2023/06/14
『神は成長する』

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俺はツチガエルだ……という悟りを(ちょっとだけ)ひらいて気持ちが楽になったせいか、ずっと止まっていた『神は成長する』の原稿を少しだけ書き進めることができた。
昨日書いた分の最後はこんな感じ。
■自分が死んだ後の「この世界」
脳は肉体の一部であり、物理法則に支配された物質である。時間と共に肉体が劣化していき、生命活動を止めてしまえば、脳が知覚できる世界も消える。それを「死」と呼ぶわけだが、自分の肉体の死の後はどうなるのかと考えるとき、人は概ね二つのグループに分かれる。
一つは、それですべてが終わり、自分の肉体が消えた後には自分の存在はすべて消滅し、意識も何も残らないと考えるグループ。唯物論的世界観を持つ人たちだ。
唯物論者は宗教や哲学よりも科学を信仰している。すべてのことが科学で説明できると信じている。
しかし、科学が扱える世界は、人間の脳が知覚できる物理世界に限られている。
もう一つは、肉体が消えても魂のようなものは残り、違う世界に入る、あるいは再び甦って新たな生命になるといったイメージを抱くグループ。宗教家はこうした世界観を説き、その教えに救いを求める者たちがいくつものグループを形成する。
しかし、どちらにしても、自分の肉体が死んだ後も「自分がいなくなった世界」は残ると考えている。
自分は消えても、子供や孫はこの世界に生き続ける。子孫が死に絶え、人類が滅んだとしても、地球は残る。地球が滅んだとしても、宇宙は存在し続ける。
つまり、自分の肉体が死ぬと同時にこの「世界」も消えてしまうとは思わない。「自分がいない世界」が存在し続ける。
そう考えているという点では、どちらも、現世という物理世界に縛られている。今の自分の肉体(脳)が知覚している物理世界(現世)を、ある意味絶対視しているという点では同じなのではないだろうか。
自分が死んだ後、この世界(今の自分にとっての「現世」)は本当に存在しているのだろうか?
それを知覚できないのだから、少なくとも自分にとっては存在していない、といえるのではないか。
「我思う、ゆえに我あり」と言ったのはデカルトだが、この有名な命題は、一般には「仮に自分を含めた全世界が存在していないとしても、今、そのような思索をしている自分は存在しているのだから、少なくとも自分という意識が存在していることは疑いようがない」といった意味だと解されている。
であれば、この命題を逆に紐解けば、「思う」という行為をする自分が消えれば、世界というすべての存在も消える、ということになりそうだ。
■「現世」は無限の数ある
自分が消えれば世界も消える? 何を馬鹿なことを言っているんだ。自分の親が死んでも、自分が生きている世界は消えない。自分がいる世界から親がいなくなっただけで、「同じ世界」が続いている。
自分が死んだ後も同じことだ。自分がいない「同じ世界」が続いていくのは明白なことではないか、という反論がすぐに出てくるだろう。
しかし、私は歳を取るにつれ、そう簡単には考えられなくなっている。
自分が死んだ後、自分がいなくなっただけの世界は確かに存在しているだろう。しかしそれは、私の肉体が生きていた世界とは違う世界ではないのか。
量子レベルにおいて、電子の動きは誰かが観測しているときとしていないときでは動きを変えたというのなら、私の脳が消えた後の世界は、私の脳が存在していたときの世界とは違う動きをする世界なのではないか。
さらに突き詰めていくと、私が生きていた世界は私の意識だけでなく、生命体も非生命体も含めて私が知覚できるあらゆる物質が相互に関係し合って形成していた「多重構造」の世界であり、私だけの世界でもない。
私が知覚している世界と、隣に住む佐藤さんが知覚している世界はほとんどが重なり合っているので「似た」世界だが、違う部分もある「別の世界」である。さらにはその隣の鈴木さんが知覚している世界や、今私の周りをうるさく飛び回っている蠅が知覚している世界もまた、重なり合ってはいるが「別の世界」である。
特に私が知覚している世界と蠅が知覚している世界は似ても似つかない世界のはずであり、「同じ世界」に生きているとはとても言えない。しかし、蠅にとっての世界は確実に一つの物理世界として存在しているはずである。
蠅の世界と蟻の世界も同様に似ても似つかない別々の世界だ。蠅の世界は三次元だが、蟻の世界は限りなく二次元なのだから、重なり合う部分は極めて少ない。
そうした「無限に重なり合う多重構造の世界の一つ」を、今の一瞬を生きている私は「一つの物理世界」として認識している。私が死ねばこの「一つの物理世界」は確実に消えて、無限に重なり合う多重構造の世界が少しだけ変化する。
……こうした思考モデルを、ほとんどの人は「哲学的命題」としてとらえ、物理世界の話ではないと考えるだろう。しかし、私は実際に「物理世界」がそのように無数の多重構造をしているのではないかと考え始めている。
当初は最低でも100ページ以上を想定していたのだが、今は数十ページの薄い本でいいかな、と思い始めている。
ただでさえ読むのに苦労しそうな内容だから、無理に引っ張る必要はないだろう、と。
問題は脳がどこまで耐えられるかだなあ。
思いついた先から忘れてしまう。
今日なんて、一昨日見たばかりのミステリードラマ(『モース刑事』)の展開をしっかり忘れてしまい、もう一度頭から早送りしながら見て、ああ、ここでこうだったのね、なんて思い出す始末。
何年か前に見たドラマはほぼすべての内容を忘れているので、全部見終わっても、あれ? やっぱりこれって前に見たことがあったのかなあ……なんてぼんやり考えるという情けなさ。
老いはいやだわ。おい、おい、おい(泣)
(2023/07/11 追記) 刊行しました↓

『神は成長する 霊肉二元論の向こう側』
肉体と魂といった単純化された霊肉二元論を超えて、「私」という意識は脳(肉体)と個性を持った神が結びついて生成されているという思考モデルを展開させた「
神」論。
後半では2020年以降の「リセット世界」「人間を機械化した専制世界」という企みにどう向き合うかについても触れる。
高齢者が読みやすいよう、本文フォントには大きな16級明朝を使用。
ISBN 978-4-910117-37-9
B6判・116ページ ★オンデマンド 1408円(税込) 送料330円
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