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のぼみ~日記 2020

2020/06/23

ゴロの命日


6月23日は「沖縄慰霊の日」で、毎年、テレビ(全国放送)では少しだけ関連映像が流れる。
この日はゴロの命日でもあり、朝起きてパソコンを立ち上げると、カレンダーソフトがそのことを告げる↑。

で、毎年この日には「ゴロちゃん○回目の命日定期便です」という題名のメールが届く。
いつからこの「定期便」が届くようになったのだろうと日記を遡って確認したら、どうやら2012年には届いていたようだ。
2013年の「定期便」には、
6月23日、3回目のゴロちゃんの命日ですね。
今夜もサッカー番組はコンフェデ杯で盛り上がっていますが、
ゴロちゃんのことを思い出しました。
「ああ、ゴロちゃんはワールドカップ南アフリカ大会の最中に月に帰ったのだな」と。
『Orca's Song -KAMURA3-』を聞きながらこのメールを書いています。
寝る前にハーブティーを飲みながらこのCDを通して聴くのが定番です。
……と書いてあった……と、2013年の日記に記されている。

このかたは2011年の上智でのコンサートにも来てくださっていたそうで、
上智大学でのコンサートは今も忘れられない素敵な思い出です。
人間の歌声はやはりライブで聴くのが最高です。
とも書いてくださっている

夫がいわき市の出身で、定年後はいわきに家を建てて移り住む予定だったそうだ。
それもあって、一足早く阿武隈生活を始めた私の日記は、遠い土地の生活ではなく、自分たちの近い将来への予習の意味もあって興味深く読んでいたとのこと。
それが原発爆発でひっくり返され、
(2015年)1月22日付けの「さらば タヌパック阿武隈」は、万感胸に迫るものがありました。 読んでいて胸が苦しくなり、時間をかけてゆっくりと何度も読みました。
ともあった。
その日記を、私も今読み返している。
僕もきよこさんの顔を見に奥に向かった。
原発が爆発したときも、助手さんはきよこさんの様子を見に行っていた。テレビで爆発シーンを見た僕は、恐怖で心臓がバクバクして、息苦しくなりながらこの坂を登って呼びに行った。きよこさんちの玄関を開け、「逃げるぞ!」と言った僕を、みんなは一瞬きょとんとした顔で見ていたっけ。

きよこさんはいつもと同じ場所(玄関を開けるとすぐに目の前)で炬燵に入っていた。
あんたらのようないい人たちが去って行くのは嫌だ、と言う。
「大丈夫。次にくる人はとてもいい人ですから。不在のままの僕らよりずっといいですよ」
と言ったが、笑顔はない。

みぞれ混じりの雨が強くなってきた。暗くなると帰り道が危ない。
「じゃあ、行くね。お元気でね」
別れを告げて雑木林と沢の間の道を下って戻る。
いよいよ見納めのタヌパック阿武隈。しょうかんさんが設計し、よりみち棟梁や愛ちゃんたちと一緒に建てた。
もう、ここを「うち」と呼べなくなってしまった。

7年間── 川内村で暮らした時間。
2004年、中越地震で越後の家を失って、年末にこの地にやってきて、それから2011年、原発が爆発して逃げて、1か月後にまた戻って、11月まで、全村避難のこの村で暮らしていた。
原発が爆発し、放射性物質をまき散らすまでは、ずっとここに暮らして、生きること、生き抜くこと、人との関係、自然との関係を考えながら歳を取り、一生を終えるつもりだった。
それが、たかだか(と敢えて言う)原発が爆発したというだけで、いろんなことがぐちゃぐちゃになり、バラバラになり、消えていく。
関守・じゅんこさん夫妻は北海道へ、しょうかん・愛ちゃん一家は岡山へ、みれっとのよーすけさん・けーこさん夫妻は長野へ、小塚さん夫妻、出戸さん夫妻は佐渡へ、佐藤こーちょーは三島へ、ブッチ・りくさん夫妻は山形へ、そして僕らは日光へ……今はもうみんな散り散りになってしまった。

「あれ」が起きてからもうすぐ4年。
今はもう、怒りとか絶望とかを超えて、なんだか淡々とした、それでいて割り切れないという、不思議な気持ち。

雪道を滑りながら車を出す。下のけんちゃんの家に寄って最後の挨拶。
「せっかく親しくなったのに、いなくなるのは嫌だねえ。また来たときは寄らっしぃ」
きよこさんと同じことをけんちゃんの母親・ふさこさんも言った。
毎日一緒に散歩したジョンもいない。ジョンは所沢で幸せに暮らしていると思う。
「お元気で」
ふさこさんに、きよこさんに言ったのと同じ言葉をかける。
精一杯の笑顔で言ったけれど、多分、もう会えない。
お互い分かっている。
「これ、お菓子です」
と、かみさんが菓子折を渡す。これが最後の菓子折。

言い尽くせない思いが頭の中を巡る。

阿武隈……50代になって「これだ」という思いがあった。阿武隈に呼ばれたのだと思った。阿武隈で余生を過ごし、死ぬのだと決めた。その「阿武隈」というキーワードが、どんどんフェイドアウトしていく。
悔しいというよりは、脱力……だろうか。あまりにいろんなことがあって、今はうまく言葉が紡げない。
2015年1月22日の日記より


日記を書いている本人よりずっと真剣に読んで、記憶してくださっているかたがいるということに、改めて驚く。

2018年のゴロ8回目の命日には、ヤマボウシの花をあしらったリースが送られてきて驚いた。
リースは去年も。そして今年は「10回目の節目の年」だとのことで、リースに加えて立派なゴロの肖像画?も一緒に送られてきた。
水彩画を https://plus-rabbit.com/ に特注し、代表自らが描いたとのスペシャル版。

↑2020年版のリース。制作者は「去年は『森』のイメージでしたから、今年は『風と雲』を感じられる作品にしたい」と意気込んで取り組んだとのこと。

↑「追悼ゴロ」の日記に掲載されている写真をすべて見て、このショットとヤマボウシの花を組み合わせたとのこと。

特注水彩画は何か月も前から予約枠がいっぱいになって、なかなか発注できないそうで、そんな中、
日記の「追悼ゴロ」の記事を読んでいただいた上で、
何点か候補に挙がった画像の中から最も相応しい物を選び、
何回もメールでやり取りしながら構図や背景やカラーバランスなど詰めていきました。
……とのこと。額装も専門業者に依頼して、UVカットアクリル板まで使っているのだそうで、もう、ビックリを通り越してしまった。
飼い主は「10年目の節目」なんてすっかり忘れているのに……お恥ずかしい。

「追悼ゴロ」という日記も、改めて読み返してみた。

↑こんなに小さかったんだねえ。
ゴロと出会った越後の家は10.23中越地震で跡形もなくなり、その後6年間を一緒に過ごした阿武隈の家は原発爆発で手放した。
ゴロが死んだのは10年よりずっと昔のことのような気もする。そのくらい、この10年はあっという間に過ぎて、いろんなことがありすぎた。

今年は日光の我が家でもヤマボウシが咲いた。いつもは咲かなかったのに、初めてかな。これも10年目の節目だから?
原発爆発の前に死んだゴロ、爆発の後に拾われたのぼみ~。あれから10年。あたしたちは無事に高齢者の仲間入り。

様々なことを思い起こさせてくれるゴロ。長生きしただけでなく、死んだ後もすごいウサギなのだった。

ゴロのような人生を目指して、人間としての命を、もう少し頑張りますかね。

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