が動く。そういう訓練を受けている人たちが多い。
ちなみにみやぞんがこれを聴いて「ピアノで弾いてみて」と言われたら、迷わずFメジャー(ヘ長調)で弾き始めるだろう。
こういう感じで↓
シンプルにコードをつければこんな感じかな。
相対音感人間が激減している?
みやぞんが優れた相対音感の持ち主であることは間違いないが、彼がメロディを聴いたときにドレミ……の階名ラベリングを頭の中でしているかどうかは分からない。
ドレミ……という階名は長調と短調のスケールの中でのラベリングであって、ジャズのようなテンションや転調がコロコロ出てくる音楽ではドレミ……ラベリングはあまり意味をなさないかもしれない。
実際、耳で聴いたときの階名ラベリングができなくても優秀な相対音感を持っている人たちもたくさんいる。ドレミでは聞こえない、譜面も読めない、でも一度耳で聞けばすぐに歌えるし、得意な楽器で演奏もできる……というタイプ。
ただ、みやぞんのような相対音感人間がどんどん少なくなってきていると感じるのは僕だけだろうか。
「絶対音感」なんてない
固定ド固定音感の人たちが移動ドや相対音感のことを上から目線で「育ちが悪い」とか「音が狂っているのに分からないなんて」とか「ファソラなのにドレミって歌うなんて吐きそうだ」とか言っているシーンを目にする。音大生やプロの演奏家にも多い。
そういう人たちは、自分たちが「絶対音感」の持ち主であることにエリート意識を持っている。しかし、彼らは「絶対音感」という言葉の「絶対」という部分にマインドコントロールされているだけではないのか。
調律の仕方に「絶対」なんてない。どんな高さに調律しても、個々の音の相関関係がしっかりしていればなんの問題もない。ピアノの名門・スタインウェイ社は、一時期、A=435Hz~460Hzまで、何種類ものピアノを作っていた。
それに、平均律12音階ではない、ピタゴラス音律や純正律といった調律法、音階も存在する。純正律主義者?に言わせれば、ピアノやギターの平均律は「12音すべてが平均的に狂っている調律」だということになる。
また、ベートーベンもモーツァルトもバッハも、A=440Hzで音楽を作ったり聴いたり演奏してはいない。
Aの音(ハ長調の「ラ」の音)を440Hzにしようと決めたのは最近のことだ。1917年にアメリカの音楽協会がA=440Hzを決めて、その後、1953年にISO(国際標準)が正式にひとつの基準として認定した。
しかし、それ以前の音楽の歴史を遡れば、A=440Hzというチューニングはむしろ異端で、
時代によって、また同じ時代でも場所によって、もっと高かったり低かったりした。
彼らの時代に演奏されていたオリジナルの音楽をそのまま今聴けば、「固定音感」の人たちはきっと「調律が狂っていて気持ちが悪い」と感じるだろう。
昔は録音機がなかったから、どんな音の高さで演奏されていたかは分からないではないかと言われそうだが、使用されていた調律用の音叉が残っている。
ヘンデルが使った音叉はA=422.5Hzで、ベートーベンの時代にはA=433Hzまで上がったそうだ。
A=422.5Hzというのは、A=440Hzで調律したときのAbが415Hzだから、今ならAとAbの中間あたりの音である。
そう、さっき聴いた学校チャイムの聴音「テスト3」がこれだ。
もう一度聴いてみよう。
ヘンデルはこの音程で調律した楽器を使っていたのだ。この調律で演奏される音楽が気持ち悪いと感じる人は、ヘンデルと一緒に演奏はできないことになる。
現在、バロック音楽の演奏会ではAの音を半音低い415Hz(Ab)に調律することが多いが、それはバロック時代の調律が今より低かったことが分かっているものの、現代の調律の平均であるA=440Hzとの整合性をとるために、A=422.5Hzなどという「中途半端」な調律にはせず、便宜上、Abの高さまで(半音ちょうど)低くしているわけだ。
もうお分かりだと思うが、要するに
絶対音感と呼ばれる音感の「絶対性」は、基準点をどこに決めるかで変わってしまうのだ。
その意味で「絶対」音感などは存在しえない。あるとすれば、ある基準音を決めたときの「固定」音感とでも呼ぶべきものだ。
クラシックの名作曲家たちは、おそらくすぐれた相対音感の持ち主であっただろうし、チューニングの基準をどこに決めるかなんてことは、演奏する際の便宜にすぎないということを理解していた。「優れた音感」はあっても、「絶対音感」などという概念はなかったのではなかろうか。
人間音叉になってしまうような固定音感は、決められた調律で与えられた譜面通りに演奏するのには都合がいいかもしれないが、それでは人間MIDIではないか?
メロディを作りだしたり、アドリブ演奏などを自由に楽しむためにはむしろ弊害のほうが多いと思われる。
誤解してほしくないが、どんな音感が偉いとか言っているのではない。ただ、固定ド固定音感をつけさせることが音楽のエリートを養成する必須条件のようになってしまったら、それはとても怖いことだと思うし、虚しさや絶望を感じてしまうのだ。それは僕が知っている音楽の魅力・魔力とは違う価値観や感性の世界だ。
僕にとっての
音楽は、「音そのもの」よりも、音同士の相対性の関係(メロディ)に価値(美)を見出す文化だ。
しかし、固定ド固定音感の音楽世界は、音色の美しさや演奏技術の高さに最高価値を置いている世界観、言いかえれば「音そのものの価値観」の世界のような気がするのだが、どうだろうか。
どちらが「偉い」とか「高尚だ」という話ではない。同じ「音楽」といっている文化だが、人によって価値観が違うだけでなく、聞こえ方そのものが違う、という話である。
あなたはどうだろう?
譜面を与えれば、どんなに難しい曲も弾きこなせてしまうが、簡単なメロディの伴奏も譜面なしではできない演奏家と、耳から入ってきたメロディを自分の好きなキーですぐに再現できるみやぞんタイプ……あなたなら、どちらになりたいだろうか?