2022/02/13
AIが決める未来
「そして私も石になった」は、その後もなんだかんだで続けてる。21まで来た。終わらせ方が大変だ。
それにしても、こういう時代になって、売れなかった人生は幸運だったのかもしれないと思っている。酸っぱい葡萄ではなく、本当に。
もう、「世間」と関わるのが煩わしいし、疲れるのだ。
「そして私も石になった」20回目では、Nという生物がこんなことを語っている↓
人間はAIの概念をすでに50年くらい前から持っていた。しかし、当初はコンピュータ自身に学習をさせるとか提案をさせるという作業に、命令を入力する人間が介在していたから、まだまだ人工知能というまではいかなかった。
湾岸戦争では戦闘計画に原初的なAIが使われ、戦費のコストパフォーマンスが大幅に上がったけれど、それはまだ人間が「いかに効率的な戦争を行うか」という命題をAIに与え、答えを出させているという点で「高性能なコンピュータ」の粋を出ていない。
チェスや将棋の名人をAIが負かすなんていう段階も、まだまだだ。
AIが本当の意味での「知能」になっていくには、コンピュータがコンピュータに指令を出すような仕組みができなければならない。これがなかなか大変なんだが、ここ10年で急速な進化を遂げた。
その結果、コンピュータが出す答えが人間が当初想定していたものを超えてきて、人間がコンピュータに教えられるという場面がどんどん出てきた。
例えば、Aという目的を達成するための最も効率のよい手段Bは何か、とAIに問うたら、「何もしないこと」という答えが出てきたりする。
さらには「そもそもなぜAという目的を設定するのか? その発想がそもそも効率的ではない」などと指摘されたりするようになる。
(略)
例えば、「この面倒な汚れ作業をするロボットを開発したいが、どんなロボットが作れるか?」とAIに訊くと、「その作業なら、ロボットにやらせるよりも、ロボット化した人間にやらせたほうが効率的だ」なんて答えを出してくる。
「多くの人が感動する素晴らしい娯楽作品を作るにはどうすればいいか?」と訊くと、「娯楽作品の素晴らしさ、質の高さは定義できるものではないし、そういうものを作ったとしても多くの人が感動するわけではない。それよりも、ある種の傾向の娯楽作品を喜ぶ人間が増えるような環境を作って、人間の趣味趣向を管理したほうが効率的だ」といった答えを出してくる。
量子論と死生観?
この次の
21回目では、用治さんがこんなことを言っている↓。
俺たちの先祖は、山や樹木や石に神が宿っているというような、自然信仰的世界観を持っていた。そうした深く、静謐な精神性は時代とともに薄れていったけれど、今でも残っている。
神社の祭神が山そのものだったり、キツネが神の使いだとか、巨石にしめ縄をつけて祈りを捧げたり……そんな形でね。
俺はそんな世界観に包まれて死んでいきたいと思っている。若い頃からずっとそうだった。
この山村にたどり着き、この廃校に棲みついたのも、ギスギスした都市の文化から離れて、自然の中で静かに暮らしていくのが自分の生理に合っていたからだ。
気がつくと、数十年の時間が過ぎていて、いつ死んでもおかしくない歳になっていた。
俺が見ているこの物理世界は「世界」のすべてじゃない。それを含むもっと多元的な世界があるんじゃないかと想像することで、俺はすでに一種の自己暗示をかけて死ぬ準備をしていた。死への恐怖を和らげるために。
量子の話に興味を持ったのも、その漠然としたイメージが、あながちただの妄想ではないんじゃないか、というヒントのように思えたからだ。
2022/01/14
なんとか完結?
バレンタインデーとかは関係なく、「そして私も石になった」を終わらせた。
これ以上引きずると身体によくなさそうだから。
まあ、いろんな思いや思惑を込めて書いてきたわけだけど、10年以上前に書いた
『人類を養殖している生物がいる』の焼き直しみたいなところがあるし、用治さんと今の自分が重なりすぎて、書き終わってからの脱力感、徒労感、疲労感、無力感、虚無感がかなりある。
ほんとに「世界」の動き、周囲の人々の動きが……なあ……。
かなりのエネルギーを費やしたので(歳取ると少し頭を使っただけですぐに睡くなり、横になる)、あちこちに置いておこう。
★完結編最後まで読めるのは
森水学園で⇒こちら
★noteが読みやすいという人は
⇒こちら
★ブログにも久々に追加しておいた
⇒こちら
森水学園以外は、最後の最後の部分は載せてなくて、森水学園の元ページへのリンクを張ってある。たまたまアクセスしたページが最後で、いきなり結末?を読んでしまうかもしれないから。
まあ、大したラストではないじゃないか、と言われるかもしれないけど。
(そんなに卑屈になるな>自分)
なんかとってもちかれたび~。
今の世の中って、作り物のドラマや映画、小説のほうが、現在進行形の現実世界よりずっとチンケで小さくまとまっている感じだよね。
事実は小説よりも奇なり、なんていう言葉では表せないほど、現実のほうがずっと想像力をかき立ててくるし、予測できない。
え? おまえが面白いものを書けなくなっているだけだろう、って? そうかもね~
(そんなに卑屈になるな>自分)
まあ、なるようになる。自分が生きているうちはそれを観ているしかないし、なるべく長く見ていたいとも思う。
せめて↓こんなニュースとか見て、ナチュラルキラー細胞増やすようつとめましょうかね。