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のぼみ~日記 2021

2021/06/17

大田原方面へ(9)温泉神社(大田原市佐良土)


次はすぐそばの温泉神社。
ここの神社の狛犬はGoogleマップの写真で見る限り、野田平業ではないかと思えたのでチェックしたい。

平業は実に多作な石工で、私が把握しているだけでもざっとこれだけの狛犬を彫っている。

野田平業 作品リスト 明治31(1898)年10月6日~昭和56(1981)年10月23日(83歳) ……実に40対を超えている。
生涯の間にこれだけの数の狛犬を彫れる石工は他にいないだろう。技術がどうのという以前に、これほどの数の受注があったことが不思議でならない。
平業は自己顕示欲の強い人で、多くの狛犬には「彫刻師 野田平業」という銘を入れているが、台座には請け負った石屋の棟梁の名前が彫られることが多いので、台座の石工名があてにならない。
宇迦神社の狛犬がよい例で、台座には大きく石屋の棟梁の名前が彫られており、平業の名は狛犬のすぐ下の平たい台石脇に小さく彫り込まれている。
若い頃のいくつかを除き、すべて同じ顔なので、パッと見ただけで「あ、平業かな?」と分かる作風。
この温泉神社の狛犬もまさしくそれだった。
しかし、石工名はどこにも見あたらなかった。
昭和19(1944)年4月とあるので、平業であれば、上のリストにあてはめると、

八幡神社(棚倉町逆川) 昭和17(1942)年7月7日
と、
御霊神社(棚倉町下手沢) 昭和26(1951)年9月9日

の間に入る。
太平洋戦争開戦後、戦時中に彫られた狛犬としては最後のものであり、終戦後は昭和26(1951)年9月に「講和記念」と彫られた狛犬まで6年空いている。
戦時中最後の作と推定されるので、平業の狛犬人生にとって、かなり意味のある作ではないだろうか。


こんな感じの神社。道路のすぐ脇に位置していて、クルマも停めやすい。



石段を登ると正面にど~んといた。



台座の感じも含めて、一目で「平業かな」と思う佇まい。







これはもう完全に平業だろう。顔を見て確信した。



鬣などを深く細かく彫り込んでいるのも平業の作風。間違いないだろう。



吽像には子獅子がいる。



吽像の尾。



阿像の尾。



阿像は籠彫りの玉を持っていたが、籠彫りが壊れてしまっている。



「大東亜戦争戦勝祈願 霊忠 昭和十九年四月二十九日」 とある。

吽像の台座は「報国」。

「○○戦」「○○事変」「戦捷」「戦勝」などはよく見るのだが、「戦争」という文字を初めて見たかもしれない。現代人にはインパクトがある。



奉納者の名前はズラッとあるのだが、石工名は見つからなかった。時期的に、平業としては名前を入れるのをためらったのかもしれない。



平業の作品リストに加えてもいいだろう。
お孫さんの話では、平業は終戦後はほとんど仕事を請けなくなって、数作しか彫っていないという。やはり戦争を見てきたことで気持ちに大きな変化が訪れたのだろう。
戦時中最後に請けた仕事がこれで、台座には「戦争戦勝祈願」と彫られている、というあたりに、狛犬史としても貴重な資料となる作品だと思える。

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