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のぼみ~日記 2022

2022/08/01

闘う落語家 三遊亭円丈



狛研の阿由葉編集長の書き込みで、東京かわら版という「日本で唯一の演芸専門誌」なるものが円丈特集をしていて、相当面白いらしいと知った。
さっそくAmazonでポチする。品切れで入荷待ち状態だったが、数日後に届いた。
小さな縦長の変型判で、文字が小さい。落語ファンには高齢者が多いと思うのだが、このぎゅうぎゅうに詰め込まれた小さな文字をちゃんと読めるのかしらと心配になる。
私は眼鏡を外した状態でまだ辛うじて読める。

202ページの冊子の70ページ目までが円丈追悼特集。およそ3分の1。弟子はもちろん、同期の落語家や創作落語を演目にしている落語家らに片っ端から取材していて、想像をはるかに超えるものすごい情報量だった。

阿由葉編集長が、「師匠はやっぱり99%落語家、狛犬はごくごく一部だったんだなぁ…と」と書いていたとおり、なるほどこの冊子の内容は99%落語のこと。
印象深かったのは、どこか距離を置いたようなクールな論評や思い出話を綴っている人が多かったことだ。
円丈師匠が面倒くさい性格の人だったことはよく分かっているけれど、これらを読むと、私には格別にていねいに、というか、ある種の友情と敬意を持ってつき合ってくれていたのだなあと痛感した。
前にも書いたけれど、一度手紙の中で「いろいろ意見が対立したりしても、これだけ長い手紙を書いているのも、やっぱり私はたくきさんが好きなんでしょうね」というような一節があって、その一言は今でも大切に記憶の中にしまっている。

特に驚いたのは、直弟子たちの回想録。
一番弟子のらん丈さんの寄稿文のタイトルは「とにかく怒られた」。
「前座の時分は毎日のように怒られるもんですから、それこそパンチドランカーのようになってしまい……」
「人は怒るとヒートアップします。師匠はそれが顕著で……」
……と、1ページ使っての寄稿の全編が怒られた話で埋め尽くされている。
続く白鳥(2番弟子)、丈二(3番弟子)、天どん(4番弟子)の3人の鼎談は「被害者の会」というタイトルが付けられている。
丈二師匠は2つ目時代は「小田原丈」で、狛研では毎回助手として円丈師匠の横にいたので、話をしたこともある。私が書いた「内藤慶雲物語」を円丈師匠が気に入って、当時の小田原丈さんに朗読させたこともあった。
狛研の打ち上げ飲み会で「狛犬に興味があるんですか?」と訊いたときも、即座に「全然! 毎回、嫌々ついてきてるんです」と言っていた。すでに「狛研の被害者」にもなっていたわけだ。
落語家には見えない細面でサラリーマン風のおとなしい人だが、よほど鬱憤が溜まっていたようで、この「被害者の会」では不満を爆裂させていたのが面白かった。
──円丈師匠の小言は長いんですか?
丈二 長い!
白鳥 丈二師匠、さあどうぞ(笑)
丈二 師匠の居間でご飯を食べたりするんですけど、小言があるときは「おまえちょっとこっち来い」って、窓のない部屋に連れて行かれて、そこで2時間くらい。
白鳥 天どんも一時期すごかったよね。
天どん いやもう前座のときは兄さんたちは近寄らないから、俺とサシが多かったから、1時間半くらいしょっちゅう。うちの師匠、同じ話を3周くらいするでしょ」
白鳥 人間性とか。「おまえは人として……」とか、丈二には「おまえは心を開かない」とか。

丈二 他の一門だと兄弟弟子は仲悪くなるけど、うちはそういうのはない。円丈とその被害者の会(笑)
(略)
天どん 弟子に何やろうか相談しておいて、ウケないと僕たちのせいになるんですよね。
丈二 必ずそう。何やるかはほぼ決まっているんだけど、一応「今日の客どうだ?」とか「何がいい?」とか。
白鳥 訊くことは訊くけど、もう決まっているんだよ。
丈二 ウケると自分の手柄、すべると弟子の落ち度。
白鳥 うちの師匠の周囲と一門の評価は全然違うんだよ。

さらに驚いたのは、円丈師匠の最後が相当悲惨だったらしいこと。
白鳥 病院であんな姿になった師匠が可哀想で。顎をボルトで閉じられて、胃瘻してさ。俺、ときどき聞こえてきたよ、師匠の「殺せ!」っていう声。師匠、意識なくて、ボロボロで、奇才、天才といわれた人が。人の最期はこんなものなんですよ。この座談会だって、きれいにまとめたいだろうけど、弟子にこんなにひどいこといわれて(笑)。

弟子にひどいこと言われる追悼座談会はともかく、胃瘻までさせられていたというのはショックだった。
およそ円丈師匠には似つかわしくない終末だ。

病院に運び込まれたら最後、怖ろしいことになるのだと、改めて震え上がってしまった。

落語家円丈の評価とは

円丈師匠はCDができるたびに送ってくれたので、かなりの枚数たまっているはずだと思って、CDラックなどを漁ってみた。

すぐに見つかったのはこの7枚。あと3枚くらい、どこかにあるような……

やっていることは私と似ているのかもしれない

いくつか再生してみたのだが、落語はやはり生で見たいなと思った。
あるいは、円丈師匠の新作は、小説のように文字で読むといいのかもしれない。
助手さんは「新作落語って著作権があるの? もっと多くの落語家が他の落語家の新作をやってもいいのに」と言うが、この冊子を読むと、すでに何人もの若手が円丈作品をやってみているらしい。直に稽古を付けてもらっている人も何人もいる。
最初に稽古を付けるのはどうも「肥辰一代記」らしい。

私は、円丈作品を演じて円丈と違う味を出せる落語家がいるとしたら、それこそ天才ではないかと思う。
白鳥 ああいう特殊な人の弟子だけど、ああいう芸は円丈一代で終わりなの。誰も継がないし、俺、うちの師匠から影響受けていない。
……と、白鳥師匠は断言している。
これはものすごくよく分かる。

立川志の輔の新作落語は腕の立つ落語家がやればそれなりに堪能できるかもしれないが、円丈作品はいわゆる「噺のうまい」端正な技術の落語家がやってもちっとも面白くないだろう。喬太郎あたりがやれば味の違いが出て楽しめるかもしれないが、喬太郎のプライドが許さないだろう。
白鳥も言っているように、自分で落語を書き下ろす落語家たちは、自分の作品をいちばんうまく演じるのは自分だと信じているし、他の落語家が作った新作落語なんて絶対にやらないというタイプの人たちなのだと思う。口には決して出さないが、他人の新作をやるような落語家は自分で噺を書けない無能な落語家なんだ、と思っているような気がする。
やはり円丈落語は円丈という落語家の個性とワンセットで成立する芸。昇太の新作落語もそうかもしれない。昇太以外がやっても少しも面白くないのではなかろうか。

そんなわけで、これを書きながら、久々に「内藤慶雲物語」の冒頭を読んでしまった。
阿由葉編集長によれば、これを小田原丈さん(現・丈二師匠)が嫌々読まされたのは、1998年2月の狛研例会でのことだったようだ。
私にとっては、寅吉・和平作品をご案内したときのことと並んで、いい思い出になっている。
2009年5月6日 福島にて

円丈師匠、長い間のおつきあい、ありがとうございました。

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