2023/04/21
タンポポの季節も終わり
これが今年50回目の日記。ひと月に12~13本くらいのペースかな。
前回の日記のように、疲れる内容を時間をかけてデータを集めながら書くことが増えている。書いた後も何度も書き直したり追加したり……。
若いときは勢いですごいことができたりしたが、ハズレも多かったし、致命的な失敗もいっぱいやらかした。今は体力がない代わりに時間はあるので、ていねいにやることを心がけている。

タンポポの季節も終わって、ほぼ全部綿毛になった
タンポポのことも今年はずいぶん勉強したなあ、と思いつつ、子どもの頃を思い出してタンポポ笛を吹いてみた
ありとあらゆる詐欺が蔓延

今日もこんなのが届いていた。この手のメール、以前に比べて巧妙になっているし、バリエーションも抱負。99%くらいが詐欺メールだが、見落とすとまずい本物のメールが1%くらい混じっているのでやっかいだ
2023/04/23

新緑に囲まれてきた

隣地のコナラ

タンポポが咲いていた場所には入れ替わりにハルジオンが咲き始めた
ラッキョウがプチブレイク
先日、ベイシアに買い物に行った日の夜、なんだかいつもより身体が軽くて元気になっているような気がした。
はて、いつもと違うものでも食っただろうか?
いろいろ考えてみたのだが、お昼にラッキョウを5個くらい食ったことを思い出した。
もしかしてラッキョウかな?
どうも「身体にいい食品」って人によって違うというか、相性があるように思う。
大蒜とかヨーグルトとかマヌカハニーとかミロとか、いろいろ試してみたのだが、どれも身体にいいという実感はない。
ヨーグルトもマヌカハニーもミロも今はやめてしまった。黒大蒜は今も一粒ずつくらいチマチマと食っているのだが、これも「効く~」という感じはない。結果、食うのを忘れている。
まあ、即効性のあるようなものはかえって怖いけどね。
ラッキョウはどうなのか……酢漬けにしたものは栄養成分が抜けているともいうけど、とりあえず安いし手軽なので、このところ毎日数個食ってみている。
なんかウンコの硬さと形がちょうどよくなったような気がする。
現世からうまく離脱する方法?
今の自分の肉体が置かれた世界にどんどん魅力を感じられなくなってきている。
若いときは、死ぬのがすごく怖くて眠れなくなる夜がたくさんあった。
昼間でも、このまま成功せずに歳をとっていくとしたら……と考えると怖ろしくなった。
絶対に音楽の世界で第一線に立ち、名曲をたくさん残すのだ……という思いを諦めることなどありえない。そういう縛りの中で生きていた。
今はもう、音楽の価値そのものに対する考え方が違っている。普遍的な価値はない。聴く人の音感や経験によって違うものに聞こえているのだから、そこに普遍的な価値を見出すこともできない。
自分にとっての音楽的快感という価値(いいメロディかつまらないメロディか)は残っているけれど、それに徹して、外からの評価はまったく関係ない、と割り切るまでには解脱していない。
寝ているときに見ている夢はどんどん支離滅裂になっている。たまに分かりやすい夢を見るが、それはほとんど過去への執着や後悔を反映した内容だ。……つまらん……
とにかく、もうすぐ肉体が滅びて、この物理世界からは消えてしまうのだから、これからの時間は、現世からいかにうまく抜け出せるか、というようなことをテーマにするしかないのかな。
世界全体は∞で、ありとあらゆる世界がある。でも、今自分がいる世界は、無限大に枝分かれしている中の1つにすぎない。
そう思うことで、死への恐怖を遠ざけようとしているのだが、その考え方を突き詰めると、今の自分の人生は「迂回路」の1つだったのではないかという気がしてきた。
で、その迂回路の人生の
主人公は自分ではないのではないか、と。
自分の人生でありながら、他の主人公のための脇役というか相手役を演じてきたのかもしれない。
であれば、自分が主人公の人生(迂回路ではないメインロード)が別にあるんじゃないか……。
でも、その人生が幸せな人生かどうかは分からない。違うような気もする。
肉体(脳)が持っている可能性を社会の中で発揮できても、人生全体としては不幸なものかもしれない。
メインロードが太い高速道路でも、途中で事故を起こして悲惨なことになっているかもしれない。
今の人生は、高速道路の入口を入り損ねて田舎道に迷い込んだけれど、なんかのどかな景色が見られたり、予定外の場所でお茶を飲んだりする時間があったり……そんな人生なのかな。
ムカデ騒動
居間にムカデが出て、助手さんが大騒ぎしながら、なんとか外に出したんだけど、とにかく殺さない、という徹底した方針にあたしも従う。
で、そのときふと思ったのは……
あらゆる生き物、生命体は、脳の性能と魂(あるいは命の素のような何か)の比率が反比例しているのかもしれないということ。
虫の脳みそはたかが知れているから、難しいことは一切考えられず、本能に従って身体を動かしているし、簡単に死ぬ。
でも、そこにリンクしている魂のようなもの、あるいは「感性」というか、受容能力は脳と反比例していて、対峙している世界や他の生命体(人間)のことを、肉体以外の部分でしっかり把握できている。
それはまるで人間が苦労してテレビやら映画やらで楽しむことができた娯楽みたいなもので、肉体が壊されることなど関係なく、この「世界」を肉体の外から俯瞰して眺めて、ドラマを鑑賞しているような感覚なのかもしれない、と。
人間はこの世界の中では脳が発展している分、その本来の「感性」、アンテナのようなものが貧弱で、肉体に99%縛られている不自由な魂なのかもしれない。
……な~んて。
あたしの脳もどんどん劣化しているので、忘れないうちに書き留めておこう。

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