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のぼみ~日記2019

2019/03/27

棚倉・浅川を再調査(2)長久寺(棚倉)



今回の再調査は、浅川にある謎の題目塔がどのような経緯で建立されたのかを知る手がかりを探るのが主目的だった。
日蓮宗独自の「髭題目」塔に、生涯自分の名前を彫らなかった利平がなぜ名前を彫っているのか? なぜ浅川にあるのか? 誰がどういう趣旨で建てたのか?
浅川の題目塔のことは、改めて⇒こちらに書いたが、そこに彫られている文字をすべて書きおこすと以下のようになる。
正面: 開眼主 日侃(花押付)
裏面: 維持 安政五 午戌年五月吉辰

側面:「一切業障海 皆從妄想生 若欲懺悔者 端坐思實相 衆罪如霜露 慧日能消除」(『観普賢菩薩行法経』の一節)
台座: 本願主: 浅川村住 田子熊蔵、福貴作 石工 小松利兵ヱ 下野出島 門人 鈴木靏吉
村役人: 庄屋 矢吹茂次右衛門、組頭 上野庄三郎、長百姓 岡部忠吉
寄進干?傳連名? 
浅川 中川治○、中川重平○、田子久次郎?、同 熊吉、同 平、浅川平?盛、○○村 ○○河?真?、○田村 鈴木亀吉、吉田治兵ヱ、須藤代?吉、○野要蔵、○○寅之助、○○○次郎、○白石村 ○○善兵ヱ
石川 橋本儀右エ門、西巻金兵ヱ、荒川茂平、矢吹栄助、鈴木要助、尾花半蔵、川村吉蔵、緑川荘助、田中佐五右エ門、溝井半兵ヱ

奉納者は、石川と浅川に別れて台座の別々の面に彫られている。石川と浅川で日蓮宗の寺は長福院しかないが、これは明治期に外から移ってきた人が始めたものだそうだから、安政5(1858)年には存在していない。
となると、棚倉の長久寺しかない。ということで、浅川の題目塔は長久寺と何らかの関係があるのではないかと思って、今回、長久寺を訪ねてみたのだった。

神宮寺の高久住職と石川町元助役の吉田さんが一足先に到着していた。残念ながら住職は留守だったが、夫人がご親切にいろいろ案内してくださった。

このときは分からなかったのだが、寺の縁起を書いた冊子に歴代住職の一覧があり、「20世 珠妙院日侃上人」とあった。
浅川の題目塔の「開眼主 日侃」は、ここ長久寺20代の日侃上人でほぼ間違いないだろう。

浅川にも石川にも江戸時代末期には法華経の寺院も道場もなかった。いちばん近い寺がここ長久寺だった。あの題目塔を建てた信仰者たちは、隣の棚倉・長久寺の住職に揮毫と開眼を依頼したのだろう。やはり関係があったのだ。

それが分かっただけでも、ここを訪ねた甲斐があった。

ご親切にも、ご本尊や、境内の巨大題目塔などを案内していただいた。

長久寺ではこの山門が棚倉城築城時の唯一の遺構だということと、中の仁王像が廃仏毀釈の生き残りであるということが観光資源的には有名。



本殿屋根の棟飾りや彫刻も見応えがある。






江戸時代の長久寺を描いた絵図



問題の(浅川の)利平の銘がある題目塔も大きいが、それよりはるかに大きな題目塔が目を引く。この題目塔は明治期のもので、石工名は6人並んでいた。
日蓮宗ではこれを「宝塔」と呼んでいる。境内にはこうした「宝塔」が他にもいくつかある。



寺猫なのに「クッキーちゃん」だって。

あいにくご住職は留守だったが、夫人からいろいろ教えていただいた。
江戸時代まで遡るとさすがに分からないことが多いという。
それでも、当時の法華経信仰(日蓮宗という名称は明治になってからのもので、江戸時代にはそうした名称の宗派であったわけではない)は、ともすると反体制的?な宗派ととらえられがちだった、とか、信仰者も個人単位で、家にはもともとの宗派があり、宗門帳で縛られていた江戸時代には簡単に宗派や旦那寺を変えることなどできなかった、といった話はとても参考になった。
それらを合わせて想像するに、浅川の「謎の題目塔」は、
石川、浅川一帯に江戸時代末期、熱心な法華経の信徒がいて講を作っていた⇒しかし、浅川にも石川にも日蓮の教えを学ぶ道場や寺がない⇒講の結束や亡くなった信者たちの供養、これからの信仰発展を願って題目塔(宝塔)を建立しようということになった⇒題目の書は棚倉長久寺の第二十代住職・日侃に、石塔製作は福貴作の石福貴(利平の工房)に依頼した⇒依頼者の説得に負けて、利平もついに自分の名前を彫ることを承知した……というようないきさつだったのではないだろうか。
宝塔は白山比咩神社管轄の共同墓地に建てられ、村の三役にもきちんと許可をもらっていますということを示すために「庄屋 矢吹茂次右衛門、組頭 上野庄三郎、長百姓 岡部忠吉」の名前を彫っているのだろう。
謎の題目塔が建立された経緯が、少し見えてきた気がする。

しかし、この頃が利平にとって平和だった時期の最後で、この後、この地は戊辰戦争に巻き込まれて大混乱になる。
明治に入って石福貴の作品がパタッと途絶えてしまうのは、戊辰戦争と廃仏毀釈のせいだったのだ。
戦乱に乗じたような「世直し一揆」が起きて、利平を庇護していた大庄屋松浦考右衛門の家も打ち壊しにあう。記録を読むと、どうもこの「世直し一揆」なるもの、地元の百姓だけでなく、外から入ってきた半分盗賊のような連中の手による強奪行為も相当あったようだ。ただでさえ、「官軍」を名乗る新政府軍と奥羽越同盟軍が入り乱れての戦乱で村村は滅茶苦茶にされた。人間のあさましさ、怖ろしさを目の当たりにした利平や寅吉の心中はいかばかりだったか。
ここまではかなり楽しく書き進めてきたのだが、ここから先は大変な作業になりそうだ。


なけなしの金を出して分厚い資料を買い求め、奮闘中……



資料編は漢文の世界なので、読むのも大変だ。







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