2022/04/30
続・続「森トンカツ」考
そういえば、誕生日だった一昨日、知らない女性の名前が書かれた封書が届いた。
知らない人からの封書というのは、ファンレター的なものと脅迫めいたものに大別される。ちょっと身構えながら開くことになる。
内容はまったく予想外のものだった。
著作のことでも音楽のことでも狛犬のことでもなかった。
「森トンカツ」の呪縛から逃れられないでいる、という。
彼女(私より3歳年下)は9歳のとき、算数の授業中に「森トンカツ」を作った。休み時間に友達と歌って笑っていた。それだけのことだったのに、その後、「森トンカツ」が全国的なヒットになっていることを知って驚いた。でも、「あれは私が作ったんだよ」と言っても、信じてもらえない。そのトラウマを何十年も抱えて生きてきた、というお話。
つまりこれ、
私が経験したことと寸分たがわず同じなのだった。
彼女は、長いこと「森トンカツ」の話題は腹が立つので耳を塞いでいたのだが、数十年経って、もうどうでもいいやという気持ちになってきて、面白半分にネットで検索したら、
私が書いた文章を見つけたのだという。
私が抱いていた感情が文章化されたみたいで驚きました。
証拠がない 友達が覚えているか テレビ局取材 バカバカしい……僭越ながら同じような気持ちです。
とのこと。
そうなのよね。
「森トンカツ」を最初に誰が作ったか、なんて、どうでもいいことなのだ。
なんか「アンパンマンの顔でチョコレートパンを最初に作ったのは私だ」と言っているようなものだわね。
この女性は「同時期にこんなにもピッタリの替え歌ができるものなのか」と驚いた、と書いていたが、そういうものなのかもしれない。
手紙には、「森トンカツ」を作ったきっかけは、友達に「お手々つないで」の替え歌を教えてもらったことだったとあった。
お手ぇてんぷら つぅないでこちん のーみーちーを ゆーけーばりかん……
と、そういうのだったそうだ。
これはまったく知らないし聞いたこともないが、結局小学生くらいの子どもは、そういうしょーもない言葉遊びやリズム遊びみたいなものを楽しむようにできているのだろう。
ジャンケンして、チョキで勝てば「ち・よ・こ・れ・い・と」と言いながら階段を上るとか、そういう類のものが全国にあって、地域によってバリエーションもあるといった現象のひとつが「森トンカツ」だと考えればスッキリする。
子どもは、大人の理解を超えた共通テレパシー的なものでつながっているのかもしれない。
この日記を書くにあたって、改めて、この女性が読んだのであろう
コラムと
その続編を読み返してみた。
特に
「続・森トンカツ」のほうは、最後に寂しい「追記」があって、虚しさを覚える。
まあしかし、ここにも書いたように、
『森トンカツ』は、作者(?)不詳のまま、昭和の風俗史に小さく記録されているままでよいのだ。さらば『森トンカツ』。
ただ、やはり、「証明ができない」と言われたことだけは、ひどく心に引っかかった。冤罪を着せられたような気分が残ると同時に、無力さを感じてしまった。
ということかなあ。
コラムにも書いたけれど、若いときは、自分が作曲家として成功しないのは、自分の人生における「ヒット運」を「森トンカツ」で全部使い果たしてしまったからではないか、と思ったことがある。
「森トンカツ」がきっかけで作詞家の伊藤アキラさんに可愛がっていただくようになり、何度かごちそうになったり、音楽出版社の人を紹介していただいたりしたことがあるのだが、そのときも「ぼくは『森トンカツ』でヒット運を使い果たしてしまったのかもしれないですね」と言ったら、すかさず「そんなことはありませんよ! たくきさんはこれからです!」と叱られ気味に?励まされた。
その
伊藤さんも昨年亡くなってしまった。
去年のその日記も、今また読み返してしまった。
伊藤さんと交流できたことは、私にとって「森トンカツ」がくれた最大の贈り物なのかもしれない。
↑伊藤アキラさんに捧げる歌みたいになった『しゅくだい』