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のぼみ~日記 2021

2021/02/19

コロナという教師

#わきまえない女  というハッシュタグがSNSを賑わせた「森喜朗事件 2021バージョン」。その後も「後任の乱」だの「おじいちゃんたちの中二病」だの「男が多い会議が長引いて後任がなかなか決まらない」だのと、大喜利状態になった。
今回はたまたま女性蔑視発言が引き金になったが、実際はそれも含めた「森喜朗的なもの」すべてにNOをつきつけたのだ。
今まで職場や家庭などで、この手の「分かってない連中」に辟易しながらも、諦めたり我慢したりしてきた鬱憤が、ここに来て一気に吹き出した、という図だろう。
しかし、忘れてはいけない。これは町内会や村のお祭りレベルの話ではなく、国の命運がかかっている話だということを。

大衆扇動ツールとしてのオリンピック

森喜朗のおかげで、「そもそもオリンピックってなんだったんだろう」という根本的な歴史問題を学び直すことができた。
クーベルタンは、生涯を通じて、女性の汗によってオリンピックを「汚す」べきではないと信じ、女子選手をあからさまに排除した。
男性至上イデオロギーが支配したオリンピックの「黒歴史」 東京五輪で「男女平等」は実現するか? 森田 浩之 2017/07/18 gendai.ismedia)

クーベルタンがゴリゴリの男女差別主義者だったということは、今はあちこちで読むことができるが、そういうことを学校では決して教えてくれなかった。

聖火リレーを巡っても、島根県知事が5月に地元で予定されている聖火リレー中止の検討を表明したことが話題になっているが、その背景までしっかり伝えているメディアは少ない。
島根県は、東京都などが新型コロナ感染者の濃厚接触者や感染経路を調べる「積極的疫学調査」を縮小していることを問題視し、以前から厚労省に対して全国調査の結果や情報提供などを求めてきた。ところが厚労省は「ゼロ回答」のまま。10日の会見でも、丸山知事は「状況について何も情報が得られていない。ゼロ回答です。何もしていないということではないでしょうか。この話をどうでもいいと思っている政府は危機的」などと怒りをあらわにしていた。
「丸山知事は政府や東京都の小池知事に対しても臆することなく、正々堂々と正論を主張する。非常にマトモな知事といった印象です。政府や都は『唐突に何を言うのか』みたいな受け止めですが、島根県が厚労省に疫学調査に関する情報提供を要請していたことすら知らない。つまり、放置していたわけです。これでは政府や都に不信感を抱くのも当然です。」(横田一)(丸山島根知事「五輪開催するべきではない」はマトモな正論 日刊ゲンダイDigital 2019/02/19)

メディアはちゃんとこうした背景まで伝えないといけない。

聖火リレーは1936年のベルリン五輪から始まっている。この大会はヒトラーが国威発揚、アーリア人種の優越性をアピールするために最大限利用した大会として知られる
この大会の運営をヒトラーから任されたのは、ドイツオリンピック組織委員会のなかで力を持っていたアーリア人のカール・ディーム。
彼は「オリンピック発祥の地であるギリシャのオリンピアで採火した聖火を、リレー形式で7カ国を縦断して、開会式当日にベルリンのメーンスタジアムまで運ぶ」という2つの異なる宗教儀式を巧妙に組み合わせて演出した。(オリンピックの聖火リレーはヒトラーが始めた!

今回、東京五輪の聖火リレーが福島から始まることも、「原発爆発はもう過去のことだ」としたい政府の政治利用といえるのではないか。聖火リレーの始まりと重ね合わせると、よりリアルに意味合いが浮かび上がる。

この視点で舌鋒鋭く問題を指摘している鵜飼 哲(一橋大学名誉教授)はこう述べている。
これほどの無理を重ねてこの大会が招致されたのはなぜでしょうか? 福島原発事故を過去の出来事として内外に印象づけることが、その目的のひとつであることは疑う余地がありません。政治・経済・メディアを支配する巨大な力に抗して組織的な欺瞞を見抜くこと。原発事故の直後、多くの人がその必要を痛感したはずです。その認識が民衆のあいだに根づくことを阻むために、オリンピックというもうひとつの組織的欺瞞が計画されたのではないでしょうか。私たちは原発事故の衝撃という原点に幾度でも立ち返り、「もう騙されない」という誓いを新たにしなければなりません。さもなければ「復興五輪」が実は「改憲五輪」にほかならなかったことを、まもなく思い知らされることになるでしょう。(無理を承知で強行される東京五輪の目的とは? 『世界』2020年2月号 執筆者からのメッセージ
↑東京女学館はじめ、複数の私立学校で入試の国語長文読解に採用されました。これは私の「遺言」です。Amazonで購入で購入は⇒こちら

東京都が発表した経済波及効果32兆円という赤っ恥

東京五輪2020の持つもう一つの意味は「金儲け」だ。
招致した東京都は、2017年3月に「東京2020大会開催に伴う経済波及効果を試算しました 全国で約32兆円」と、とんでもない「試算」を誇らしげに発表した。今もWEB上に残っているのでぜひ見ておこう。
「レガシー効果」として12兆2397億円。そのうち「新規恒久施設・選手村の後利用、大会関連交通インフラ整備、バリアフリー対策、水素社会の実現等」で2兆2572億円。観光需要の拡大、国際ビジネス拠点の形成、中小企業の振興、ITS・ロボット産業の拡大等で9兆1666億円、スポーツ実施者・観戦者の増加、障害者スポーツの振興、ボランティア活動者の増加、文化イベント観客の増加、外国人留学生の増加等で8159億円……だそうだ。
兆という単位をバナナの叩き売りみたいにポンポン口にして、頭大丈夫か? と本気で心配してしまう。
「水素社会の実現」だとさ。
水素をエネルギーにするというシステムは、とてつもない迂回路、貴重な資源の浪費であって、地下資源があるうちはいくらでも使いまくりましょうという大規模詐欺なのだが、これを書いた人たちはそれを理解した上で、こうも厚顔無恥なことを書き散らし、今もWEB上に公開し続けているのだろうか?

金をたくさん使う社会が「豊かで幸せな社会」であると勘違いした人たちに社会システムの構築・運営を任せておくと、現代社会の破滅時期はどんどん早まる

近藤隆夫氏が山口香JOC理事にインタビューした記事を読んで、山口氏の見識の高さに感心させられた。
今回、『IOCが中止を発表するか、東京が返上するか、それによって違約金の問題が生じるからチキンレースだ』みたいに言われていますよね。でも本当のところは私も知りません。なぜならば、IOCと東京都が、どのような契約を結んでいるかがオープンにされていないからです。こんな状況下では開催できないと東京が返上した時に、どれだけの違約金を支払うのかは契約時に決まっているはずです。それを国民にオープンにするべきではないでしょうか。
それが開示されたならば国民の判断材料になります。コロナ対策費と比べてどうなのか、五輪を開催すべきかやめるべきなのかを、お金=税金の観点からも考えることができます。なのに、この部分が国民に知らされていないのはおかしい。

メディアは、もはや東京五輪が日本にとって大変な「お荷物」であることを率直に認め、これ以上の損害・損失を極力出さずに後始末するかという問題にどう取り組むか、という視点をしっかり提示する必要がある。
五輪組織委に残された仕事は、そういう「後始末」である。
森に代わって組織委員会の会長になった橋本聖子はそういう仕事に適している人材なのか?
そもそも、橋本は「五輪担当大臣」だったわけで、それを辞めて組織委会長にならなければならないというのは、五輪担当大臣というのはどういう役割だったのか?
組織委会長は組織委理事の中から選出されることになっている。今回、橋本と入れ替わって五輪担当大臣になった丸川珠代は組織委の理事だった。理事なのだから、丸川が会長になるというならまだ分かる。しかし、丸川は理事ではなく五輪担当大臣になり、理事ではない橋本が五輪担当大臣を辞めて組織委会長になるというのは、五輪担当大臣はただのお飾りだと言っているようなものではないのか。

いずれにせよ、五輪組織委と東京都は、今まで惚け老人たちが散々食い散らかしてきた残飯処理をしなければならない。中止にしても無観客開催(国内の感染者増の危険性を伴う)にしても、「よかったね」とは言われない。非難を浴び続けながらも、なんとか損害を少しでも減らせるようにという強い意志と献身的精神を持ち続けて仕事をしていかなければならない。

では、今から何ができるのか?

森喜朗は女性蔑視発言がきっかけで東京五輪組織委員会会長を辞任したが、これを性差別問題だけに矮小化して終わらせてしまうのは「もったいない」。

山口香JOC理事は、前述のインタビューの中でこうも述べている。
こんな状況だからこそ、アスリートたちには考えてもらいたいんです。自分にとって五輪とは何なのか、スポーツとは何なのかを。もともとは好きで自分のためにスポーツをやってきたわけですよね。その頂点を目指すのであれば、世界選手権もあります。では、自分にとって五輪とは何なのか。五輪に出られる出られないではなく、もう少し深い部分まで考えて、答えを持ってほしいと思います。

これは、アスリート以外の我々にもいえることだ。
我々庶民は、オリンピックに何を望んでいたのか、何を求めていたのか。それが無理だと分かった今、東京五輪というお荷物(敢えて何度でもいう)とどう向き合うべきなのか。

1964年の東京五輪でいちばん感動的だったのは閉会式である。
入場行進が始まった途端に、各国の選手が入り乱れ、踊りながら、抱き合いながら、全員が満面の笑顔で国立競技場になだれ込んできた。
これがオリンピックなんだ、と、誰もが感動した。
あの光景がまた見られるなら、冥土の土産にもなる。私の年代以上の人間の多くはそう思ったのではないだろうか。
しかし、その国立競技場は取り壊され、あの聖火台も消えてしまった。
代わりに作られた競技場の客席は、人がまばらでも気にならないようにと、椅子がわざとランダムに色づけされている。なんという皮肉!

日本の社会に根強くはびこる森喜朗的な空気と価値観。それがいかに大きな国難であるかを見つめずにここまで来てしまった我々は、高い授業料を払って学び取り、やり直すことができるのか? それが問われている。

今朝、起きる前に蒲団の中で頭の中を巡っていたもの:
……そんなことをつらつらと考えながらウトウトしているところで、のぼるくんに顔をペタっとされて目が醒めた。

コロナは本当にいろんなことを考えさせる教師だ。
日本は東京五輪招致という間違いやその後のドロドロした流れをどのように反省し、後始末をしていけるのか。
後の歴史に「あのとき、日本が毅然とした態度で間違いを正す方向に舵を切ったことで、再びオリンピックは理想像を取り戻すことができた」と記されることがいちばんいいのだが、そうはなりそうもない。
せめてこれ以上「被害」を膨らませないようにはしてほしい。


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コロナが教えた「新しい生き方」のヒントがここに?

カエルやらカタカムナやら…… 森水学園第三分校

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