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のぼみ~日記 2020

2020/07/02

「狛犬の父」上杉千郷 没後10年


上杉千郷さんといえば、一般的には神社界の重鎮として知られているが、僕ら狛犬ファンにとっては偉大なる狛犬界?の父的存在だ。
最近、『新・狛犬学』(仮)という本を書こうと思って準備を始めていたので、目の前には上杉さんの著作『狛犬事典』や『日本全国獅子・狛犬ものがたり』が置いてある。
『狛犬事典』を読み返しながら、すごいかただったなあと振り返っていたところ、狛研の阿由葉編集長から「上杉先生 没後10年記念 ~ 再び先生を偲ぶ」という特集ページをWEB上に作ったという報告が上がった。
なんというタイミング。
そして、上杉さんが亡くなってもう10年も経ったのかと、改めて驚いた。

有名神社にはなぜ狛犬がないのか

今でこそ、狛犬は神社にあるものという「常識」があるが、明治新政府が政権奪取するまでは、日本は神仏習合があたりまえの国だった。
神社と寺の境界は曖昧で、狛犬と仏像が同じ境内に置かれていることも珍しくはなかった。
ところが、明治新政府が発令した神仏分離をきっかけに起きた廃仏毀釈の嵐の中で、仏像などと一緒に狛犬も被害にあう例があちこちで起きた。
神仏分離令はそれまでの慣わしであった「神仏習合」の緩さを改め、天皇の神格化を神道を利用して進めようとしたものだった。明治政府は寺社打ち壊しや仏像などの破壊まで意図していなかったとされているが、これを受けて、各地で庶民による寺院、仏像、仏堂、仏塔、経典などの破壊、処分がヒステリックに行われていった。
庶民による破壊活動がここまで激化したのは、それまで徳川政権が寺請制度によって民衆を管理してきたため、特権階級のようになった仏教関係者が腐敗したことへの民衆の反発があったともいわれている。文字通り「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の図。

狛犬は今では「神社にあるもの」と認識されているから、廃仏毀釈には関係なさそうに思えるが、ルーツが中国獅子であり、仏像などと同列に見られたために「神聖なる神社にこのような獣の像があるとはけしからん」と、破壊、廃棄の対象になった例もあったのだろう。
長州とともに明治新政府の中心となった薩摩(鹿児島県)では、1066あった寺院すべてが廃寺とされ、僧侶2964人が還俗させられたという。
その鹿児島にあるいちき串木野市冠嶽では、道の両脇に仁王像と狛犬が置かれているが、市の教育委員会が設置した案内看板によれば、
この仁王像は、現在地と神社との中間に仁王門があり、そこにあったといわれている。明治初年の廃仏毀釈時に、この仁王像も壊され、やぶの中に捨てられていた。それを昭和34年に、土地の有志たちが復元し、現在の位置に建てたものである。 (略)この狛犬も廃仏毀釈時に、一部壊されているが、像形は、まだしっかりしている。

と説明されている

出雲大社や伊勢神宮には狛犬はいないが、それも「あれは神道の本筋とは違う俗世間のもの」という意識があるからだろう。
神社界にもそうした考えの人は少なくない。
しかし上杉さんはまったく違っていた。狛犬を何かのシンボルとみなしたり、学術研究の対象とするのではなく、ひたすら「愛して」いた。

阿由葉さんは狛研が上杉さんと一緒に伊勢旅行したときの録音を持っている。それを聴かせてもらったが、その中にちょうど「伊勢神宮にも狛犬はある」という話が出てきて、驚いた。
伊勢神宮の狛犬
実は伊勢神宮にも長暦3(1039)年の木彫り狛犬が倉庫の中に眠っています。極彩色で、いい狛犬です。ところが、これは門外不出で、どこにも出してありません。なぜ伊勢神宮に狛犬がないかといいますと、伊勢神宮というところは伝統を非常に……あの……(重んじる)。伝統のもの以外については極めて厳しい……そういう制度があるわけです(宝物として見るかどうかという考え方がとても厳しい)。例えば、とくさの(つるぎ)であるとか、いろいろ、そういう刀があります。それらの一分一厘、作者の由来と、世代番号を振っております。ということで、宝物ということになると、やはり……狛犬というものは……ちょっと、いらないという……そういう考え方じゃないかと思います。
(2008年6月8日 狛研メンバーを連れて伊勢神宮へ向かうバスの中で)

この狛犬のことは、上杉さんの著作にも出てこない。宝物殿の奥とかではなく、「倉庫」に眠っているというのも衝撃的だ。
結果、この狛犬のことを知っている人はほとんどいないし、ネット上を検索しまくっても、画像はおろか、存在のことに触れている文章もない。
わずかに『狛犬の歴史』(藤倉郁子・著、岩波出版サービスセンター、2000)の中に、『皇代記』の中に後朱雀天皇が伊勢神宮に獅子狛犬を奉献している記録がある、という記述があるくらいだ。

塙保己一の『群書類従』の中に収められた「皇代記」、後朱雀天皇の箇所。「長暦3(1039年)年5月19日」に「有伊勢奉幣有震茟宣明被奉金銀師子狛犬」とある。
奉幣(ほうへい)」とは天皇が神社・山陵などに幣帛(へいはく)(神前への供物)を奉献すること。「震茟(しんひつ)(筆)」は「宸翰(しんかん)」ともいい、天皇の直筆文書のこと。「宣明」は宣言して明らかにすること。つまり、天皇自身が直筆でこのことを明らかにしている、ということだろう。そこに「金銀の獅子・狛犬を奉献した」と書いている。
今まではこの記述くらいしか「伊勢神宮の狛犬」に触れたものはなかったが、神社界の重鎮であった上杉さんがはっきりとこの狛犬のことに言及していたのだ。
「極彩色で、いい狛犬です」と言っている。存在していたのだ。

狛犬愛が溢れ出る

これは私にとっては一大事件だったが、このときの音声録音には、上杉さんの深い狛犬愛があちこちに表れていて、聞いていて涙が出てしまう。

狛犬ファンの人たちに少しでも知ってほしいので、録音生音声から、いくつかを文字起こししてみた。

日本人の美意識
最初は「伎楽(ぎがく)」というものから(狛犬的なものが)入ってくる。唐の時代から。伎楽というのはどういうもんかというと、今、東大寺なんかに面があるんですが、動物のぬいぐるみみたいなものを着て、おどけた格好でやったらしいです。リアルな本物にちかい格好で。ところが日本人はそういうのについていけないんです。奈良時代が過ぎて平安時代になると、伎楽が滅びてしまう。神社でやらなくなる。そこで出てきたのが、雅楽、舞楽、さらに田楽ができて、能ができてくる。
能面というのはたった板1枚で喜怒哀楽全部を表すわけですよ。上を向くと「テラス」といって喜びを表す。うつむくと「クモラス」といって哀しみを表す。何の変哲もないあの1枚の板で喜怒哀楽すべてを表す。
そういうふうに、リアリティがすぎたものについては日本人はあんまり喜ばなくて、板1枚ですべてを表すという究極の方法が好まれる。これが日本人の能に対する考え方で、そういうものが、美に対する考え方、感じ方……日本人はそうした美意識を持っている。

反シンメトリーの美学
狛犬は「反シンメトリー」の日本人的感覚でできている。例えば華道では「(しん)」、「(そえ)」、「(ひかえ)」でしょ。(※骨組みとなる花材である「役枝(やくし)」に、「天地人」になぞらえた3つの役をもたせ、それらが上から見ると不等辺三角形になるように、手前から見ると奥に「真」がくるように配置するという基本作法)
茶道では古田織部はまん丸の茶碗をくにゃ~っとつぶして、そこで見えてくるものを自分たちの芸術心として、満足できるわけ。

神社の石垣も正中線……真ん中を避けているんですよ。正中のところに石の割れ目を持ってこないように石を組んでいる。

狛犬と一緒に育った
(神社の神官であった自分のところに、いろんな人が狛犬を持って来る)狛犬ってさみしがり屋でね。集まってくるんですよ、ほっとくと。
来たときはものすごい獰猛な、いや~な顔をしているのがいるでしょ。なんか気持ちの悪いのが来る。で、うちの子供なんか、見た途端に泣き出したりしてた。
ところがね、面白いもんですよ。毎日(その狛犬に)声かけてやるとね、だんだん和やかな顔になってくるんですよ。
それで、うちの子はなんかあると狛犬に話しかけるようになる。家内なんかも、狛犬がよう話聞いてくれると、話している。
(父が大の狛犬好きだったために、私は)生まれたときには家中に狛犬がいたもんだから、狛犬ってのは家族の一員というか、生活の中の1つの風景でもあるし、生活の一部であったわけです。
ですから、大学いったときに、なんか成績悪いし、家に帰りにくいというときは、小遣い銭で狛犬買って帰ったりすると、父はニコニコして、いつになくいい顔するんですよ。
父は歴史的に(狛犬を)調べようとかいうんじゃなくて、ただ狛犬が好きでね。神社に行ったら狛犬と向かい合ってね、話をしてるんですよ。心の中でね。私は今になってようやくそんな気持ちが分かるようになったんだけどね。

狛犬は話相手
初代のドイツの大使が、洗足池にある神社(千束八幡神社)にある狛犬と、難しい条約だのなんのかんので、どうにもこうにもならなくて苛立った気持ちで公邸に帰ってくると、千束神社に行って狛犬と話をして、気持ちを鎮めてもらったと、日誌に書いてますよ。
洗足池行ったら、狛犬がいますから、まあ、あのときどうだったのかと訊いてみてください。
ドイツ人だって心が通じるんですから、ましてや日本人が狛犬と話ができんことはないんですよ。
まあ、(神社の中で)鳥居と話をしても、これどうにもならんでしょ。石灯籠ともね。
神様とはね、本殿のほう向かって神様~っていっても、拝むことは拝めるけど、こっちの身になって話聞いてくれるかというと……それはやっぱり狛犬ですよ。
こっちが困ってるときは、「ちょっと元気出せ」って顔してくれるしね。

仏像とは違う
寺に行ってね、十二神将ですか、怖い顔したああいう人たちとね、そうそう気楽に話できないし、かといって、地蔵さんは……まあ、いいけど……菩薩さんたちと、気楽に友だちづきあいはできないもんね。狛犬だけですよ、気楽に友だちづきあいできるのは。
こっちの気持ちは見抜いてくれるし、秘密の話をしても漏らしてくれるわけでもないし、いいもんです。だから、狛犬と話をするっていうのは、人生を豊かにすることだなあ、と。
それで、調べれば調べるほど、狛犬っていうのは、造形的にも歴史的にも奥深いものだなあ、と。

狛犬は友達
ヨーロッパの人たちっていうのは、獅子とかそういうものをオールマイティなものという風に考えるけれども、日本人はそういうものを、オールマイティとして考えるんじゃなくて、友達として考える。そういうことがね、日本人としての、狛犬……霊獣に対する考え方だと思うんですよ。
恐ろしいとかなんかじゃなくて、友達として考える。
ところが、ヨーロッパのほうでは、超人的に、だんだんだんだんと、人間から離れたものとして、超人的な、力の強いものとして考えるようになる。
日本人ってのは、アジア人もそうだけど、霊獣感というのは、オールマイティだということは考えないで、ほんとにこう……同類という考え方。
だから、顔を人間の顔に作っているスフィンクスに対しては、日本人はあまり喜ばないですよ。
やはり、獅子は獅子の顔をし、犬は犬の顔をしていることに、自然というものを感じる。

まあ、狛犬と話をするっていうのは、いいもんですよ。
だから、狛犬は神社の前に置く霊獣というアクセサリーで、ないとなんか落ち着かないって考える人が多いけれども……そういう考えはそれでいいけれども、もう一歩踏み込んで、俺たちの願いをきいてくれるんじゃない、「相談する」っていう気持ちですかね。
願いをきいてくれっていうには、あの姿に対しては持ちにくいと思うし、それよりもちょっと相談してやろうっていう……。
よく、会社で嫌なことがあって、疲れて家に帰ってくると、犬が飛んできて飛びついて、顔にキスしてくるでしょ。ああいうときにね、「今日、会社で悔しかったんだぞ」って、思わず話しかけたくなりますよ。あれが狛犬に対する接し方だと思うんですよ。
だからね、狛犬好きな人には悪い人いないっていうんですよ。


この録音は講演会などではなく、2008年6月8日~9日に、狛研が上杉さんと一緒に伊勢ツアーをさせていただいたときに、歩きながらや移動のバスの中、夜の呑み会などで、ずっと狛犬の話が続いていたのを、同行した阿由葉編集長がデジカメに収めていたものだ。だから背景には神社の境内を歩くジャリジャリという足音や、バスの降車チャイムや、食器やグラスがぶつかる音などが入っている。
とにかく、ツアーの間中、一時も狛犬の話が止まることはなかったという。
また、上杉さんは無理矢理、狛研の「最高顧問」ということにされていたが、ご自分では「狛犬は研究するものではない。だから『狛犬研究会』ではなく、『狛犬同好会』にしましょう」と言い続けていた。録音の中でも「狛犬同好会(ヽヽヽ)のみなさん」とおっしゃっている。

仏像に関する書物に比べると、世の中に、狛犬に関する書物は数少ない。その数少ない書物の多くは、歴史的研究の類になっている。上杉さんの『狛犬事典』もそうした記述で埋まっている分厚い本なのだが、ご本人は「狛犬は研究するものではなくて楽しむもの」「狛犬は願いを叶えてくれるものではなく、相談相手になってくれる友達」という考えを全身で具現化しているような人だった。

狛犬はなぜそこまでの魅力を持っているのだろうか。その不思議さ、そして歴史に翻弄された狛犬史を紐解いていくことを「新」狛犬学のテーマにしたい。そんな気持ちで、目下ゆっくりと作業を進めているところだ。

大著届く


重たい段ボールが届いて驚いた。中から出てきた本を見て、さらに驚いた。
『狛犬事典』を読み返していて、本多静雄さんという狛犬研究者のことが気になった。陶磁器製の狛犬を収集していた人、というくらいの認識しかなかったのだが、改めて著作が手に入らないかと捜していたら、一か所だけ、他の古書店よりはるかに安い値段をつけている店があったので、さっそく注文した。
古い本だし、「染みあり」とあったので、ボロボロのものが届くのかなと思っていたら、とんでもなかった。重くて簡単には持ち上げられないほどの立派な本だ。

27cm×34cm×5cm(厚み) 2kgの量りでは振り切れてしまうので、重量はよく分からない。そのくらい重い。


ケースも布張りの立派なもので、空のケースだけで500gもある。



驚いたのは、カラー写真が大量に収められていたこと。




定価32000円。なるほど、この内容ならその価格は納得だ。古書店によっては、ほぼこのくらいの価格で売られている。

それをこの価格で入手できたのだから、なんという幸運か。
陶磁器狛犬のモノクロ写真が点在している本かと思ったのだが、とんでもなかった。狛犬の起源などについても、ものすごく詳しく解説している。
改めてこの人のことを調べてみると ……ということが分かった。
明治31(1898)年生まれということは、野田平業と同い年。小林和平や岡部市三郎と同時代の人!
福島の石工と財界のエリートでは棲む世界が違っていただろうから、接点はないだろう。でも、同じ時代の空気を吸い、同じように狛犬というものに関わっていたのだなあと思うと、いろいろ考えてしまう。
この本ができた昭和51(1976)年には本多氏は78歳。私は大学生で、毎日、女の子を追いかけたり、ギターをかき鳴らして歌っていたりした。
その後、自分が狛犬に興味を持ち、狛犬の本まで書くなんて、まったく思いもしなかった。

本多氏は政財界から学術関係まで広い人脈を持っていたし、財力もあった。こういう人がこういう文化的な仕事を残している時代って、正しい姿だろうな。
今は簡単に金を横に動かして(しかもデジタルで)、いくら儲かったとかやっているだけの人が増えた。文化は痩せ細り、消えていくばかり。
金がないと、文化は育たないだけでなく、壊されていく。
日本は本当に貧しい国になってしまった。
せめて、金がなくても、庶民の間に豊かな精神文化が育まれる国であってほしい。

日本中、雨で困っているというのに、我が家からは満月がしっかり見えている。


小説・神の鑿 ─高遠石工・小松利平の生涯─

「神の鑿」石工三代記の祖・小松利平の生涯を小説化。江戸末期~明治にかけての激動期を、石工や百姓たち「庶民」はどう生き抜いたのか? 守屋貞治、渋谷藤兵衛、藤森吉弥ら、実在の高遠石工や、修那羅大天武こと望月留次郎、白河藩最後の藩主で江戸老中だった阿部正外らも登場。いわゆる「司馬史観」「明治礼賛」に対する「庶民の目から見た反論」としての試みも。

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