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のぼみ~日記 2021

2021/12/05

川越氷川神社境内社(2)


さて、狛犬はしっかり撮れたので、人混みをかき分けながら境内をざっと見て回ることにする。

まずは境内社の八坂神社の社殿。
一見すると目立たない存在だが、これは江戸城二の丸東照宮が江戸城の東照宮が紅葉山東照宮に合祀された後、解体され、明暦2(1656)年に川越城内の三芳野神社の外宮として縮小して移築、さらに明治5(1872)年にここ氷川神社内の八坂神社社殿として移築になったと言われている。
内陣の格天井(ごうてんじょう)の板絵や枡組に造営当初の面影が残っているというのだが、そこまでは見られない。



外から一部が見えるだけ。



その脇には絵馬のトンネルがある。夏にはこれにつなげて風鈴回廊というのが作られ、参拝客が願いを書いた短冊が吊される。



絵馬トンネルを抜けると八坂神社の反対側、左回りに戻ると小さな末社が並んでいる。



鯛釣り。若い女性たちが興じていた。他にも「縁結び玉」とか「であいこい守り」とか、いろいろあって、商売繁盛。



こんなのもある。鼻先を神前に向けた犬の頭に見えるから戌岩というらしい。あ、そういう風に見るのか。



大鳥居入って右側にある護国神社。西南戦争以降の川越出身の戦没者を慰霊する神社。狛犬はちょっと中国獅子っぽい。



境内の外れ(裏口?)にはこんなものもあった。
鈴木聞多(1913─1939)は陸上短距離選手。川越中学から慶應大学に進み、1936年ベルリンオリンピックに日本代表として出場。100mを10秒7で2次予選4着で予選落ち。400mリレーでは第1走者「暁の超特急」吉岡隆徳からバトンを受けるもバトンミスにより失格した。
卒業後は大日本帝国陸軍に志願兵として入隊し、1939年7月10日、河南省の黄河北岸で戦死した。まだ26歳だった。
オリンピック選手の戦死は戦意高揚に結びつけられ、川島町にある鈴木の墓は当時の荒木貞夫陸軍大臣によって揮毫されたという(以上、Wikiより)。
この顕彰碑はかなり新しそうだが、ついには「命(みこと)」になっている。

2019年8月にNHKスペシャル「戦争と“幻のオリンピック” アスリート 知られざる闘い」が放送されたが、そこでも大きく取り上げられていた。番組チーフプロデューサーの大鐘良一氏が書いた「26歳で逝った五輪選手を戦争に駆り立てたもの 1940年「幻の東京大会」五輪は一体誰のものか」というコラムが⇒ここで読める。
多くのアスリートが、ガダルカナル、フィリピン、硫黄島、インパール、沖縄、次々と激戦地へ送られ、命を落としていったのだ。スポーツばかりか命までも奪われたオリンピック選手は、私たちが調べただけでも37人に上る。彼らは最後には命を落とす戦場で、どんな思いを抱いていたのだろうか。
というテーマで番組作りをしたという。
このコラムにはベルリン五輪400mリレーでの鈴木選手のバトンミスについて詳しく書かれている。
100mの2次予選で、メダルが有力視されていた吉岡が目の前で敗れるのを見て緊張し、自分の番では得意のスタートに失敗して同タイム写真判定の4位で予選敗退。
200mを辞退してメダルの可能性が高い400mリレーに臨んだが、バトンリレーでスタートを早まってしまい、第1走者吉岡からのバトンを受け取れずにオーバーゾーンで失格。
……ここまで読んで、あれ? と思った。大鐘氏がこのコラムを書いたのは2020年7月で、東京五輪は延期が決まり、開催できるかどうかも分からない状況だった。
その後、五輪は2021年に無観客という異常な状態で強行されたわけだが、そこでの陸上男子400mリレー予選とまったく同じではないか。
ロケットスタートの第1走者多田からのバトンを、第2走者山縣はほんの少しスタートを早く切りすぎて受け取れずオーバーゾーンで失格してしまった。1936年のベルリン五輪の400mリレーの再現となってしまったわけだ。

ただ、「その後」がまったく違う。
鈴木は「何を以てお詫び致すべきかその術さへ知らざるものであります」と大変な責任を感じて、次の自国開催五輪に向けて猛練習する。しかし、その五輪は返上され、失敗を取り返すチャンスが消えてしまった。
悩み抜いた末に聞多が出した答え、それはスパイクを軍刀に替え、祖国日本のために戦場で戦うことだった。慶大を卒業して入社した実業団の強豪・日立製作所に辞表を提出し、陸軍への入隊を志願した。(同コラム)

中国へ出陣する五輪選手を、新聞は「苦しさを知らぬ快速隊長の鈴木」「部隊の至宝」「我が陸上界の名スプリンター」(1939年4月28日付朝日新聞)と宣伝し、国民の戦意高揚に利用する。
戦場に着くと、俊足を買われて毛沢東率いる共産党軍が仕掛けるゲリラ戦の最前線で常に先陣を切らされた。
戦場から家族へあてた50通以上の手紙には、追い込まれてどんどん心を病んでいく様子が窺える。
「帰ってくると体は土で作った人形のようになります。(中略)一寸怪しい人間は引っ張ってきて殺します。可愛そうですがこれもやむをえません」「だんだん我の行動も面白くなってきました」
そして1939年7月10日、豪雨の中、15人の突撃隊の先陣を切って斬り込んでいった聞多は手榴弾に当たって死んだ。
新聞報道は聞多戦死の報を大きく扱い、「さすが五輪の花形」「壮烈鬼神の散華」「弾丸より速い突撃」と、派手な見出しを掲げた。オリンピアンの名声は、その死も戦意高揚に利用されたのである。(同コラム)


今年強行された東京五輪はどうだったか。
バトンが渡らなかった選手を責める人はいなかったし、選手も責任を感じておかしくなるようなことはなかったかもしれない。その点では、本当にいい時代になったと思う。
しかし、そもそもこんな状況で自分が競技に出ていいのだろうかと悩み、心身のバランスを崩して力を発揮できなかった選手はいた。選手たちの努力や情熱を政治利用、商業利用することだけに集中する者たちの醜い姿や無責任ぶりは目に余った。
なぜこんなひどいことが許されるのかと、理不尽な思いや持っていき場のない怒りで、今もストレスは溜まり続ける一方だ。
歴史を、特に近現代史を学び直すことは、すべての現代人にとって必須なのだと痛感する。つい数十年前のことを、我々はあまりにも知らないまま、知らされないまま大人になってしまった。
理不尽な死を遂げた多くの先人たちに思いをはせ、学ぶことを忘れてはいけない。

           


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