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のぼみ~日記2019

2019/05/22

ホットスポットのその後


さて、市三郎の作品を確かめた後は、本日のもう一つの目的地、福島市の信夫山墓地へ。お袋が建てた墓に向かう。
あぶくま高原道路を小野ICで磐越道に乗り換えて郡山方向へ。小野ICを矢吹側から来て降りないというのは初めてだと思う。川内村時代はここで降りて、山越えして川内村の家に向かっていた。ここで降りない、というのが違和感というか、ちょっと感慨がある。
小野から郡山までの磐越道は、郡山に急いで向かうときに何度も通った。郡山ジャンクションあたりで急に線量が高くなるのだが、今もまだそうかな……。
……同じだった。線量は下がっているが、やはり同じ場所で数値が上がる。

郡山JCT付近に今もホットスポットは残っているのだと確認できた。



東北道に入るあたりで下がって……



なんでもない数値になるが……



二本松IC付近にもホットスポットあったよなあ……と思って線量計を見ていたら、やはり上がった。


信夫山墓地へ


目的地は信夫山墓地。ご先祖様・鐸木三郎兵衛(馬巌)の墓を横目で見て、お袋が建てた墓へ向かう。



墓地の草刈り。作業中、線量計はずっとピーピー鳴りっぱなしだった。やはり山の中はセシウムがきれいさっぱり流されるということはない。自然に減っていくのを待つしかない。

5歳の頃の記憶をたどる

せっかく福島まで来たし、今日はもう予定は入れてないので、子どもの頃の記憶をたどって散歩してみることにした。
福島市内に住んでいたのは小学校に上がる前まで。断片的にでも記憶があるのは3歳くらいからだろうか。両親が離婚して姓が変わり、その後、お袋が職場の同僚だという「おじさん」をときどき連れてくるようになって、その「おじさん」と結婚するといって東京に出て行くまでの数年間。
競馬場の裏門と阿武隈川に挟まれた場所にある長屋(トイレも風呂もなく、敷地内に共同の溜め込み式便所と2,3人しか入れない風呂小屋があった)に暮らしていた。
2歳10か月から1年間くらい、桜の聖母という修道院のシスターの元に音感教育を受けに通い、その後は、今はもうない「聖愛幼稚園」というキリスト教会に併設された幼稚園に一人で市電に乗って通っていた。
その幼稚園に一人で通っていたとき、スクーターにはねられて救急車で運ばれ、頭を何針か縫った。
近所の悪ガキ(みんな年上)との遊び場は競馬場の裏門前の天然の砂場か、阿武隈川の河川敷。競馬場の裏門の錠がかかっていないときがあると、そこからこっそり忍び込んで、塀によじ登って、監視塔に飛び移り、監視塔の中でいけない遊びをしていた。
お袋は近所の福島大学附属中学というところで養護教諭をしていて、あたしは記憶にある限り、すでに鍵っ子だった。
近所で遊んでいる子たちはみんな年上で、あたしはいいカモにされていた。そんなわけで、遊びが楽しかったことはなく、暗い想い出しかない。
イギリスの刑事ドラマみたいな、どよ~んとした陰湿なイメージ。

60年前のことだから、もう風景はすっかり変わっている。

この児童公園は60年前にもあった。1回10円で乗れる豆自動車(ゴーカートみたいなもの)が人気だったが、10円がなくて、滅多に乗れなかった。10円もらっても、近所の悪ガキに取り上げられて、年上の子たちが豆自動車に乗るのを羨ましく見ていたような気もする。


50円玉しか受け付けないのか? 結構ハードル高いな。



児童公園を抜けて、お袋と親父が働いていた附属中学まで歩いた。道の横にこんな変な土地が……



これも珍百景だな。細長い三角の土地。車1台なんとか停められるかなあ……。



附属中学のグラウンド↑ と、正門から中を見たところ↓



一旦児童公園のほうに戻り、子どものころに住んでいた家の辺りをめざす。そう、たしかこの道のこのあたりでスクーターにはねられて、病院に運ばれたのだった。



競馬場の裏手に来た。当時は塀も監視塔もこんなに高くなかった。この高さじゃ子どもが上れないね。



阿武隈川。こんなに河川敷が広くなかったと思う。この土手からすぐ下に降りられたような……。そこにはワイヤー1本を向こう岸に渡して、手でたぐりながら人を運ぶ渡し船があった。よく転覆しないなあと見ていた。



このテニスコート、まったく使われている気配がないねえ。もちろん60年前にはなかった。



市営住宅が並ぶ一角。おそらくこのへんに住んでいたんだと思う。


福島市小鳥の森


阿武隈川の向こう岸は鬱蒼とした山で、子どもの頃は「人外魔境」のように思えた。人の気配もないし、車が通っている音もしなかったように思う。
大人になって、たまに法事などの際に福島の町に来ることはあったが、阿武隈川の向こう側に入ったことはなかった。
地図で見ると「小鳥の森」という広大な森林公園になっているらしい。一度訪ねてみたいと思い、今回はいい機会だと思っていたので、行ってみた。
本当に広大な公園で、人はいないし、いい場所だった。
疲れていたので軽く駐車場から近い場所を一周しただけだったが、新しい墓があちこちにあるのが目立った。
公有地を切り売りしているのだろうか。

撮れたのは鴉だけ……。











モリアオがいてもおかしくないような池もある。



なんかレンズが蹴られているような……変だなあ……



ネイチャーセンターという建物経由の一周を歩いただけだが、かなりの運動になった。



放射線論争はもう疲れるのでしたくないが……


ぐるっと一周して駐車場まで戻ってきた。
この駐車場にはモニタリングポストがあって、放射線量を表示している。これは信夫山の上り口にもあった。
数値は大体0.1μSv/h台。もちろん何の問題もない数値だ。
しかし、今回のように線量計を携帯していると、そのポストから少し離れただけで0.3μSv/h以上表示する場所が普通にある。
駐車場にはもう誰もいなかったので、試しにモニタリングポストのそばと、少し離れた車を停めたあたり(目の前が林)を線量計を持ったまま行ったり来たりすると、モニタリングポストのそばだけ線量が低くなるのが分かった。
おそらく、そこだけ徹底的に土を入れ替えるなどして除染したのだろう。

……と、こんなことを書くと、たちまち「徹底的に除染しろ」とか「風評被害を煽るな」とか「だから福島で暮らすなんて無理なのだ」といった声が上がる。
そういうのはもういい。
線量そのものをめぐってワーワー騒いでも何にもならないし、騒ぐことによる害のほうが多い。
今回もさっそく、「ないものまであるという輩がいっぱいいてうんざり。それならなかったことになったほうが百倍いい」というコメントももらった。
「生活レベルで」……というか、多くの人の人生にとってはそうだろう。
ただ、そもそもなぜこんなことになったのかと考え、反省すべき人たちが、なんの責任も取らないどころか、開き直って別の金儲けを同じ手法で始めたり、原発輸出を国策にしているという事態を「見ないようにしましょう」とはならない。それは絶対に「なかったこと」にしてはいけない。
何度も書いてきたが、例えば食べ物に関しては、もうほとんど健康に問題を及ぼすようなものはないし、ごく少量の放射性物質を含んでいたとしても、体外に出てしまうから心配する必要はない。そのレベルでは「ないことにして」気にせず食べたほうがいい。実際「ない」のだし。
ワーワー騒いでストレスをためるほうが何百倍も癌になる危険要素になる。
一方、汚染がひどい土地の「除染」を無防備にやることで、放射性物質を呼吸器から吸い込み、肺などに付着させた場合のリスクは決して無視できない。そんなリスクを負うくらいなら、何もせずに自然に線量が下がっていくのを待ったほうがずっといい。

今回のように、汚染された土地(今住んでいる日光もそうだ)が今どれくらいまで線量が下がってきているのかを知ることは悪いはずもない。ああ、こういうことなんだな、と理解した上で暮らしていくだけのことだ。

でもまあ、多くの人にとっては、生活レベルでは「セシウムなんてもうない」「関係ない」と思って生きるのがいいのだろう。実際、この程度なら「気にしない」で暮らすほうがいい。他に嫌というほどストレス要因があるこの世の中で、これ以上、馬鹿者たちの無責任、倫理欠如のおかげで被った被害を考えながら暮らすのは身体に悪い。

しかし、選挙や裁判のときまで「なかったこと」にしてはいけない。しっかり責任を問わなければいけない。そんなのあたりまえじゃないか。
それだけは、何度でも言う。


モニタリングポストのそばにくると下がるが……↓



ポストから離れて、林に近づけば上がる……まあ、あたりまえなんだけどね。



さて、帰ろう。今日は歩いたなあ……と、ガラケー内蔵の万歩計を見たら、おお、1万歩以上示すのなんて何年ぶりだろう!
疲れた~。

帰りも「ヤスモッカ」ブランドになった福島松川PAで本日二食目。朝からラーメンだけだったので、鰺フライ単品を追加して二人でシェアした。

↑ご飯の量がすごかった

完食~
こうして平田村~福島~の旅は終了。充実した1日だったかな。


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