長久寺でかなり時間を取ってしまった。合流した吉田さんは3時から歯医者さんだとのことでここで一旦お別れ。
神宮寺の高久住職と一緒にすぐそばの宇迦神社へ。
ここは1999年の12月に訪れているのだが、それ以降、ずっと来ていない。20年も前のことなのか……。
そのときの写真を見ると、OlympusのC2000で撮っている。Exifを見ると、画像解像度は1024x768で79万画素弱。それでも今のデジカメとほとんど変わらないきれいな写真になっている↓。C2000がいかに優秀なカメラだったのかが分かる。
やっぱり画素数を増やせばいいというわけじゃないんだよなあ。
1999年12月19日 F2.2 1/50秒 Olympus C2000で撮影
閑話休題。
20年ぶりの宇迦神社だが、場所が分からなくなっていてずいぶん迷った。カーナビだと馬場の都々古別神社に連れて行かれてしまうのだ。
高久住職に案内してもらってようやく到着。
記憶だと、広い道沿いにある開けた感じの神社だったと思っていたが、まったく違った。神社は引っ込んだ場所にあり、途中で折れ曲がる長い参道の先。車を停めるのも苦労する場所。
この長い石段を忘れているなんて、20年前は元気だったということだなあ。
ここには野田平業の狛犬がいる。20年前には平業のことは知らなかったし、和平や寅吉のこともよく分かっていなかった。
その後、平業の狛犬は川内村や小野町でも見ることになるのだが、数多くある平業の狛犬の中でも、ここの狛犬がいちばん素晴らしい出来だと思う。
狛犬は健在だったが、阿像の尾の一部が破損していて、欠片が落ちていた。これはなんとしてでも保存して修復してほしいが、無住の神社なのでどうしようもない。

山門は正面に随身像↓、裏に仁王像がある。隙間から覗かないと見えない。仁王像は見逃してしまった。


長い石段を登っていくと、途中で左に曲がる。その曲がり角に砲弾の形の石碑↓がある。

「満州事変戦捷記念」という文字の「記念」以外の文字が埋められている。

砲弾石碑の角を折れてさらに続く石段の先に神社がある。

ようやく到着。記憶では、狛犬は広い境内の真ん中あたりにあったような気がするのだが、まったく違った。記憶というのはいい加減なものだ。

台座も立派↑ で、この台座は地元の石屋・藤田亀治が担当している。


で、この狛犬はとにかく吽像がいい↑
目が描かれていたときはこんな感じだったのだろうか↑

吽像は平業狛犬そのもの。この形の狛犬を平業は30対くらい彫っているが、その中でもこの宇迦神社の狛犬は特に出来がいい。

鬣も太くてダイナミック。力強い。

平業の狛犬で、吽像に角があるのはここだけではないだろうか。

尾も実にていねいに彫り込まれている。細かさよりもダイナミズムを重視した彫り。


建立は昭和2(1927)年 平業は「石工」とは刻まず、必ず「彫刻師」「彫刻」などと刻んでいる↓


今回、非常に残念だったのが、阿像の尾が欠けてしまっていたこと。

破片は落ちていたので、なくならないうちに保管しなければ。この程度ならくっつけるのは簡単だが、この破片がなくなると修復できなくなる。


境内脇には、古い灯籠が並ぶ。歴代棚倉藩主(松平康爵、小笠原長昌、小笠原長堯など)が奉納している。